第27話 徐州に迫る危機

「聶隠だと……。ならばやはり貴様が貂蝉だったか。これは良い、劉備と共に葬ってやろう。覚悟しろ、小娘」

 曹豹は更に激しく剣を舞わせる。

 対する貂蝉の動きは一見緩やかに見える。しかし疾風のような曹豹の太刀筋をしなやかな動きで躱し、その切っ先は彼女の髪一筋すら傷つける事は出来なかった。


 広間の人々は、ふたりの静かな闘争など知らず、その見事な剣技に息を呑んだ。

「なぜ劉備さまを狙う」

 剣が交錯し、動きが止まった隙に貂蝉は鋭く問いかけた。

 曹豹はにやりと笑う。

「知れたこと。徐州をわが手にするためよ。南陽の袁術さまを後ろ盾にな!」

 そう言うと、曹豹は力任せに貂蝉を突き飛ばす。


「袁術。まだ生きていたのか」

 貂蝉によって睾丸を半分切り落とされるという重傷を負った袁術だったが、まだその野心だけは衰えていなかった。金に物を言わせ、徐州の反劉備派へ工作を仕掛けていたのだ。曹豹はその筆頭だった。


 そして袁術が狙うのは徐州だけではなかった。


「そうか。目的はわたしへの復讐か」

 貂蝉は苦笑をうかべた。


 全身に腐毒が廻り、顔も青黒く変色した袁術は、その黄ばんだ目に狂気の色を浮かべ貂蝉の抹殺を命じたのだった。


「見事であったぞ、曹豹。貂蝉どの」

 手を叩き、劉備が双方を称える。不穏な気配を感じたのかもしれない。

「双方、剣を引き給え。わしからの褒美の酒を飲んでくれ」


 一瞬、貂蝉の注意が逸れたその瞬間。曹豹は跳躍して間合いを詰めた。剣を振るうと見せかけ、貂蝉のみぞおちに拳を叩き込む。

「ぐっ」

 貂蝉は息を詰まらせ、その場で身を折った。


「死ね、貂蝉!」

 苦し気に顔を歪めながらも、曹豹を見上げ睨みつける貂蝉へ向け、長大な剣が振り下ろされた。


 鋭い金属音が響く。

 振り下ろされた剣を受け止めたのは、呂布が腕に巻いた鉄製の小手だった。右手一本で剣を受け止めた呂布は軽々とその剣をはねのけた。

 呂布は、貂蝉が倒された瞬間にはもう、その前に立ちはだかっていたのだ。


「貴様も邪魔をするか!」

 曹豹はその剣技で呂布に襲い掛かった。武器を持たない呂布はかろうじてそれを躱しているが、たちまち全身が朱にそまる。だが、それでも致命傷どころか行動を阻害するような傷は受けていなかった。


