第23話 貂蝉、青州軍を襲撃する

「な、何だ貴様らはっ!」

 左右から張遼と呂布に武器を突き付けられ、曹操は喚いた。足元には後頭部に大きなタンコブを作った典韋てんいがうつ伏せに倒れている。

「すまねえな、曹操。うちの大将が話があるんだとよ」

 方天戟を曹操の喉元に押し付けた呂布がにやりと笑った。


 ☆


 徐州の町々を破壊尽くし、意気揚々と引き上げる曹操軍の横腹を痛撃したのは、全身を黒い鎧で覆った騎馬の一団だった。曹操軍の主力は精鋭中の精鋭で固めた青州軍だが、それが文字通り瞬時に蹴散らされた。


「賊軍か!」

 軍の乱れを察知した親衛隊長の典韋は戟を引っ提げ、本陣へ迫りくる敵騎兵を叩き落とす。

「狼狽えるな、敵は少数だ。槍部隊、前列へ進み歩兵を援護しろ!」

 典韋は必死で防戦に努めるが、凄まじい速度で進軍する敵騎兵に歩兵では対抗することは出来なかった。


「卑怯な奴らめ。男なら馬から降りて、掛かって来い」

 精悍な表情の若い武将がそれに応え、典韋の前に飛び降りた。隙の無いその立ち姿に典韋は思わず顔をほころばせた。

「ふふっ、只の賊ではなさそうだな、相手になってやるぞ」


 体格で勝る典韋に対し、張遼は鋭い槍捌きで対抗する。しかし白兵戦ではやや典韋に分があるように思われた。次第に典韋は張遼を押し込んでいく。

「逃げてばかりでは俺を倒すことは出来ないぞ」

 嘲るように典韋が戟を揮う。


 その典韋の後ろにさらに巨大な影が立った。

 ごん、という後頭部への衝撃と共に典韋は意識を失った。倒れた典韋の背後には方天戟を握った呂布がちょっと困惑した顔で頭を掻いていた。

「すまんな。貂蝉あの女の命令なのだ」


 ☆


 戦闘はすでに終わっていた。

 曹操の青州兵と呂布の騎馬隊はお互いに距離を置き、睨みあっている。激戦だった割には、どちらにも死者は出ていなかった。

「殺すな」というのが貂蝉の命令だったからだ。


「ごきげんよう、曹操さま」

 呂布と張遼が左右に別れ、道を開けると、正面に軽武装した貂蝉がちょこんと立っていた。尻もちをついた曹操に合わせて貂蝉もしゃがみ込む。

「今日はお話があって罷り越しました」


「嘘をつけ! 何だこの化け物のような連中は」

 驚いたように貂蝉は左右の呂布と張遼を見上げた。

「この人たちは化け物なんかじゃありません。こう見えても彼らは人間なんです。酷い事を言わないで下さい」

 口をとがらせる貂蝉。


「いや。なんだか美しい事を言っている風を装っておられますが。『こう見えても』は余計ですよ。貂蝉どの」

 張遼はむっとするが、呂布は気にした様子もなく曹操を観察している。


「なるほど、これが『乱世の奸雄』か。いかにも悪そうな顔をしているな」

 言われて、曹操の目がつり上がった。

「貴様にだけは言われたくないわっ。この間抜け面め」


「なにおっ、蟻んこチビのくせに」

「貴様こそデカいだけで、あそこはどうせフニャフニャなのであろう」

「い、い、言ったな。俺がフニャチンかどうか見せてやろうぞ。その貧相な尻でとくと味わうが良いわっ」

 そう言うと呂布は服の裾を捲り上げ始める。


「もう、いい加減にしなさいっ!」


 貂蝉に怒られて、呂布と曹操はしゅん、としょげる。

 後々、曹操と呂布が仇敵と云われるようになる因縁は、実にこの時に始まるのである。


 ☆


「徐州へ侵攻した理由だと」

 本営を整え、曹操は貂蝉たち三人を招じ入れた。

「ええ。お父さまを殺害されたから、というのは理由としてよく分かります。でも、それにしても酷すぎませんか」

「ひどい、だと。これだから女は困るのだ」

 曹操は鋭い視線を貂蝉に向けた。


「よく聞け。奴らは、わしが大切にしていた書籍を全て焼いてしまったのだ。せっかく戦火を避けるために避難させていたというのに」

「ああ。そっちでしたか」

 曹嵩が持っていた荷物が財宝ではないと知った襲撃者は、荷車ごとその本を焼き払ってしまったのだ。


「ああ、ではない。二度と手に入らないかも知れない稀覯本きこうぼんもあったのだぞ。それをあの無知な下郎ども」

 ひーん、と曹操は突っ伏して号泣しはじめた。

「これを歴史上の損失といわずして何という」


「だから、わしは決めたのだ」

 そういって曹操は顔をあげた。

「これからは、わしが世の人を欺くとも、世人がわしを欺くことは決して許さん、とな」

 ふん、と曹操は胸を張った。


「それは、最低ですね」

 貂蝉は顔をそむけて呟いた。


 ☆


 結局、貂蝉と曹操の会談は物別れに終わった。

 決定的だったのは献帝の処遇だった。

「もはや漢の世の中ではない。陛下には、あらたな国家秩序の礎となって頂く」

 そのために、曹操が整えている許都へ献帝を迎えるつもりだという。

「利用できるだけ利用して捨てる、という事ですか」


「悪いか」

 曹操は貂蝉の瞳を覗き込み、眉をひそめた。

「そなたとて、よもや漢王朝の再興が可能だ、などと考えているのではないだろう?」

 もちろん今となっては、それがいかに困難か貂蝉にも想像がついていた。そこまで望むのは高望みに過ぎるという事も。

「あの方には平穏な一生を送って頂きたいと思っているだけです」


 頷いた曹操は少し哀し気に見えた。

「これは郷愁でしかないとは分かっているのだ。しかし、この漢という国にもう一度、かつての栄華を取り戻したいというのは、わしの本心でもある」

「曹操さま」

「だが、それは不可能事だ。もはや漢の世は終わりだ。この傾いた王朝を復興させようとする程の気概を持った高祖( 劉邦)の末裔は存在しない」


「もし、そのような者がいたら」

 貂蝉は静かに問うた。


 もし……だと。曹操はまさに乱世の奸雄と呼ばれるに相応しい、凄味のある笑顔をみせた。もし劉邦の末裔が自分の邪魔をするならば。

「だとすれば、跡形も無く叩き潰すまでよ」


 ☆


 その頃、曹操の侵略をきっかけに、徐州の陶謙は病の床につくことになった。

「儂はもう駄目じゃ。この後のことは貴公にお願いしたい。ぜひ、この徐州をお頼み申す。お願いしますのじゃ」

 陶謙がその男の手を握り、何度も懇願する。


「いやあ、わたしなど。到底その任に堪えませんけども」


 やたらと腕と耳たぶの長いその男。笑み崩れそうになる顔を辛うじて真面目に装っていたのは、言うまでも無く劉備だった。

 目立った能力は無い癖になぜか他人に慕われる劉備は、結局、徐州の太守に就くことになった。


 漢の中山靖王劉勝の末裔と自称する劉備。当然、先祖をたどれば漢の高祖劉邦に行きつく。曹操がそれを見逃すはずはなかった。



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