第12話 桃園三兄弟、参陣

 後漢王朝の帝都、洛陽の街路は日頃にも増して慌ただしく人が行き交っている。

 反董卓連合軍が襲来していることを知った貴族たちが我先に市外へ逃亡を始めたのだ。

「これは好都合です」

 李儒が董卓の耳元でささやく。


「このまま朝廷を西の長安へ遷しましょう」

 連合軍の目的の一つは、新しく皇帝となった劉協(献帝)の奪取である。そのため、身柄を董卓の本拠地に近い長安へ移すのだ。


 この遷都にはさらに利点があった。住民を強制的に移住させることで、残った食料をすべて軍の兵糧として用いる事ができる。中華全土が飢饉に苦しむなか、洛陽に備蓄された物資を独占することは、迫る連合軍に対し大きく優位となる。

「よかろう。長安への遷都を行う」


 董卓は朝臣を集め、洛陽の軍事要塞化を宣言した。


 ☆


「なんという事だ。洛陽を捨てるなどと……。それにしても、腹が減ったのう」

 王允の一族も荷車を連ね長安に向かった。董卓によって僅かな食糧しか持ち出しを許されなかったため、長安に着くころには三公という高級官僚といえど、難民と変わらぬ様子に成り果てていた。途中、家財道具と食料の物々交換でやっと飢えをしのいできたのだった。

 口を開けば泣き言しか出ない王允を、貂蝉は冷やかな目で見た。旅塵に汚れているとはいえ、彼女だけは透き通った無表情さを崩していなかった。


 長安に着くと、王允はすぐに城門を閉ざした。長らく政治の中心から外れていただけでなく、馬騰や韓遂をはじめとした西方の諸軍閥から何度も略奪をうけていた長安である。移住して来る民の全てに食わせるだけの食料は到底、蓄えられていなかったからだ。


「これは董相国の命令だ」

 王允は近衛兵を使い、施しを求め城門前に集まった難民の虐殺まで行わせる。

 その結果、大混乱に陥っていた長安はひとまずの静穏を見ることになった。ただしそれは墓場に流れる空気と同じものを感じさせた。


 ☆


 洛陽郊外に布陣した反董卓連合軍の主な陣容は以下の通りである。

 まず北方の河内かだいには渤海ぼっかい太守 袁紹と河内太守 王匡おうきょう

 荊州の南陽郡には後将軍 袁術と長沙太守 孫堅。

 そして東部の酸棗さんそうには陳留太守 張邈ちょうばく、広陵太守 張超、済北相の鮑信ほうしん。そして奮武将軍 曹操らが布陣した。


 この中では、家格から云っても袁紹が盟主であることは疑いがない。かつて三公を何度も出した名門なのである。だが袁紹はこれ以上軍を進める気はなかった。

 袁紹が見ているのは董卓亡き後の朝廷である。そこで権力を揮うためには手勢を失うのは得策ではない。かといって誰か他のものが大功をあげるのも望ましくない。だから袁紹は軍を停めたまま、状況を伺っているのだ。

 我欲と逡巡は、この男に最後まで付きまとう宿痾といってよかった。


 迎え撃つ董卓軍は華雄、徐栄、そして新たに加わった呂布という、いずれ劣らぬ猛将ばかりである。

 盟主として形ばかり小部隊を出した袁紹だったが、華雄の前に一瞬で全滅させられてしまった。

 おぞ気を振るった袁紹はそれ以来、軍を動かそうとはしなかった。



「ここが腰抜け袁紹の本陣か。なんだか小便臭いが、中でちびっておるのではないかな、兄者よ」

「これ、口を慎め張飛。たとえ本当であっても言ってはならぬ事もある」

「だから関羽もそんな事を言ってはいかん。言うならもっと小さな声で言わんか」

 袁紹の陣幕の前で、聞こえよがしに騒ぐ声がする。


「やかましい、何者だ貴様らはっ!」

 衛士を引き連れた袁紹が顔を出した。さすがに額に青筋がたっている。


 そこには歴戦の、といえば尤もらしいが、ただ単にボロボロな甲冑を身につけた三人の兵卒が不遜な顔でしゃがみ込んでいた。

「おい、この不逞な餓鬼どもは誰の配下だ。とっととつまみ出せ」


「おっと、これは申し遅れました。袁紹閣下にはお初にお目に掛かります」

 ゆらりと立ち上がったその男。その堂々たる姿に思わず袁紹は礼を返していた。

 耳朶は肩まで垂れ、両手は膝に届くほどである。その常人離れした異相と、どこに根拠があるのか分からないが、自信たっぷりな態度に気おされたのだ。


「私は中山靖王劉勝の末裔にして、北平太守 公孫瓚こうそんさんとは学友の仲。今回はその公孫瓚の依頼を受けここに参上仕った、劉備 玄徳と申します」

「相変わらず兄者の自己紹介はくどいな」

「うむ、しかも内容は大したものではない」

 背後の二人がささやき合っている。


「それで劉備どのは、どのような官職に就いておられたかな」

 話からすると公孫瓚の配下だろうが、袁紹にも全く聞き覚えの無い名前だった。

 劉備の目が泳ぎはじめた。

「いやそれは、自慢げに語るほどのものではありませぬよ」

 明らかにしらばっくれようとしている。袁紹の頬がぴくぴく動いた。


「では兵はいかほどお持ちか」

「兵ですか。ああ、まあそれは……このくらいでござる」

 劉備は曖昧に両手を拡げてみせる。

「このくらい、とは」

 見る限り、劉備を含めて三人しかいない。ひとりは赤ら顔で髯の長い男。もう一人は虎ひげの若者だ。

「まさか」

 この三人だけか。袁紹は絶句した。

「へへへ」

 恥ずかしそうに劉備は笑った。


「む、む、無駄飯喰らいは出て行けっ。くそっ公孫瓚め!」

 ついに袁紹は激怒した。以前から気に食わない男だったが、こんな嫌がらせをするとは許せない。

「この戦が終わったら必ず滅ぼしてやるからな。覚悟するがいいぞ」

 袁紹は北の空に向かって吼えた。



「華雄が邪魔なのだろう、袁紹閣下は」

 劉備の背後に立つヒゲの男が言った。これはまた劉備以上に態度が大きい。袁紹は不快さを隠さずその男を見据える。

「だったらどうなのだ、お前が討ち取って来るとでもいうのか」


 せせら笑う袁紹に、その男は傲然と答えた。

「ああ。華雄の首はこの関羽が挙げてみせよう。これでな」

 関羽は手にした巨大な青龍偃月刀を示した。


 本当に何者なのだ、こいつらは。袁紹は言い知れぬ不安を感じた。 



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