第11話 曹操、反董卓に起つ

 地響きと共に、不意に喚声が沸き起こる。

 天幕を張り巡らせ、卓を据えた本陣に座る曹操はその方向を見やった。


「どうやら来たようだな」

 後ろに控える幼なじみに声を掛ける。

「では、奴のお手並み拝見と行こうか、夏侯惇かこうとん

 硬い表情で夏侯惇も小さく頷いた。


 三列に並べた曹操の先陣は次々に打ち破られていく。凄まじい突破力で敵はもうすでに曹操の本陣前まで迫って来ていた。

「見つけたぞ、曹操! その首、貰った!」

 敵の主将が得意げに叫んだ。


 それを見て曹操は苦笑する。

 椅子から立ち上がると、手にした采配を振り上げた。

「掛かれっ!」

 曹操の命令を受け、左右に潜んでいた伏兵が一斉に現れる。それにより、あっという間に形勢は逆転した。

 伏兵はたちまち敵軍を包囲し、木剣でその主将を袋叩きにしている。

「痛っ。待て、分かった。降参だ、降参するっ!」

 若い長身の敵将はあっけなく曹操の前に引き据えられた。


 曹操はあきれ果てたようにその男を見た。

「おい、夏侯淵。お前はいのししか。あれだけ主将が突出してはならんと言っているだろう」

 全身にアザをつくり項垂れるこの男、夏侯惇の族弟の夏侯淵かこうえんだった。


「まったく。演習でよかったな妙才(夏侯淵の字)。これが本当の戦なら、お前はすでに死んでいたぞ」

 夏侯惇も渋い顔で叱責する。

「だが、族兄あによ。弱兵を率いるには、将が先陣を切らねばならんぞ」

 顔をあげ、昂然と言い放つ夏侯淵。


 曹操は夏侯淵の肩に手を置いた。

「それも一理ある。だが、兵卒を率いる将は勇猛だけではなく、臆病さも合わせ持たねばならない。それが分からぬうちは、お前は一介の武人でしかない」

「はあ……」

 不承不承、夏侯淵は頷いた。


 続いて、曹仁や曹洪といった曹操の一族が自らの手勢を率い模擬戦を繰り広げる。いずれも曹操と共に黄巾の乱鎮圧に働いた猛者たちだ。その用兵は練達の域にあると言っていい。

「これは安心して見ていられるな」


 曹操は監督を夏侯惇に任せ、卓上に書籍を拡げた。筆を持ち、その余白に何事か書き込んでいく。曹操は常にこの『孫子』を持ち歩き、このように注釈をつけるのを日課としているのだった。


 にゃーぅ。みゃうー。

 うん? 曹操は顔をあげた。足元になにかが擦り寄ってきている。卓の下を覗き込むと二匹の仔猫が曹操の足にじゃれついていた。


「……」

 曹操は無言で辺りを見回した。眉間に皺をよせ、小さく唸った。

 すうー、と息を吸い込む。


「曹純。貴様、また捨て猫を拾ってきたのかっ!」

 ひょろりとした若い男が天幕に駆け込み、仔猫たちを抱き上げた。

「ああ、こんなとこに居たのか。駄目だぞ、このおじちゃんは猫嫌いなんだからな。ねー、怖かったよねー」

 その男は猫に話しかけながら天幕を出て行く。


「おいこら待て、曹純。話を聞け!」

 やっと彼は振り返った。

「これは曹操おじさん。さてはこの猫がなにか失礼な事をしましたか。ならば僕が代わりに謝りますが」

「失礼なのはお前だ、曹純」

「おや?」


 曹純は曹操の前で正座させられている。

「いえ、拾ってきたのではありません。こいつらが勝手について来ただけで」

「同じことだ。お前、この猫で軍団でも作る気か」

 彼が拾って来た猫はすでに数十匹を越えているのだった。

 この曹純は曹操の一族で、いま模擬戦を行っている曹仁の弟だった。勇敢で知略に優れる男だが、やや浮世離れしているのが難点だった。


「おお、そうですね。ネコを前線に配置すれば敵も戦闘意欲を失うのは確実だ」

 明るい声で言う曹純。皮肉が通じず曹操は頭を抱えた。

「でも『猫軍団』では面白くないですね。どうです、同じネコ科だから『虎豹騎こひょうき』という部隊名にしては」

「ああ、好きにするがいい」


 がっくりと肩を落とした曹操は大きなくしゃみをした。猫に近づいた後は、必ずこんな風邪のような症状が出るのだった。

「なあ夏候惇。まさかあの男、本気にしたのではあるまいか」

「いや、最近の若い者の考えは分かりませんからな」

 夏侯惇も苦り切った顔で顎を掻いた。


 ☆


 そんな曹操の許に旧友の袁紹から手紙が届いた。それを開いた曹操は目を輝かせる。

「これは陳琳ちんりんの文章ではないか。うむ、相変わらず檄文の言辞にキレがあるのう」

 よだれを垂らさんばかりに、嬉しそうに何度も読み返している。陳琳は袁紹の部下で名文家として名高い。曹操はこの陳琳の文章を殊のほか愛好しているのだ。


「ほら夏侯惇、この部分を読むがいい。いや、なかなかこの表現は思いつかないぞ」

「はあ、そうですか」

 夏侯惇にはまったく興味がないらしい。

「で、何と言ってきたのです」


 先を促す夏侯惇に向かって、ふん、と曹操は鼻を鳴らした。

「やはりお前は、ともに文学を語るに足らぬなぁ」

「余計なお世話です」

 殺気に満ちた視線を受けて、やっと曹操はそれを卓上に広げた。


 董卓の驕慢は留まるところを知らず、皇帝を廃したうえ無残にも弑し奉った。私、袁紹はこの現状を見るに堪えかね挙兵することとした。

 ついては諸侯の助力を得て、洛陽に蟠踞する野蛮人を血祭りにあげようと存ずる。

 願わくば、我と共に挙兵されたし。


 おおよそ、そんな内容が美麗な文章で綴られていた。


「曹操。ではついに」

 夏侯惇が身を乗り出した。曹操はにやりと笑った。

「おう。漢建国の功臣たる曹参そうさん夏侯嬰かこうえいの末裔たる我ら、四百年の時を経て再び漢王朝のために戦おうぞ」


 こうして曹操はしょうの地から反董卓の旗を揚げた。

 一族の夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、曹純。そして曹操の挙兵を聞いて駆け付けた李典、楽進、程昱らがそれに加わった。


 ☆


 袁紹を盟主とする反董卓軍は、北は冀州、南は揚州から、勢力を増大させながら洛陽へと迫っていた。だがそれは既に董卓の知るところとなる。洛陽郊外には豪将 華雄かゆうを総大将とした大軍が布陣し、叛乱軍を虎視眈々と待ち受けていたのである。

 

 曹操の名を天下に知らしめる事になる戦いが、こうして始まろうとしていた。

 

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