第15話 洛陽炎上す

 曹操の元に袁紹からの使者が訪れた。

(まさか出兵を止めようというのか)

 だとすれば、厄介だが。夏侯惇と顔を見合わせた曹操は、使者を引見することにした。

 だが使者の口上は意外なものだった。まず使者は現在の戦況の膠着状態を述べた後、原因は盟主不在のせいだというのだ。


「待て。袁紹が盟主ではなかったのか。わたしはずっと、そう思っていたが」

 曹操は笑おうとしたが、それは喉の奥で引っ掛かっていた。

「いえ、この度の挙兵は朝廷を占拠する賊を排除する為のもの。盟主は皇族であるべきでございます」

「ふむ。それで」

 舌打ちしたいのをこらえ、曹操は先を促す。もうここで袁紹の魂胆は明らかだった。董卓が献帝を奉戴していることで、官軍としての振舞いをしているのが癪にさわる、というのだろう。

「幽州の牧、劉虞りゅうぐさまを皇帝に推戴したいと考えますが、ご賛同頂けましょうや」


 曹操は劉虞の穏やかな、いかにも長者(有徳者)然とした姿を思い出した。

 たしかに傀儡にするには最適だろう。だが、さすがにその言葉は呑み込む。

「無理だな。あの方は決して受けないだろう」

 以前からこの劉虞を皇帝に、という話は何度も浮かんでは消えている。その度に劉虞自身が固辞したからである。それは後継者争いこそ皇室を弱体化する最大の要因であると、よく理解しているからだった。

 劉虞は温厚なだけでなく、聡明な男だった。

 それが、こんな状況になって俄かに受諾するとは考えられないではないか。


 袁紹とは所詮その程度の男か。うんざりした曹操は形ばかりは丁重に使者をもてなしたが、結局使者が望む答えは与えず追い返した。



「やはり、我らだけで征く」

 曹操は自軍の将領を集めた。河内に駐屯する袁紹は政略ごっこにうつつを抜かし、自ら血を流す覚悟は無いのがはっきりした。


程昱ていいく、作戦案はあるか」

 この中で最も年かさの参謀は黙って首を横に振った。

「有りませんな。ただ攻めるのみ」

「よかろう。望むところだ」

 曹操は地図上の一点を指し示した。


「我らの目標はただ一つ。徐栄の軍を突破し、洛陽の董卓を討つ!」


 ☆


 突出した曹操と鮑信の軍は、重厚に布陣した徐栄の前衛を粉砕した。まさかこんな少数で攻撃を仕掛けて来るとは思わなかったのだろう、徐栄軍は一斉に後退を始めた。

「一気に突き破れ!」

 夏侯淵を先鋒に、曹仁、楽進ら曹操軍の精鋭が、くさびを打ち込むように徐栄の本陣に迫る。


 だが後退すると見せかけ次々に新手を繰り出す徐栄軍の前に、曹操軍の鋭鋒も遂にその前進を停めた。気付けば周囲は全て徐栄の軍だった。


「包囲されたな、曹操どの」

 相変わらずのんびりした調子で鮑信は周囲を見回した。手にした剣は刃こぼれし、途中で折れていた。

 曹操は彼を見直した。曹操配下の、どの将より鮑信は勇猛に戦っていた。


「人は見かけに依らぬものだ」

「何か言われましたかな」

「いや。包囲されたら突破するのみだ、鮑信どの」

「もっともです」


 曹操と鮑信は軍をまとめ、包囲陣の後方へ叩きつけた。強引にこじ開けた包囲の穴から脱出を図る。

「曹操どの。どうぞお先に」

 鮑信は最後尾に下がる。

「冗談を言うな、殿軍はこの曹操が務める」

 いやいや、と鮑信は笑った。

「この乱世。私などおらぬとも変わりはないが、曹操どのの様な方を失う訳にはいきません。さあ、早く」

 鮑信は曹操の馬の尻を叩き、戦場を離脱させる。


「曹操どの。乱世の奸雄の名に恥じぬ働きを、頼みますぞ」

 走り去る曹操を見送った鮑信は、再び馬首を徐栄の追手に向けた。

 その姿はすぐに徐栄軍に囲まれ見えなくなった。



 惨憺たる敗戦だったが、曹操軍はただ潰走したのではなかった。

 夏侯惇、曹仁といった一族、そして李典、楽進といった新しく加わった軍が敵の攻勢を峻拒し、何度も反撃の姿勢を見せた後、酸棗へと撤退していった。その旺盛な戦意に、徐栄はそれ以上追撃する事無く、洛陽へと兵を退いた。


 この戦いにおいて、敗れたとはいえ曹操はその名を天下に顕す事になった。


 ☆


 徐栄に代わって前線に出て来たのは呂布である。

 応戦した劉岱、張邈はひとたまりもなく敗れ去った。傷を負った曹操も後方に下がっているため、反撃の意志を示すものはもういなかった。

 戦場を暴風のように暴れまわる呂布ひとりによって、連合軍は崩壊の危機に瀕していた。


「ふっ。たかが呂布一人に、みっともないものだな」

 本営に集まり、撤退の相談をしていた張邈たちの耳に、だみ声が響いた。

「誰だ、そのような大言をするのは」

 すると、陣幕を押し開き、薄汚い三人の男が入って来た。


「呼ばれて飛び出て……いやいや、そうではない。問われて名乗るもおこがましいが、私は漢の中山靖王劉勝の末裔、公孫瓚将軍とは同じ塾で学び、黄巾の乱では……って、おいこら、何をする関羽」

「だから、兄者の自己紹介はくどいのだと言ったでしょう。少し黙っていてくれませんか」

 劉備は関羽に首根っこを掴まれている。そして、さっきのだみ声の男、張飛が前に進み出た。得意げに胸を張る。


「なんだ貴様は。無礼であろう」

 張邈が指差した。怒りを抑えきれない様子で、その指がふるえている。


 にやり、と張飛は不敵に笑った。

「あの呂布、我らが討ち取って見せようというのだ。どうだ、悪い話ではあるまい」

 ざわめく中に、張飛の高笑いが響いた。


「報告します!」

 その時、急使が駆け込んできた。


「董卓は洛陽の都に火を放ち、長安へ撤退を開始しました! 徐栄、呂布も軍を引いています!」


「え?」

 劉備、関羽、張飛は、ぽかんと口を開けた。

 どうやら、彼らが大手柄を挙げる機会は永遠に失われたようだった。


 ☆


 かつて秦の都だった咸陽が項羽によって焼き払われた時も斯くや、と思わせる大火が洛陽を包んでいた。それを知った連合諸侯は我先に宮殿に侵入し、手当たり次第に略奪行為に及んだ。そんな中、率先して消火活動を行ったのは孫堅だけだったと伝えられる。


 一方、董卓は先に皇帝を遷した長安へ入り、天下の要害である函谷関かんこくかんを閉ざした。その函谷関を抜いてまで長安へ向かおうという諸侯はもういなかった。目的を失った彼らは、自らの領地へ戻って行った。


 こうして反董卓諸侯連合はあっけなく消滅した。

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