第18話 涼州軍の逆襲

 長安の政変を聞いた李傕りかく郭汜かくしは暫くの間、言葉を失った。

「なぜだ。呂布もそばに居たのだろう。守れなかったのか」

「その呂布が司徒の王允と共謀したのだという噂もある。だから、あんな野郎は信用ならないと言ったのだ」

 郭汜は卓に拳を叩きつける。


 呂布という男。丁原を裏切ったかと思えば、今度は董卓を手に掛ける。その行状からは、まったく信義とか節操というものが感じられない。繊細さなど持ち合わせない李傕でさえ、空恐ろしいものを感じた。


「呂布のような奴を身近に置いたのは、董卓最大の失策だったな」

「うむ。呂布め、人としてああは成りたくないものだ」

 粗暴で鳴る二人から散々にこき下ろされる呂布だったが、本人からすれば半分は身に覚えがない、濡れ衣ではあった。


 涼州軍閥の代表格である董卓を喪ったことは、李傕ら別動隊にも激しい衝撃を与えた。まさか今さら周辺諸侯に援助を乞う訳にもいかない。

 しかしこのまま呂布率いる主力軍と戦闘になれば、滅亡は必至だった。


「逃げるか、郭汜」

「うむ。仕方あるまい」

 軍を率いては目立ち過ぎる。もはや軍を解散し、おのおのが活路を開くしか方法は無いだろうと思われた。


「では軍を招集して、むう……賈詡かく。どこへ行くのだ?」

 外の廊下を気付かれないよう、忍び足で通り過ぎようとしていた痩身の男は、呼び止められ、びくっと身体を震わせた。

「な、何でしょう。李傕将軍」


 この賈詡という男は元々、朝廷の高級官僚だったが、成り行きから李傕の幕僚のような事をさせられている。

 嫌々ながら振り返った賈詡に、李傕は凄味の有る笑顔を向けた。

「いい所に来た。お前に相談があるのだ」



 李傕らの計画を聞いた賈詡は内心、それも悪くないと思った。賊徒といっていいこの二人の勢力が消滅すれば、世はやや安寧に近づくだろう。

 だが、ある考えが賈詡の頭をよぎった。どうせなら呂布との共倒れを狙えないだろうか。これはいわゆる二虎競食の計である。問題はいま以上に戦火が拡大する恐れがあることだが。

(そこは、こいつらを上手く操ればいいことだ)

 自分なら出来る。賈詡はそんな思いを顔には出さず、頷いた。


「軍の解散など思いもよりません。そんな事をすれば地方の官吏ですら容易に我らを捕縛することができます。ここは軍を集め、反王允、反呂布を掲げて長安へ進攻すべきです」


 長安では、呂布のみならず王允に関しても批判が多い。

 崔邕の処刑でも分かるように、刑罰の量刑に私情を挟み、政権運営にあたっても法の条文を盾に全く融通が利かない。さらには官吏登用にも依怙贔屓が多かった。


「一部には王莽おうもうの再来では、との声も上がっている由を伝え聞きます」

 前漢を滅ぼし「新」という王朝を建てた王莽は、古代の制度を強引に復活させるなど、時代に合わぬ失政を繰り返した揚げ句、中興の祖、後漢の光武帝によって滅ぼされるに至る。


「勝てるか、賈詡」

「ほぼ間違いなく」


 後に、曹操、そして魏の文帝 曹丕に智謀をもって仕え、名声を得た賈詡であるが、この時の判断に限っては後世から厳しく指弾されている。

 李傕と郭汜の軍を長安へと向けさせ、戦乱を長引かせたのがその理由である。賈詡ほどの謀士にして、若さを露呈したと云うべきだろうか。


 ☆


 董卓死す、の報は中華全土に伝わったが、長安に入り皇帝のために働こうという諸侯は現れなかった。


 徐栄軍との激戦で手勢の多くを失った曹操はもとより、勇戦した孫堅も兵糧が尽きたため江東へ撤退するしかなかった。これには孫堅の功績を妬んだ袁術が兵糧輸送を阻害したからだとも言われる。


 幽州では、かつて袁紹によって皇帝に擬せられた劉虞りゅうぐ公孫瓚こうそんさんによって攻め滅ぼされ、その公孫瓚を討つために袁紹は大軍を率い北へ向かっていた。


 結局、長安に残るのは董卓の残党ばかりという状況は変わらなかった。



「暇そうですね、呂布どの」

 居間に入った貂蝉は、長椅子に寝転ぶ呂布を見て呆れたように言った。董卓に殴られた頬の腫れもようやく引き、本来の玲瓏さを取り戻している。


 呂布は頭だけ持ち上げ貂蝉を見た。

「おう。軍権を取り上げられては、おれのような武人はすることがないのでな」

 王允は呂布の指揮権を剥奪し、一介の衛士扱いにしてしまったのだ。そして呂布の軍団は王允のお気に入りの官僚に与えられた。その男に軍隊を率いた経験があったかどうかは定かでない。


「この王朝は士大夫によって成るものである。呂布のごとき匹夫は門番をしているのが似つかわしい」

 王允とその官僚の間にそういった会話がなされたというが、呂布は関心を示さなかった。

「結局兵士は、より強い将に従うものだ」

 戦場を知り抜いた呂布は、そう嘯いた。


 李傕、郭汜の軍団を迎えた函谷関は、ほとんど無抵抗のままその扉を開いた。その軍にはやはり董卓の配下だった樊稠はんちゅう張済ちょうせいらが加わり、十万を超す大軍となっていた。


「これは集まり過ぎた」

 李傕の参謀、賈詡は焦ったがもう既に遅かった。圧倒的な大軍は迎撃に出た朝廷軍を一蹴し、帝都長安に迫った。

 呂布とこの李傕の軍を拮抗させ、ともに疲弊させようという賈詡の策謀はあっさりと破綻した。


 

「そろそろ脱出せねばならんようだ」

 呂布は貂蝉を伴い王允の許を訪れた。しかし共に長安を出ようという呂布と貂蝉に対し、王允は口を極め激しく罵った。


「我らは士大夫である。賊などに降伏など出来るはずがないであろう。貴様ら売女や匹夫のような下賤の者とは違うのだ。さっさと降伏でも逃亡でもするがいい」

 貂蝉の顔から血の気が引いた。

「そんな……」


「李傕の挙兵した名目は『君側の奸を除く』だからな。お互い様だろうよ」

 鼻で笑い、呂布は貂蝉の手を引いた。

「では王允どのの許可は貰った。堂々と逃げ出そうではないか、貂蝉」

 貂蝉は、かつて養父と呼んだ男を何度も振り返りながら長安の宮殿を出た。




 長安の城壁が李傕の軍によって隙間なく包囲されたのは、そのすぐ後のことだった。降伏を拒否したその城門は、あっけなく破壊された。

 城内に乱入した涼州の兵によって王允は惨殺され、彼が権力を握っていた期間は董卓の死後、数十日で終わった。




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