第34話 貂蝉は呂布と共に生きる

「では術式について説明するぞ」

 華佗はなにやら絵の描かれた板を取り出した。最近はこうやって事前説明をしないと中華仙医連盟がうるさくてのう、とぼやく。


 貂蝉は部屋の奥でしょうに寝かされていた。

 華佗が飲ませた、怪しげな薬湯によって小康状態を保っているが、やはり危篤なのは変わらない。

 呂布は後ろ手に縛られたままで、牀の脇に座る。すぐに一匹のネコが呂布の膝に上がり、彼の顔を見てにゃう、と鳴いた。

「おお、那由他」


「治療方法は上策、中策、下策がある。要はどの方法を採るかだな」

 華佗は図を見せながら説明する。

「講談などでインチキ軍師が言いそうな台詞だな」

 そこは軍略家でもある曹操だ。こうやって三択にしながらも、結局は中策を選ばせようとしているのはよく知っている。


「茶々を入れるでない。脳みそにキノコを植え付けるぞ」

 曹操は頭を押さえて沈黙する。


「まずは下策だが」

 貂蝉の傷を縫い合わせ、あとは華佗特製の薬を投与し続けるのである。

「これは一番安あがりだが、おそらく助からんであろう」

「駄目じゃないですか」

 すかさず廖化が突っ込みを入れる。この辺りは阿吽の呼吸といったところだ。


「そうじゃ。死んでしまっては、わしも治療費をせしめる事ができんからのう。だからこれはお勧めできぬ」

「結局はお金という事ですね」


「続いて中策じゃ。ここからは呂布、お主の協力が必要になる」

 不安そうに貂蝉を見ていた呂布は、勢いよく顔をあげた。

「何でも言ってくれ。どうせ死ぬ身だ」

 うんうん、よい覚悟じゃと華佗は頷く。


「では呂布。そなたの体が欲しい」

 呂布は眉をしかめた。華佗の華奢な身体を上から下まで何度も見直す。そして、ふっ、と醒めきった吐息をもらした。

「すまんが、俺はお子さまといたす趣味はないのだ」

 こんな囚われの身になったとはいえ、幼女姦などという、呂布奉先の名に恥じる事はできないだろう。


「誰がお子さまじゃ。そんな事は言っておらぬ。貂蝉とお主の首をすげ替えるのだ」

「ほう?」

 

