第4話 董卓、洛陽を蹂躙する
「何っ、陛下の姿がないだと!」
愕然とした顔で袁紹は喚いた。宮廷内の宦官を殺戮し皇帝の許に向かった袁紹は、既にもぬけの殻となった皇帝の居室に立ち尽くしていた。
「袁術はどうした!」
袁紹は族弟の袁術に皇帝を確保するよう命じていたのだ。
やがて、ひとりの宮女を引きずるようにして袁術が現れた。
「どうやら宦官の一派が皇帝を拉致し去ったらしいな。この女が見たと言っている」
突き飛ばされた宮女は床に転がった。
「やれやれ。宦官を殺すのに夢中になり過ぎたのではないか、袁紹よ」
袁術はうすら笑いまで浮かべている。それを見た袁紹は怒りのあまり言葉を失った。
「き、貴様は……」
「はあ?」
袁紹は歯ぎしりした。
「貴様、それを知ってなぜ追わない」
「ふふん、わしをのけ者にしようとするのだろうが、その手は食わぬ。お前だけに良い思いはさせんぞ」
その手には、おそらく後宮から奪って来たらしい宝石が握られていた。
「何を言っている、これは略奪が目的ではないのだぞ!」
宦官を排し、皇帝を手中にすることが今回の目的である。それなのに、この男は私腹を肥やす事しか考えていないようだった。
袁紹も、この族弟がこれほど愚鈍であるとは想像もしていなかった。
「あれが共に事を謀るに足る男かどうか、よく考えろ」
今更ながら曹操の言葉が甦る。もちろん袁術を評してのことだ。この男を決起の一員に加えると言った袁紹に対し、曹操は珍しく嫌悪を顕わにしたのだった。
金銭欲、権力欲が強いのはまだいい。無能なくせに、袁家の家名だけで官位に就いているのが曹操には許せなかったのだろう。
袁紹はすぐに皇帝捜索の兵を送り出した。
「急げ。おそらく長安方面だ。必ずこの宮廷へ連れ戻せ!」
☆
少帝
「怖いよ、帰りたいよぉ。お、おえ……っ」
馬車の中で嘔吐しながら泣きわめくのは劉辨である。弟の劉協はそんな義兄を一生懸命慰めている。
すっかり日も暮れ、足元さえ覚束なくなってきた頃、先頭を馬で行く張譲は彼方に松明の灯りを見た。
「なんという数だ……」
街道を埋め尽くすように、その灯りは延々と続いている。近づくにつれ、それは軍団であると分かった。だがその姿は異様といってよかった。統一された軍装などではない。甲冑のかわりに毛皮をまとっている者さえいる。
この軍団を率いる男が少帝の一行の前に進み出た。まるで
男は暗闇の中で猛獣のように妖しく光る眼を張譲に向けた。
「あの馬車にいるのは、皇帝だな」
低く地を這うような底冷えのする声で、その男は問いかける。顔色を失った張譲は、身体を硬直させ馬から転げ落ちた。
「こ、こ、この男は……まさか」
張譲は背中で這いずるように、皇帝の馬車へ後ずさっていく。馬上の男は髯面を凄絶に歪ませた。どうやら笑ったらしかった。
「ほう。俺の名を知っているようだな」
張譲を弄るようにゆっくりと馬を進める。
「ここに何をしに来た……董卓!」
董卓の手綱にあわせて、彼の乗騎は前脚を高々と振りあげる。
「知れた事。天下を我が手にするためよ」
悲鳴をあげる間もなかった。張譲の頭蓋は踏み下ろされた馬の蹄鉄によって砕かれ、血と脳漿の泥濘と化した。
董卓は馬車を覗き込み顔をしかめる。
「ちっ、何て臭いだ」
その中で少帝 劉辨は、半分白目を剥き盛大に失禁していた。そしてそれを庇うように陳留王の劉協が前で両手を広げていた。
「ほう」
董卓は陳留王と少帝を見比べた。分厚い舌で唇を舐める。
「いいだろう。このクソ餓鬼は即刻廃位させよう。陳留王よ、そなたが新しい皇帝になるがいい」
数百羽の鴉が一斉に鳴いたような声で、董卓は嗤った。
「行くぞ。洛陽はもう目の前だ」
残った宦官をみな血祭りにあげ、董卓は東を指して再び進発した。
☆
董卓が率いるのは涼州において彼が鍛え上げた精鋭である。それはチベット系の羌族や北方騎馬民族の匈奴など、董卓自身が戦いを繰り広げた敵までも取り込んだ、中原の諸部隊とは完全に異質な軍団だった。
配下の李傕、郭汜といった将領すら、どこか漢民族とは異なる風貌を持っていた。
「奪え。犯せ。邪魔をするものは構わん、殺せ」
これが俺の『法三章』だ。董卓は嘯いた。
その言葉通り、涼州の兵は洛陽の王宮へ乱入すると、手当たり次第に財宝を奪い合い、女官を見つければその場で組み伏せ集団で輪姦した。禁軍の兵士もその暴挙を止めることは出来ず、多くは激高した涼州兵によって虐殺されてしまう。
洛陽の都は一夜にして修羅の巷と化した。
☆
衛士を集め、門を固く閉ざした王允の屋敷に使者が訪れた。静まり返った屋敷内へ使者は大声で呼び掛けた。
「司徒、王允。皇帝陛下よりのお召しである。即刻、宮中に参るように。これは勅命であるぞ!」
王允は部屋の隅で身体を震わせていた。
「どうすればいい。わしはどうすればいいのだ貂蝉。董卓め、わしを宮中に誘い込み殺すつもりに違いない」
普段の剛毅さは影を潜め、王允は蒼白な顔でうずくまる。
貂蝉は鋭い視線を王允に向けた。
「参内なさいませ。そして董卓のお味方になると、宣言するのです」
「奴はわしを殺そうとするのではないか」
その時はその時。貂蝉は思ったが口にはしなかった。
「うまく董卓に取り入ることが出来たなら」
貂蝉は王允を見詰めた。
「わたしを董卓の許に送り込んで下さい。必ず目的を…」
果たします。
貂蝉は冷ややかな表情のまま、そっと目を伏せた。
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