聖なる夜、アップルパイを貴方に

空草 うつを

ニーシャ

待ち人

 アーチ型の窓から外を覗けば、真夜中ともあって家々の灯りなど皆無だった。石畳の道沿いに等間隔に立ち並んでいる街灯だけが、ぼんやりと光を放っている。その灯りの下で、降りしきる大粒の白い雪が照らされているのが見えた。


 今夜はホワイトクリスマス。私はこの日を今か今かと待ち望んでいた。


 人を待っていると、何故こんなにも時間が過ぎるのが遅いのだろうか。ベッドの奥の戸棚に置いてある時計をちらりと見れば、さっき見た時からまだ三分程しか過ぎていない。


 視線を、ベッド脇の丸い木製のテーブルに移す。円盤上のアップルパイからはほのかに湯気が揺蕩い、部屋中をシナモンの香りが漂っていた。


 このアップルパイは、誰の手も借りずに自分の手でいちから作り上げた。

 型にはめて焼いたから、見た目は申し分ない。だが、上部の格子状に組んだ生地は太さもばらばら。中に敷き詰めたクシ型のリンゴも、包丁に慣れていないせいで歪な形になっている。よく見れば不恰好なのだ。更に、シナモンの分量を間違えて独特のスパイスの香りしか鼻に入ってこない。せっかくの甘い香りを、全てかき消してしまっている。


 それでも心を込めて作ったから、美味しいはずだと信じている。だから、何が何でも食べてほしい。

 アップルパイの横には、取り皿とフォークとナイフがふたり分並べて置いてある。待ち人用と、私の分。

 

 しかし、待ち人の姿は目をこらしても窓の外にはない。だんだんと眠気が増して、目をこすりながらなんとか耐えていた。


「悪戯が足りなかったのかしら」


 残念と言わんばかりに深くため息をつく。それでも、諦めが悪い私は頬杖をつきながら外を眺め続けた。


 刹那、背後で足音がして背筋が粟立つと同時に、心臓がひとつ、ことんと鳴った。

 期待に胸を膨らませて振り返れば、待ち望んでいた人がいて私の顔は途端に綻んだ。


 部屋の入り口に、黒い外套に身を包んだ背の高い男が立っていた。

 精悍な顔立ちなのにどこか気怠さを感じるのは、手櫛でかき分けただけの無造作な短い黒髪に、顎を覆う無精髭のせいだろう。その男は、私を険しい三白眼で睨んでいた。


 男が羽織っている黒い外套には、雪の一欠片もついていなかった。はて、どこから来たのだろうと不思議に思っていると、男はわざとらしくため息をついた。


「悪戯がすぎるぞ。ニーシャ」


 渋い声音で名前を呼ばれれば、頬は瞬時に紅を差したのが分かるほど、熱くなっていく。


「私の名前、知ってるの?」


「俺を誰だと思ってる」


「——ムスタ•ヨウルプッキ」


 私が口にした彼の名前は、この地方での呼び名。またの名を、ブラックサンタクロース。聖夜、罪を犯した子供に罰を与える、北国の黒い悪魔。


 見た目は三十代後半あたりだが、実際の年齢は分からない。なにせ、ムスタは精霊なのだから。もしかしたら何百歳、いや、何千歳なのかもしれない。


「知っているなら話が——」


「私、ずっと待ってたの」


 ムスタの言葉を遮り、声を弾ませた。自分の胸の高鳴りを、そのまま声にのせたように。

 片眉をつりあげ、怪訝な顔をしたムスタにかまいもせず続けた。


「あなたに会いたくてしかたがなかったの。だから、たくさん悪戯をしたのよ!」


「悪い子だ。自分の口から、どんな悪戯をしたか白状しろ」


「ふふっ。まずね、お父様の靴下を全部裏返してタンスにしまったの。それから、お母様の本を全部本棚から出してしまったり、植木鉢を並べ替えておいたり、あとは……」


 ムスタがひとつ咳払いをして、私の言葉を途切らせた。


「そんな些細な悪戯でいちいち呼ばれてたら、俺の身がもたん」


「でも来てくれた。とても嬉しいわ」


「あのな。俺が罰を与えるのは——」


「知ってるわ。盗みを働いたり、人に傷を負わせたり、命を奪ったり……。でも、そんなこと私にはできないから、小さな悪戯を積み重ねればあなたに来てもらえると思って」


「それだけじゃない」


「何ですか?」


「気にするな。独り言だ」


 ぶっきらぼうに言葉を放つと、ムスタは長い足を面倒くさそうに動かして近づいてきた。私の胸は激しく脈うってうるさい。その心音を聞かれまいと胸に手を当てて早口で捲し立てた。


「アップルパイを作ったから食べて欲しいの!」


 ムスタは、テーブルに置いてあるアップルパイへと視線を移した。その瞳や表情から、感情を何一つ感じ取れない。冷酷な、顔つきだ。


「……サンタクロースと間違えたか?」


「そんなことはないわ。あなたのために作ったの」


「俺の、ため?」


 三白眼は確かに私を睨んでいる。が、困惑しているのか瞳は揺らいでいて、鋭さは鈍っていた。


「アップルパイに使ったリンゴ、あなたにもらったものなのよ」



 あれは、一年前の聖夜のことだった。

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