第6話 暗殺者の誕生
舞台の中央で
そよ風に揺れる一輪の花のようなしなやかな身のこなし。貂蝉は彼女の指先の動きひとつに至るまで見落とさないよう、瞬きもせず目を瞠っていた。
舞は緩やかな動きから一転、激しい旋舞へと変わる。聶隠の視線が貂蝉を捉えると、手にした扇が空気を切り裂くような鋭さで振り下ろされた。その瞬間、貂蝉の全身に鳥肌がたった。
「どう、憶えたかな」
あれだけ激しい舞にも関わらず、聶隠は息を切らしてさえいなかった。少し色の薄い瞳で貂蝉を見詰める。
貂蝉はちいさく頷くと聶隠から扇を受け取り、ゆるやかに舞い始めた。
「ほう」
聶隠は思わず息を吐いた。一度見ただけでほぼ完璧に踊れている。
「悪くない。でも、もっとしなやかに。貂蝉、あなたはどんな風にも折れない花。無駄な力を抜いて風を受け流すのです」
言葉を受け、貂蝉の表情が柔らかくなる。風に揺れる花、柳の若枝のように貂蝉は舞い続けた。
急にその表情が引き締まる。
柔らかな動きはそのままに、貂蝉は鋭い足さばきで旋回を始める。
「遅い! もっと速く。もっと!」
聶隠の叱咤が飛ぶ。
旋回し、地に身を低く伏せ、高く跳躍する。
舞の最後に、貂蝉の扇が電光のような鋭さで聶隠の胸元に突き付けられる。風をうけ、聶隠の長い髪がふわりと揺れた。
真っ赤になった貂蝉の顔を見下ろし、聶隠の唇の端が満足げに上がった。
貂蝉はそのまま床に崩れ落ちた。両手を突き肩で大きく息をしている。旋舞に入ってからずっと呼吸を止めていたのだ。
「立ちなさい、貂蝉」
ふらつきながらも貂蝉は立ち上がった。
「今度は扇の代わりにこれを持って舞うのです」
それは美しく装飾した革製の鞘にはいった短剣だった。受け取った貂蝉はその鞘から剣を抜き放った。
鈍い光を放つ白刃には、細められた貂蝉の双眸が映っていた。
☆
宮中を下がった丁原と呂布は十人ほどの武装した男たちに取り囲まれた。みな覆面で顔を隠している。
「天下の大道でこの無法がまかり通るとは。まさに漢朝も末だな」
丁原はやや甲高い声で、わざとらしく嘆いてみせた。
「黙れ。一致団結して世の乱れを正そうとする動きを邪魔する奴は、この洛陽から消えてもらわねばならん」
正面に立つ男がくぐもった声で言った。
「この男ども、羊の匂いがしますな」
丁原の背後に立つ呂布がのんびりとした調子で、ぐるりと男たちを見まわした。
「大方、西涼の貪狼に飼われているのだろう」
狼が羊を飼っているのですか、呂布は無邪気に笑った。
さて、と呂布は戟を握り直した。後方の賊に対するため丁原と背中合わせになる。
「丁原さまよ。こいつら全員、
「幷州で羊は食い飽きたのだがな」
丁原も剣を抜く。
「舐めるな!」
男たちは一斉に抜刀し斬りかかった。
呂布の振るうのは戟と呼ばれる長柄の武器である。主に矛のように刺突するものだが、その側面には斬撃用の湾曲した副刃が装着されている。
ひと薙ぎで二人の男が胴体を両断され、地に転がった。さらに間髪を入れずその左右の男を突き殺す。
その背後で丁原もすでに三人を斬っていた。
明らかに逃げ腰になった賊を呂布は追撃し、容赦なく屠った。
「これは、どうします」
呂布は戟の柄で、無残な姿を晒して転がる死体を指した。十人の賊が全滅するのはほんの一瞬だった。
「人を呼んで片づけさせるとしよう。道端に
丁原は狡猾な表情で笑った。
「こう見えて、わしは綺麗ずきだからな」
屋敷の門前に死体が積み上げられているのを見た董卓は、低い唸り声をあげ、唇を舐めた。その顔が見る間にどす黒く鬱血していく。
「
董卓は怒鳴ると、屋敷の奥へ入って行った。
李儒は少帝(劉辨)の側近だったが、その才を見いだされ、董卓の謀臣として仕えている。その細い目はいつも眠ったようで、感情を内に秘めたまま表に出すことがない。
「闇討ちとは、閣下にしては短慮が過ぎたようですが」
李儒は静かな声で言った。表情と同じで、声からも全く感情が伺えない。
ぐうっ、と董卓は呻いた。
「まさかあそこまで
李儒は王允の方を見た。
「王允さま。丁原は陳留王殿下を弑そうと考えているようです」
「まさかそこまで……」
王允は絶句した。だが確かに少帝の地位を安定させるためには、董卓の推す陳留王(劉協)を抹殺するのが早いだろう。
「漢王朝のため今のうちに丁原を逮捕し、処断すべきかと存じますが」
「し、証拠は。……確たる証拠もなくそんな事はできませんぞ」
喘ぎながら王允は抗弁した。だが董卓は意に介さない。
「証拠など処刑した後で捜せばよい。そうすれば必ず出て来るものだ。不思議とな」
董卓と李儒の視線を受け、王允は身を固くした。ここで断れば王允自身が無実の罪に落とされるのは確実だった。冷や汗が体中を伝った。
「そういえば、こんな噂を聞きました」
李儒の声に王允は顔をあげた。
「宦官派だった酷吏が殺害され、首が門に架けられた事件はご存じでしょう。その前夜、屋敷に招かれた歌妓がいたとか」
悲鳴をあげそうになるのを王允は必死でこらえた。
「噂では、男はその歌妓に殺されたのではないかと」
李儒は王允の顔を覗き込んだ。
「心当たりはございませんか、王允さま」
「な、なぜわたしに」
いえ、と李儒は手を振った。
「そのような者が居れば話は簡単に終わるのでは、と思ったまでにございます」
「では、期待しているぞ。王允」
董卓は席を立った。
王允はひとり、部屋に取り残された。
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