「なるほど大した腕前だ。速く、美しい」

 肩で息をする曹豹に、血塗れの呂布は獰猛な笑顔を見せる。


「だが、それだけだ」


「黙れ呂布っ!」

 呂布の言葉に激高した曹豹は、ふたたび斬撃を浴びせようと足を踏みだした。


「貂蝉!」

 呂布は背を向けたまま叫んだ。左手を、すっと後ろに差し出す。

「呂布!」

 その手をめがけ貂蝉は剣を投げた。柄を先にして飛ぶその剣を、振り返りもせず呂布は逆手で掴んだ。

 そのまま斬りかかってくる曹豹の胸に叩きつける。


 金属がきしむような音と共に、呂布の剣は曹豹が服の下に着込んだ鎖帷子くさりかたびらごと、その胸を切り裂いていた。

「な、何だと。片手……しかも逆手に握ったまま」

 曹豹は胸から吹き出す血を信じられないように見た。


 まだ状況を理解できない人々は、我先に広間を逃げ出していった。それでも簡雍、孫乾、麋竺びじくといった劉備派と目される徐州の士大夫たちはみな、この場に残っていた。


「ふーむ。何となく状況は分かった」

 動かなくなった曹豹を見下ろし、劉備は何度もうなづいた。さすがに、この程度の流血沙汰でうろたえるような、やわな神経ではないらしい。

「まさか貂蝉どのも狙われていたとは思わなんだが」


「長兄、ひっ捕らえて来ましたぞ」

 関羽と張飛は、数人の武将や官僚らしい男たちを縛り上げ、引きずって広間に戻ってきた。この連中も曹豹に同調して城内で反乱を企てていたのである。

「いやいや。酔ったふりも大変だったなあ。ぐははは」

 張飛は豪快に笑っている。

 趙雲、陳到ちんとうといった劉備配下の若手武将も、それぞれが蜂起を鎮圧し悠然と列に加わった。

 関羽、張飛とともに、彼らは劉備軍の中心となっていく武将たちである。


 ☆


「怖い目に遭わせてすみませんでした」

 居室に戻り、顔や腕に傷を負った呂布の手当てをしながら、貂蝉は頭を下げた。

「あの瞬間だけ、油断してしまったのです。ごめんなさい、呂布」


「なあ、貂蝉よ。それは普通、俺が言う台詞ではないか。俺より先に言うな」

 呂布は貂蝉の頭に手を置き、軽くぽんぽんと叩く。

「お前はな、貂蝉」

 そこで呂布の口調が真剣なものになった。思わず貂蝉は顔をあげ、呂布を見る。


「お前はずっと傷ついてきた。だからもう、これ以上傷つく必要はない。……これからは俺がお前の代わりに傷ついてやる。お前を傷つける奴は俺が許さない」


「どうしたんですか、一体。……えっ」

 困惑顔の貂蝉は呂布に強く抱きしめられた。

「ああ。俺は怖かった。お前を失うかもしれないと思ったら、頭の中が真っ白になった。はじめて、あんな恐怖を感じたのだ」

 貂蝉は黙って呂布の胸に顔を埋めた。ほんとうに困ったひとですね、小さく口の中で呟く。


「あら」

 貂蝉は顔をあげた。横抱きになった腰のあたりに、何か固いものが当たっている。

「うむ。これには理由があるのだ」

「はい。あるなら聞かせてもらいますけれど」

「そなたが好きだ、貂蝉。だから抱きたい」


「本当はもう少し言葉を飾って頂きたいのですが……」

 貂蝉も苦笑しながら、呂布の背中に手を回した。


「でもいいのですか。わたしは抱かれた男を殺す癖がありますよ」

 ふふっと冗談ぽく笑う貂蝉の唇を呂布は奪った。

「それは困る。だから、今回だけはその癖を抑えておいてくれ」

「できるだけ、がんばります」


 呂布は貂蝉を抱きしめたまま、寝台に倒れ込んだ。


 ☆


「もう傷が塞がってきている」

 貂蝉は呂布の腕の傷を指でなぞった。くすぐったそうに呂布は笑う。夜更けまで何度も昇りつめたが、不思議と疲れは残っていない。夜明け前、朝のひんやりとした空気の中で、貂蝉と呂布は抱き合っていた。

「好きな女と同衾すると、傷の治りも早いようだ」

「まさか」

 呂布の逞しい肩に頭をあずけ、貂蝉は眠りに就こうとした。



「曹操だ、曹操軍が攻めてきた!」

 まどろみを破られた貂蝉と呂布は跳ね起き、思わず顔を見合わせた。

「行こう、貂蝉」

 呂布は身支度をし、剣を手にとった。


 ☆


 城外の広場には臨戦態勢となった劉備軍が勢揃いしている。緊張した面持ちの劉備は台上にのぼり、軍団を見渡した。そして大きく頷くと、采配を高く振り上げた。


 それを合図に、砂塵を巻き上げながら、関羽を先鋒とした劉備軍は曹操迎撃に進発していった。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る