第17話 長安に夜明けは来るか

 廃帝となった劉辨りゅうべんと共に病死と伝えられた皇后は、宦官を一掃しようと企み逆に暗殺された大将軍 何進の妹でもある。美貌の持ち主ではあったが、権勢欲が強く、自らに敵対するものには容赦しなかった。


 霊帝の寵愛を受けた王美人が男児を出産したと知った何皇后は、年々、嫉妬と焦りをつのらせた。そこで密かに謀計を巡らし、王美人を追放する事に成功した。皇子だけを残し、王美人の一族は宮廷を追われることになったのだ。

 だがその一行は洛陽を出て間もなく、行方知れずとなった。


 遺された少年劉協は、長じて更に数奇な運命をたどることになる。これが現在の皇帝、献帝である。


 ☆


 謁見の間に入った董卓と貂蝉は無人の玉座の前に立った。

 貂蝉は膝をつき、皇帝の入来を待つ。


 仰々しい前触れなどもなく、小柄な少年が側近と共に現れ玉座についた。

「董太師、今日はどういった用向きであるか」

 まだ高い少年の声で劉協は言った。


 董卓は軽く形ばかりの礼を返す。

「陛下に、この者を仕えさせようと存ずる」

 低い声が堂内に響いた。


 貂蝉は思わず顔をあげた。玉座の少年皇帝と目が合い、慌てて目を伏せた。

「そうか。名前は何というのだ」

 皇帝の声に、貂蝉は立ち上がったままの董卓を見上げた。董卓は皇帝に向けて顎をしゃくる。直答せよという事だ。


「司徒 王允の娘、貂蝉でございます」

 少しだけ貂蝉の声が震えた。その横で董卓が、ふんと鼻を鳴らす。


「貂蝉、か。珍しい名だな」

 てんせみ。どちらも士大夫の冠を飾るものである。

「では、よろしく頼む。貂蝉」

 拝礼を行う貂蝉をどこか不思議そうに見ながら、劉協は退席した。


 ☆


 居室に戻った貂蝉は、抗う間もなく董卓に犯された。


「やはりお前は劉協の縁者なのだな。俺を殺しに来たか」

 董卓は彼女を寝台に組み伏せ、宮女の官服を引き裂く。露になった胸の膨らみを千切らんばかりに捩じ上げた。

「ぐ、ううっ」

 悲鳴を押し殺す貂蝉の頬を、董卓は容赦なく殴りつけた。一瞬、意識が薄れた貂蝉は、大きく両脚を拡げられていた。


 貂蝉のほっそりとした脚を両脇に抱え、董卓は激しく腰を打ち付ける。苦悶の表情を浮かべる貂蝉の唇を奪い、董卓は獰猛に笑った。

「どうやら図星だったようだな。細いように見えて、これは相当に鍛錬している」

 そう言いながら、彼女の上腕や内腿を撫で上げる。


「な、なぜ……」

「お前の顔には見覚えがあるのだ。いや、お前自身ではなかったがな」

 もっと年上の女だ。董卓はすっと目を細めた。


「劉協の母親だ。名前は王美人といった」

「どこで見たのだ……っ」

 くくっ、と笑った董卓は乱暴に腰を突き上げた。貂蝉は息が詰まる。

「その女が宮廷を追放された時だ。俺が引き取ってやったのよ。何皇后が、好きにしろとの仰せだったのでな」


 董卓は繋がったままの局部に手を伸ばす。

 あっ、と貂蝉が声をあげた。

「こんな風に……随分と愉しませてもらったのだが、ある日事故が起きてな」

 男の息が荒くなってきた。強く貂蝉の身体を抱き寄せると、さらに深く彼女の中を穿つ。

 それに応えるように、貂蝉も董卓の頭を抱えるように手を回した。

「事……故?」

 とろん、と焦点を失ったような瞳で董卓を見返す。


「その女、自分で舌を噛みおったのさ。……ところで王美人には他に娘がいた筈だが、その一行には入っていなかった。おそらくどこかではぐれたのだろう」

 甘い喘ぎ声をあげる貂蝉を見下ろし、董卓はまた獰猛な笑い顔をみせた。

「それがお前だな、貂蝉」


 細い眉を顰め、今にも絶頂に達そうとしている風情だった貂蝉は、すっと目を開ける。月の光のような冷ややかな双眸で董卓を見上げた。


「その目だ。……あの女も最後はそんな目をしていた」

 呻くように言った董卓は、頭の後ろで金属の触れ合うような音を聞いた。


 董卓の頭に回していた貂蝉の繊手が彼の首筋を撫でおろした。氷の塊が身体を通り抜けたような、凄まじい快感に董卓は全身を震わせた。

「おおう!」

 董卓は上体をそらすと大きく吼える。熱い鮮血が貂蝉の顔に降り注いだ。


 貂蝉の腕飾りは、装飾の部分に鋭い刃が隠されていた。それは董卓の頸動脈を切り裂いていた。

 董卓の首筋から噴出する血を浴びながら、貂蝉は唇をかんだ。瀕死の董卓は最後の精を彼女の中に注ぎ込みながら息絶えた。


 ☆


「暴君、董卓は死んだ!」

 宮殿前に集まった民衆に向け、王允は宣言した。

 そこには台が設けられ、首を討たれた董卓の巨体が晒されていた。亡骸になったとはいえ、誰も恐れて近づこうとはしない。

 王允は満足げに頷く。


 だが翌朝、晒されていた董卓の首が紛失しているのに王允は気付いた。おそらく董卓の残党が、その首をどこかに埋葬しようというのだろう。

「捜せ、そやつも漢王朝に対する謀反人だ」


 董卓の部下は呂布が引き継いだが、それ以外にも董卓の配下は多くこの長安に残っている。董卓の親兄弟にも官職を得、高位に上っている者が多数あった。彼らは皆、捕縛されこの広場で斬られた。

 董卓の参謀格だった李儒もその一人だ。


「われらは主君に忠節をつくしたのみ。政権を握ったものの都合で殺すというのであれば、お主らもいずれまた同じ目に遭うだろう」

 李儒は顔色ひとつ変えず刑場に赴き、そして斬られた。


 連日処刑が続き、民衆もやや興味を失ってきたかに思えたが、その日、刑場に引き出された男を見た民衆は驚きの声をあげた。

崔邕さいようさまだ」

「なぜあの方が」


 崔邕は当代随一の学者として名高い。彼はいま『漢書』に続く歴史書を編纂している。その時代の歴史を書き遺すという事は、周代の『春秋』、前漢の『史記』に始まり、後には、その王朝の果たすべき義務とまでなった。

 

「崔邕は朝廷の高官にありながら、反逆者董卓に阿諛おもねり、さらには、その死を惜しみ哭するという暴挙を行った。よって死罪に処すものである」

 これは王允自身が罪状を読み上げたものだ。


「自分だって、董卓が健在の時は身を屈めて尻尾を振っていたくせに」

 民衆の間から上がった声を王允は黙殺した。非難の声の中、崔邕は処刑された。


 こうして長安の軍事は呂布、政治は王允という体制が出来上がった。

 だがそれも長くは続かなかった。


「李傕と郭汜の軍が、長安を目指して反転進攻している」

 その凶報は、ふたたび長安を揺るがす戦乱の始まりだった。


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