第21話 貂蝉、新たな下僕を得る

 反董卓連合軍に加わり大敗を喫した曹操は、故郷のしょうに戻り再びその勢力を拡大していた。

 ただひとり敢然と董卓に闘いを挑んだ曹操の威名は、本人も想像しなかったほど高い。やがて、曹操の陣営に加わりたいという名士や豪族が、毎日のように彼の屋敷の門をくぐるようになった。


潁陰えいいん荀彧じゅんいくと申します」

 その日、曹操の許を訪れた若い男は謹厳な顔で一礼した。驚喜した曹操は駆け寄ると彼の手をとった。

「袁紹のところにおられた荀彧どのか!」

 さあさあ、と肩を抱くようにして中へ招き入れる。


 荀彧は人物評で有名な何顒かぎょうから『王佐の才あり』と評された逸材である。中央の戦乱を避けるため冀州に移住していたが、曹操の求めに応じ馳せ参じたのだ。

 曹操から、漢建国の功臣、張良(あざな 子房)になぞらえ『わが子房』とまで呼ばれた名臣はこの時から曹操陣営に加わる事になった。


 ☆


 南陽を脱出した貂蝉と呂布は、後方から迫って来る騎馬隊に気付いた。

「早いな、もう追手がかかったか」

 よく統制のとれたその一団は呂布が驚くほどの速度で接近し、半包囲する陣形になった。

「これは逃げきれそうにない」

 馬を返すと呂布は方天戟を構え、貂蝉は細剣を抜きはらった。


「やっと見つけたぞ、呂布!」

 先頭の騎士が怒鳴り、手にした大剣で後続の騎馬隊を制する。それを見た呂布も方天戟を握り直した。

 だが呂布は相手が誰であるか見定めると破顔一笑した。


「遅かったではないか。お前こそ何処に行っておった、張遼」

「すまん。まあ、色々あってな」

 張遼と呼ばれたその武将も、呂布を見て明るく笑った。


「誰です。追手ではないのですか」

 怪訝そうな貂蝉に、呂布は振り向いて言った。

「ああ。この男は張遼という。丁原の配下で、は董卓に仕えていた」

「二重の仇じゃないですか!」

 そのどちらも呂布と貂蝉が殺してしまっている。張遼からすれば二度も主を殺した憎むべき下手人になるのではないか。


「大丈夫だぞ。こいつは俺の同僚だからな」

 呂布と同じで、別にあの二人に忠誠心を持っていた訳ではないらしい。董卓の命令で幷州に戻り部隊の編成を行っていたが、その董卓の死と呂布の出奔を聞いて、こうやって呂布を追ってきたのだった。


「それにしても遅かったな。また道に迷っていたのか」

 呂布に責められ、ははは、と張遼は笑う。


「いやいや。揚州へ向かっている筈なのに、進めば進む程寒くなるしな。そのうち荒涼とした平原に出てしまったので、やっとこれは逆の北へ向かっていたのだと気付いたのさ」

 貂蝉はどういった表情をすればいいのか分からなかった。


「まあ早めに気付いて良かった。そのまま北へ進むと、雪原には白熊がいるらしいからな。張遼、おまえ襲われるところだったぞ」

「おお。それはぞっとしないな」

「しかし何故、北と南を間違えるのだ。太陽が昇る側で方角が分かると以前教えてやっただろう。太陽はどっちから昇るのだった?」

 うーん、と張遼は考え込んだ。


「……この季節は主に昇る、かな」

「なんだ。それが分かっていて、なぜ道に迷うのだ。困ったやつだのう」

「いや、面目ない」

 呂布と張遼は馬上で大笑いしている。貂蝉は眉間を押え、そっとその場から離れた。

「こいつらのバカが伝染したら嫌だな」

 小さな声で呟く。


 ☆


「冗談はさておき、黒山賊の勢力圏を抜けるのに手間取ったのだ」

 張遼は精悍な顔を少し歪ませた。

「奴ら、こっちが少数だと侮りおって。まあ皆殺しにしてやったけれどな」

 本当に道を間違えた訳ではなかったらしい。貂蝉は胸を撫でおろした。


 黄巾の乱以降、各地で賊の蜂起が相次いだ。白波賊や五斗米道(米賊)、そしてこの黒山賊である。

 楊奉率いる白波賊は朝廷に帰順し、長安で皇帝の警固を担当しているが、五斗米道は漢中に勢力を拡げ、もはや一国の様相を呈している。

 そんな中、黒山賊は未だ北方に蟠踞し、総数100万人と号していた。


「なるほど黒山賊か、厄介だな。袁紹のところに行こうかと思ったが、街道が封鎖されているかもしれん」

 呂布は地図を拡げた。そこには地名と、有力な諸侯の名が記されている。現在位置はここだからな、と指差す。

「違うぞ、呂布。それでは地図が上下逆だ」

「おや」


「とにかく。このまま流浪を続ける訳にもいきません。いちばん近いのはどこなのです」

 苛立った貂蝉の声に、張遼は地図から目をあげた。

「誰だ? この女は」

「王允の義娘むすめの貂蝉どのだ。こう見えて董卓を討った勇敢な女だぞ」


 おう、と張遼は目を瞠った。すぐに片膝をつく。

「知らぬとは申せ、ご無礼をお許し下さい。いや、本当なのか呂布よ。この方があの化け物のような漢を……」

 呂布は頷く。張遼は尊敬に満ちた潤んだ瞳で貂蝉を見上げた。

「凄い。我ら武人でも成し得ぬ事を、このようなたおやかな美女が」


「それが、そこまでお上品ではないのだが、うっ……」

 的確にみぞおちを痛打された呂布は無言でうずくまった。


「徐州へ向かいましょう」

 張遼は地図を指差した。領主は陶謙という老人だ。国内では比較的穏健な統治が行われ、目立った混乱は起きていない。

「ですが徐州の北にあたる青州では黄巾賊の残党による被害が大きく、国境付近での小競り合いが起きているようです。歓迎はされないにしても、追い払われる事もないでしょう」

 張遼は貂蝉に対し、すっかり丁寧な口調になっていた。



 だが、徐州では大事件が起こっていた。

 徐州の牧 陶謙を訪れた曹操の父、曹嵩の一行が陶謙の部下によって惨殺されたのだ。


 激怒した曹操は徐州へ向け、復讐の兵を挙げた。



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