第22話 徐州の惨劇は続く

 曹操の父 曹嵩そうすうは、金で贖ったとはいえ、三公のひとつ太尉たいいを務めた名士である。当然ながら朝廷において陶謙とも交流があった。

 董卓の暴虐によって混乱が続く中央から、曹嵩も東の徐州へ難を逃れるつもりで旧知の陶謙の許を訪れていたのだった。

 やや平穏となったことから曹嵩は息子の待つ譙へ向けて帰ろうとしていた。悲劇はその時に起こった。


 曹嵩の一行が徐州の都 下邳かひを離れた辺りから、まことしやかな噂が流れ始めた。

「あれは密かに莫大な財宝を運んでいるのだ」と。

 現に山賊と思われる輩が出没し始め、曹嵩は慌てて陶謙に保護を求めた。ところが護衛のために派遣された陶謙の武将、張闓ちょうがいまでもその噂を信じ、財宝に目が眩んでいたのである。

 張闓は曹嵩と妻女、付き従う使用人までも皆殺しにして荷物を奪っていった。


「これのどこが財宝なのだ」

 血塗れの剣を提げ、荷車の覆いをはぎ取った張闓は積荷を見て青ざめた。荷車に山積みされていたのは大量の書物、竹簡だった。

け!」

 荷車に火を放ち、彼らは逃散した。


 ☆


「まて、気持ちは分かるが徐州の民に罪はないだろう。落ち着け!」

 曹操は止めようとして抱きつく夏侯惇の大柄な体を引きずりながら、本営へと向かって行く。


「離せ夏侯惇。これは正当な復讐だ。直ちに兵を集め出兵するぞ」

「駄目だと言ったらだめだ。程昱どのも止めてくれ」

 夏侯惇は声を聞き付けてやって来た長身の参謀に声をかけた。

 ふむ、と程昱は首をかしげた。


「夏侯惇どのの言われる通りです。これは戦略的に意味の無い戦さになりましょう。つまり、金、兵糧、兵士の無駄使いという事です」

 冷徹な程昱の言葉に、ぐぐぐ、と曹操は呻いた。


「これは損得ではないのだ。……夏侯惇!」

 曹操は自分の胸を指差した。

「夏侯惇、おれの綽名は何だ。言ってみろ」


「綽名だと。お前のか」

 夏侯惇は目を細めた。曹操は幼少期から色々な名で呼ばれている。だが一つあげるならば。

阿瞞あまん(嘘つき小僧)か?」


「そっちではないわ! あれじゃ。あの『乱世の奸雄』だろうがっ。おれは阿瞞などと呼ばれた事はないっ」

 曹操は真っ赤になって怒っている。

「いや、でも確かに昔……」


 後の世に「曹瞞伝そうまんでん」という書物が伝わる。曹操は少年の頃からずる賢く、大人を騙しては悦に入っていた、といった事が書いてある。

 本人はこうして否定しているが、ややそれに近い事はあったのかもしれない。


「青州兵を集めろ、典韋てんい

 曹操は親衛隊長の典韋に命じた。青州兵とは青州(現・山東省)に勢力を張っていた黄巾賊の残党である。ただし残党とはいえ女子供を含めた総数は百万人。兵士に限っても三十万人を超すという一大勢力である。

 曹操はその中から精鋭を選りすぐり、自ら率いる軍の主力としていた。


「徐州の裏切者どもめ、根切にしてくれる」

 血走った目で低く唸る曹操を見て、夏侯惇はため息をついた。夏侯惇の懸念は間もなく現実のものとなる。この徐州侵攻は後に、曹操の悪行の最たるものとして巷に喧伝されることになるのである。

 だがこの激しさこそ、曹操が乱世の奸雄と呼ばれる所以でもあるのだろう。


 曹操の命令一下、徐州に侵攻した青州兵は各地で文字通りの屍山血河を築き、中華全土を震え上がらせた。


 ☆


「なんと、少し遅かったか」

 顔を覆って劉備は慟哭する。劉備、関羽、張飛の三人は陶謙の依頼を受けた公孫瓚から徐州救援に派遣されたのだった。

 さすがに今回は騎馬部隊を含め、数百人ほどの兵を率いていた。


 だが、彼らの前には動くものすら見当たらない廃墟があるばかりだった。さすがに徐州の中心である下邳かひは無事だったが、曹操の本拠地、譙に近い辺りは無残な光景が広がっている。


「それは兄者が途中で草鞋わらじを作って売ろうとか、欲を出すからではないか」

 張飛は口をとがらせた。

「そう言うな、張飛。吝嗇な公孫瓚が軍資金を出そうとしなかったのはお前も知っているだろう」

 それを関羽がたしなめる。ましてや、こんな怪しげな集団に資金を提供してくれるような奇特な人物が他に居るはずも無いのだった。金が無ければ自分たちで稼がねばならないのである。


「そうか。それで食事が三日に一度だったのか。どうりで腹が空いたわけだ」

「すまぬのう、こんな甲斐性のない兄で」

 めそめそと劉備は泣き始めた。それにつられて泣き出す張飛。見れば従えた兵士達もみな男泣きしている。

 関羽は呆れ顔でその一団を見た。

「長兄。この辺は見事な統率力、と言えないこともないが……」


「さっさと下邳の城へ入りましょう」

 泣きじゃくるむさ苦しい男どもを関羽は促した。


 ☆


 劉備たちとは別に、徐州に近づく軍団があった。少数ながら、見事に統制のとれた動きを見せるのは呂布と張遼の率いる騎馬隊だった。先頭を行く貂蝉の両側を彼らは並んで進んでいる。


「曹操が徐州に攻め込んだらしい」

 斥候の報告を受けた張遼が貂蝉に告げる。

「このままでは曹操軍と鉢合わせの可能性がありますが」

 それも精鋭中の精鋭、青州兵だという。兵力差は十倍どころではない。


「曹操さまとは敵対したくありませんから、交渉に訴えましょう」

 ただし、と貂蝉は微かな笑みをみせた。

「それはこちらの武威を見せつけてからです」

 決して降伏する訳ではないのだと云う所を、曹操に示しておかねばならない。


 呂布と張遼は互いに顔を見合わせる。

「それでなくては、な!」

 張遼は剣の鞘を鳴らし、呂布は方天戟を突き上げた。


「では曹操さまへ、ご挨拶に参りましょう」


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