第26話 劉備を暗殺せよ

 劉備 字を玄徳。

 漢の中山靖王劉勝の末裔と称しているが、その生家は貧しく、彼自身もむしろ草鞋わらじを編んで売り歩く生活をしていたと伝わる。

 有名な学者、盧植ろしょくのもとで学んだが、勉強よりも遊興にかまけた青年時代だったようである。


 黄巾の乱の際、義兄弟となった関羽、張飛とともに義勇軍に加わっている。晩年、呉との夷陵の戦いで大敗北を喫したため、戦さに弱いと思われがちだが、実際は巷間言われているほど戦下手ではなかったようだ。

 もともと大軍を率いる機会が無かったこともあるが、小部隊での戦闘では必ずそこそこの戦果をあげた。当代屈指の猛将、関羽と張飛を擁していることも大きいが、まず、並み以上の戦術家と云っていいだろう。


 各地の小豪族の間を渡り歩いた末、公孫瓚こうそんさんの下でやっと兵団と呼べるものを手にした劉備は、徐州の牧 陶謙からの救援要請によって徐州に駐屯し、そのまま州の統治を引き継ぐことになった。

 これは彼の軍事力だけでなく、各地で見せた治安維持の手腕によるものが大きい。後に、曹操の「知略」に対し劉備は「人徳」と言われたように、その篤実な性格はこの頃から現れていたのである。