 華佗はそこで邪悪な笑みを浮かべた。

「呂布。そなた、これから斬首されるらしいではないか」

「うむ、おそらくそうなるだろう」

 隣で曹操も頷いているから間違いない。


「そこでじゃ。本来ならお主の首も切り離さなくてはならぬが、そういう事情であれば、その分の手間賃は割り引いてやるぞ」

「おお、それは有難い。って、俺が払うのか!?」


「あの、師妹せんせい。問題は手術を行った後ではないですか」

「うん? どういう事かのう、廖化」

「目覚めて、いきなり身体だけが爆裂筋肉男になっていたら、大抵の女の子は驚くと思うんですよ」

「何をいう。年頃の女子であれば、男のあんな所やこんな所など、いろいろ弄ってみては、悦に入るものだぞ」

 特にこの男は立派なモノを持っていそうだし、むふふ。


「おい。歓談中に申し訳ないが、早く治療をしてやって欲しいのだが」

 しびれを切らした呂布が苛立った声をあげた。ちっ、と華佗は舌打ちする。


「ではお手頃な体型のやつを探すか」

 華佗はぐるりと見回す。小柄な曹操と目が合った。

「どうじゃお主。実験台にならぬか」

「おい華佗、実験台とはっきり言ってしまっておるではないか」

 とんでもない中策だ。曹操は先程の感想を密かに撤回した。


「ならば、上策しかあるまい」

 華佗は呂布の肩をぽんと叩いた。


 ☆


 長い夢を見ていた気がする。

 貂蝉は目を開けた。


 天井だけが見えていた。下邳城の中の一室のようだが、はっきりと分からない。

「気が付いたか、貂蝉」

 覗き込んできた顔はよく知っている。

「華佗先生。わたしは一体……」


「うむ。まずは手足が動くか確かめてみよ」

 頭を起こして体の様子を伺う。あちこち重傷を負ったはずの身体は、痛みこそあるが、どうやら思った通りに動く。


「ゆっくり体を起こしてみるのだ。眩暈などはしないか」

「いえ、大丈夫です」

 上半身を起こし、牀に座った格好になる。しかしすぐ激しい疲労感に襲われ、貂蝉はまた横になった。


「まだ、身体に馴染んでおらぬようじゃな」

 そう言うと、貂蝉の頭の下に片手を入れて支えながら、茶碗の薬湯を飲ませる。


「わたしは、もう死ぬのだと覚悟しました」

 左肩の傷に触れてみると鋭い痛みが走った。

 だが、薄れる意識の中で、自分を呼ぶ声がした。貂蝉はそれで、死の淵に落ち込みそうになるのを耐えることができたのだ。


 あの声は、誰だったのだろう。何故かその部分だけ記憶が混濁している。あの大きな身体。やんちゃな少年のような笑顔。


 思い出せない……。貂蝉はまた眠りについた。


 

 ひんやりとした空気が貂蝉の頬を撫でていった。また、新しい朝が訪れた。

「こんな時、誰かが近くに居たような気がするのです」

 貂蝉は華佗に訴えた。


 そうか、と華佗はため息をつく。もう少し体調が戻るまでは、記憶を曖昧にする催眠暗示処置を施しておいたのだったが。

「では落ち着いて聞け、貂蝉」

 華佗は貂蝉の髪をなでながら手術の経緯を話してきかせた。


「呂布!?」

 その名前を聞いた貂蝉は頭の中の靄が晴れる気がした。

「そう呂布です。思い出しました」


「そなたは重傷を負って、大量の血液を失った。その不足分を呂布のもので補ったのじゃ」

 この当時、輸血という概念はない。まったく華佗だけの発想である。しかも血液型の相違による凝固反応を抑えるための薬品さえ開発していたらしい。


「まあ、呂布とそなたの血液は相性が良かったようでな。そのまま輸血できたので、いらぬ費用が掛からず済んだわ」

「はあ」

 そう言われても貂蝉には意味が分からないし、お金の話をされても困る。


「それで、呂布はいまどこに」

 華佗はしばらく逡巡していたが、思い切ったように立ち上がった。

「よかろう。ついて来い」

 そして廖化を呼び、貂蝉の身体を支えさせ屋敷の外に出た。


 貂蝉の負担にならないよう、華佗はゆっくりと大路を行く。その道はやがて広場へと行き着いた。


「呂布は、あそこにいる」

 華佗はその広場の一番奥を指差した。そこには壇が設けられ、何か捧げられているようだった。


 貂蝉の足が止まった。


 壇上に安置されていたもの、それは呂布の首だった。


 ☆


「呂布は、お主に血を分け与えた後、曹操によって斬首されたのじゃ」

 ふっ、と華佗は微笑んだ。

「見たか。呂布の、あの満足げな顔を」

「はい」

 貂蝉も頷いた。頬に涙が伝った。

 その涙にも呂布の命が宿っている。貂蝉は顔を覆って泣いた。




 旅装を整えた貂蝉は、見送る華佗や劉備たちに別れを告げた。徐州に残れと勧める劉備だったが、貂蝉はそれを丁重に断った。


「どこへ向かう。貂蝉」

 華佗が問う。


「荊州へ」

 そこは皇帝の宗族である劉表が治める土地である。長江を抱え、強大な水軍を保有するが、華北の争乱からは距離を置いている。

 だが、多くの街道が通り、水運にも恵まれた荊州は、いずれ必ず各地の群雄による係争地となるのは確実だった。


 貂蝉は振り向かず、一路、西へと旅立った。



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