第14話 曹操、抜け駆けを企てる

 献帝 劉協を迎えた長安。

 当初こそ混乱の極みにあったが、次第に平穏を取り戻していった。これは三公の下、実務を取り仕切る荀攸じゅんゆう鍾繇しょうようの力によるところが大きい。

 彼らは董卓が抑えとして残した部将、楊奉ようほうの武力を用いて都内の賊を取り締まり、飢民には官倉を開いて食料の施しを行った。

 人心が落ち着くとともに、周囲に離散した住民たちも帰って来つつある。

 かつての『長安の春』と呼ばれた繁栄には程遠いにせよ、ようやく早春の兆しは仄見えていた。


「董卓め、このまま滅ぼされてしまえば良いものを。一体なにをやっているのだ、袁紹は」

 漢の司徒 王允は歯がみしながら、自室で戦況の報告を受けていた。

 東の旧帝都、洛陽に迫る反董卓諸侯連合軍は、華雄を討ち取ったものの、残る呂布と徐栄に阻まれ、その後まったく動きを止めていた。


 洛陽城内に健在な董卓の本軍に加え、周辺を荒らしまわっている李傕、郭汜が企図せず別働隊のように連合軍の足を止めさせていることもあった。

 最初から見栄と下心だけで参戦した袁紹をはじめとする諸侯は、これ以上率先して戦おうとはしなかった。


 ☆


 一方、諸侯の中にもこの状況に苛立つ男がいた。

 この当時、奮武将軍の称号を持つ曹操だった。彼は兗州刺史 劉岱、陳留太守 張邈らに何度も決戦を進言したが、そのたびに却下されている。集結した諸侯のなかでは曹操がもっとも軽輩なのである。彼の意見はまったく受け入れられなかった。

「今はまだ機が熟していない」

 それが必ず返される返答だった。


「ではその時期はいつ訪れるというのだ」

 夏侯惇を伴い、張邈の陣営から出た曹操は苦い顔で吐き捨てる。彼はふと、陣門前で巨大な牙門がもん旗を掲げ持った衛士と目が合った。


 ほう、曹操はその男をまじまじと見る。折からの強風にはためく軍旗を片手で軽々と支え、微動だにしないその姿に曹操は見蕩れていた。

「ほうほう」

 曹操はその男の周囲をぐるりと回り、頭からつま先までじっくりと眺めた。男は目だけで曹操の動きを追っている。ひとつ頷いた曹操が口を開いた。

「うむ。そなた、名は何というか」


 声を掛けられた男は胡散臭げに曹操を見降ろした。やや小柄な曹操より、頭ふたつ分以上も背が高い。

「張邈軍に属する典韋てんいだ。見ての通り只の旗持ちだが、おれに何か用なのか」

 言葉ほど卑下した様子もなく、典韋は悠然と答えた。

「ふんふん」

 次第に曹操の顔がにやけてきた。

(また始まったか)

 それを見た夏侯惇は苦笑した。人材収集は曹操の膏肓こうこうに入る病だといっていい。


「よし、典韋。ちょっとそこで待っていろ」

 そう言うと曹操は再び張邈の本陣へ駆け込んでいった。やがて満面の笑顔で戻って来た曹操は典韋の肩を叩いた。

「お前はこんな所で旗持ちなどしているような男ではない。張邈と話はついている。今日からこの曹操の親衛隊を命じるぞ」


 唖然とする典韋に曹操は畳みかける。

「分からない事はこの夏侯惇に訊け。夏侯惇もこの典韋をよろしく頼むぞ、こいつは古代の勇士、悪来あくらいにも劣らない男だと見た」


 悪来とはいん紂王ちゅうおうに仕えた豪勇無双の戦士である。ただ、後年は政治に参画し暴虐を働いている。そのため、あまり歴史上で好意的に語られる人物ではなかった。

 おそらく曹操は伝説的な悪来の武勇をこの典韋に感じたのだろう。

 そして悪来と綽名された典韋は数年後、壮絶な戦死を遂げるまでひたすら曹操のために忠実な守護者であり続けた。

 曹操の人物鑑定は誤っていなかったようだ。


「しかし、このままでは埒が明かん。抜け駆けしてでもこの状況を打破しなくてはならんぞ、夏侯惇」

「だからそんな物騒な話をおれにするな」

 虎牢関を守るのは徐栄と呂布という、いずれ劣らぬ猛将ふたりだ。小勢の曹操軍が単独で当たって敵うような相手ではない。


「そういえば鮑信ほうしんという将軍も何度もやって来ていたぞ、曹操さま」

 後ろから典韋が声をかけた。意外なことに済北国の相、鮑信も曹操と同じく強硬派のようだった。


「鮑信どのか。うーむ。武人としては頼りない気もするが、居ないよりはましかな」

 曹操は、誠実で人のよさそうな鮑信の顔を思い浮かべ首を捻った。

「やめろ。本人が聞いたら怒るぞ、曹操」




 鮑信は曹操がそんな評価をしているとは知らず、にこやかな表情で迎えた。

「そうか、曹操どのも出兵に賛成なのだな。よかった、仲間がいて」

「いやいや。鮑信どのは剛毅なお人柄。必ず機を伺っておいでだと、この曹操かねてより思っておりました」


「なんとこれはお恥ずかしい。わたしはこのように、なよなよとした外見。おそらく頼むに足らずと思われていたのでしょう?」

「ははは、まさか」

 曹操は笑ってごまかした。


 ☆


 自軍の本営に戻った曹操の前に、縛られた三人の男が引っ立てられて来た。埃まみれで薄汚れている。

「なんだ、こいつらは。山賊か?」

「いや。なんでも漢の中山靖王がどうとか、訳の分からぬことばかり言うので、つい捕縛してしまったのだが。どうしよう、斬ってしまおうか」

 曹仁の暴言に曹操は苦笑した。

「まあ待て、いきなり斬るのは乱暴すぎる。そんな短慮では大将軍にはなれないぞ。心せよ、曹仁」

「ははっ」


「だから、兄者の自己紹介は長すぎると言ったのだ。いらぬ誤解を招いてしまったではないですか」

 長い髯の男が憮然とした声で言った。

「まあそう言うでない関羽。こうしてちゃんと偉そうな人のところに連れて来てもらえたではないか」

 するともう一人のトラひげの男が大あくびをする。

「いや、長兄よ。これは連行された、というのだ。それに偉そうといってもではないか」


「こいつら全員、今すぐ死罪だっ!」

 喚く曹操を夏侯惇と曹仁が半笑いで宥めにかかる。



「で、何だ。公孫瓚の代わりに参戦しただと?」

 まだ息を荒くしたまま、曹操はその三人を見渡した。


「はい。華雄などという下っ端武将、我らが手を下すほどの敵ではないと思い、この戦場に罷り越した次第にござる」

 義兄弟の長兄だという劉備が得意げに頷く。そこに何か事情がありそうなのは曹操にも分かった。


「奴を討って、わが名を竹帛に垂れようと存ずる」

「そして金が手に入ったら、たらふく酒を飲むのだ」

 義弟の関羽と張飛がそれぞれの抱負を述べている。


「そうか、ならば良い時に来た。我が曹軍の先陣に加わるがいい」

 曹操はこの奇妙な援軍を迎え入れることにした。




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