「ほうほう、あなたが呂布どのですか」

 そこまで歳ではない筈だが、妙に老成した様子で劉備は呂布の軍を迎えた。

「董卓を討った勇者ぶりは中華に轟いておりますぞ」

 劉備は呂布と張遼、貂蝉、陳宮らを広間に招き入れた。


「いや、実際に董卓を殺ったのは、この……いてっ」

 貂蝉を紹介しようとした呂布は、脛を蹴り上げられ悲鳴をあげた。涙目で貂蝉を睨むと、彼女は小さく、黙っていろ、と言う。

「わたしは何も知らない。いいな、呂布」

「せっかく褒めてやろうとしたのに」

「余計な世話だ」


「おや、その女性はどなたかな」

 劉備は好色そうな表情を貂蝉に向けた。

「はい。私は王允の娘、貂蝉と申します。呂布将軍には長安陥落の際に救って頂いたのです。本当に恐ろしゅうございました」

「そうか、王允どのには残念な事であった。立派なお方だと聞いていたのに」

 貂蝉はたおやかに一礼すると、袖口でそっと涙を拭った。


「すげえな。本物のお嬢さまみたいだ」

 呟いた呂布は貂蝉に睨まれ、あわてて口をつぐんだ。


「皆さんお疲れでしょう。郊外の小沛しょうはいの城を用意しましたので、そちらにお入り頂くとして、今宵はこの下邳でごゆるりとお過ごしください」


 ☆


 大広間に徐州の人士と貂蝉、呂布たちを集め、宴会が行われることになった。

 開会にあたり劉備は挨拶を始めたが、一向に終わる気配がない。

 しまいには「我らは献帝陛下を奉戴し、再び漢帝国の栄光を取り戻すのだ」とか、涙ながらに訴え始めた。


「長兄のことは放っておいて、俺たちは勝手に始めようぜ」

 張飛と関羽は酒壺をさげ、貂蝉のところへやって来た。

「喋り出したら止まらぬからな。困ったものだ」

「……」

 すでに何杯も酒をあおり酩酊している張飛に対し、関羽は顔こそ赤いものの全く酔っている気配がない。むっつりと唇を一文字に結んでいる。


「関羽さま、お酒が強いんですね」

「う、まあな」

「いやいや違うのだ貂蝉。関兄はな、女子の前だとすぐに顔が赤くなってしまうのだ。それに酒はからっきしだしな。ぐははは」

 酔っているのではなく、照れていたようだ。


「しかし徐州の方々は、劉備さまをいきなり君主に据えるなどと、見事な決断をされたものでございますな」

 呂布の参謀格になった陳宮が感歎した口調で言う。しかしその目は何かを探るように細められていた。

「応よ。わが長兄はそれだけの人物だからな。……ああ、しかしそれが気に入らぬ奴らもいてな。揉めているのさ」

「余計な事を言うな、張飛」

 張飛はすぐに関羽にたしなめられた。


 それを見ながら、陳宮は貂蝉に囁きかけた。

「やはり元から徐州に仕えていた者の中には、それを面白く思わない連中がいるのは当然です。案外と劉備どのの基盤は脆いのではないでしょうか」

「ええ。ですが劉備さまの陛下に対する思いは本物だと思います」


「よいか。まずは蜀と手を結ぶのだ」

 劉備はまだひとりで演説を続けていた。

「蜀の劉焉、荊州の劉表。そして不肖この劉備が一体となって朝廷を護持奉れば、武帝の黄金時代も夢ではないぞ。これぞ劉氏連合なのだっ、げほげほ」

 喚きすぎてむせている。さすがにしゃべり疲れたらしい。やっと乾杯の盃を手にとった。

「では皆のもの、乾杯!」


 ☆


「いやぁ、こんな田舎ゆえ歌舞音曲も地味で申し訳ありませんな」

 劉備は貂蝉に酒を注いで屈託なく笑っている。貂蝉も少し酔い始めたころ、彼女の背後にひとりの男が忍び寄った。

 その男は手を伸ばし、貂蝉のお尻をいやらしく撫でまわす。


「きやあああああっ!」

 思わず悲鳴をあげた貂蝉は、慌てて口を押えた。

「な、何ですか、あなたは」


 服をだらしなく着崩したその男は、貂蝉を見て意外と爽やかな笑顔を見せた。

「いやこれはすまん。美しい彫像のようながあったので、どうしてもこの手で感触を確かめてみたくなったのだ」

「おいど? お尻のことですか」

「これこれ、簡雍かんよう。お客さまに失礼だぞ」

 そう言いながら劉備も本気で止める様子はない。


「むうん。この感触だけで一晩過ごせそうだ。感謝するぞ、貂蝉どの」

 ふへへ、と笑いながら簡雍は去っていった。


「まったくもう。何でしょう、あの人は」

 真っ赤になって怒る貂蝉は、呂布や張遼のあっけにとられたような顔に気付いた。

「なんですか、あなた達まで」


 はあ、と呂布は息をついた。

「いや。お前がまるで女の子みたいな悲鳴をあげたから、皆驚いているのだ」

「……ほう」

 貂蝉の視線に、呂布の背中を冷や汗が伝った。


 ☆


「それでは余興ということで、この曹豹そうひょうが剣舞をお目にかける」

 やや宴会疲れが出始めたころ、武人らしい男が広間の中央に進み出た。がっしりとした長身に、幅広の大剣を提げている。

 その剣を軽々と操り、華麗に舞い始めた。

「なんと見事な」

 広間に歓声があがった。


 曹豹は舞いながら広間を移動しては、制止して剣の型をみせる。一分のブレもないその姿は達人といってよかった。

 誰もがその剣舞に見蕩れていた。


「おい、貂蝉」

 最初に気付いたのは呂布だった。あごをしゃくったその先を見て貂蝉も眉をひそめた。舞いながらも曹豹の視線は、ずっと劉備に注がれているのだ。

「殺気を感じます」

「ああ」


 やがてその舞の中心は劉備のもとへ近づいていく。しかし劉備は左右の侍臣と酒を酌み交わし、それに気づきもしない。


「待って」

 剣を抜こうとした呂布を貂蝉は止めた。

「わたしが行きます。剣を貸して」


「曹豹さま。さすが、お見事な舞いでございます。ですが本来、剣舞はふたりで行うものと聞きます」

 そう言うと貂蝉は曹豹から劉備を守るように、間に割り込んだ。

 舌打ちした曹豹は、ふっと唇の片側を上げた。


「見たままの素人ではないようだな。邪魔をするなら……」

 明らかに舞踊ではなく、殺意をもった剣が突き出された。

「死ね」


 曹豹の大剣と、呂布から借り受けた貂蝉の剛剣が絡み合い鈍い音が響いた。必殺の剣を柔らかく受け流された曹豹は目を瞠った。

「き、貴様」


「……見せて差し上げましょう、聶隠じょういん流 剣舞の粋を」

 貂蝉は無表情のまま、剣を肩の高さに構える。


 酒気ただよう広間の空気が一瞬で凍り付いた。





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