第3話 西園八校尉、曹操
城門の付近が騒がしい。雑踏に紛れ、女の悲鳴まで聞こえてくる。
貂蝉は眉をしかめ、人だかりが出来ている方へ足を向けた。
そこでは、ひとりの若い女が数人の男に取り囲まれていた。
「これは張譲さまに差し上げる大事なものだったのだ。それを壊しておきながら、ただ謝って済ませようとは、ちょっと虫が良すぎるんじゃないのか。ああ?」
男の言うように、地面には割れた瑠璃杯が転がっていた。
「そんな。ただちょっと袖が触れただけで……」
涙声で女は周囲を見回す。
だが、誰も助けに入るものはいなかった。貂蝉は舌打ちした。
「張譲……中常侍か」
実質的に宮廷を取り仕切っていると云ってもいい、宦官の首魁である。その名前を聞いて歯向かおうとするものは、この洛陽にはいない。
貂蝉はその男たちを見回した。どれも卑屈で狡猾な表情をしている。つねに他人の顔色を伺っている下級貴族の表情だ。
男たちはうずくまった女を、笑いながら足蹴にしていた。
「止めろ、下衆ども」
駆け寄ろうとした貂蝉の肩を誰かが抑えた。
「勇敢な娘だな。だが、後は任せてもらおう。これは、おれの仕事だからな」
振り向くと武装兵を率いた若い男が立っていた。精悍な表情を緩め、いたずらっぽく貂蝉に向け片目をつむった。
「動くな、城門付近で騒ぎを起こしたものは全員捕縛する!」
やや小柄なその青年の声は、城門前の広場に集まった群衆を圧倒して響いた。
女をいたぶっていた男たちは彼の方を振り返った。
「はあ? 何もんだお前。まさか俺たちに命令しようってのか。こいつは驚いた。どうやらこの田舎者は、俺たちの事を知らないと見える」
わざとらしく肩を揺らしながら近づいてきた男は、青年が剣の柄に手をかけているのに気付いた。
「ほう、なんだそれは。斬れるのか、俺たちは張譲さまの身内の……」
言い終わるのを待たず、男の首は路上に転がった。
群衆から悲鳴と歓声があがった。
「わたしは皇帝陛下直属、西園八校尉のひとり、典軍校尉 曹操である。城下の治安を乱すものは、誰であろうと処罰する」
曹操という若い将校の視線に射止められたように、男たちは誰もが動けなくなっていた。貂蝉にも感じられたほど圧倒的な気魄だった。
配下の武装兵が走り出て、素早く男たちを取り囲んだ。
「見れば集団で女に乱暴を加えているようだ。副官、この連中の罪は」
「はっ、杖打ち20回。または死罪にあたります」
杖といっても刑罰用のものだ。大抵の人間は20回も本気で打たれれば死は免れない。つまり苦しんで死ぬか、一思いに死ぬかの違いだ。まだ死罪のほうが優しいとさえ言える。
「馬鹿な。我らは張譲さまの身内なのだ。その我らに手を出してただで済むと思うのか、若僧」
横柄な態度で曹操に詰め寄って来たのが、この男たちの主人だった。これまで張譲の名を出して怯まなかった者はいない。この生意気な将校もそうだろうと、高を括っているのが明らかだった。
「それがどうした」
だが曹操は全く表情を変えない。
「だから、お前も張譲さまの怨みを買う事になるのだぞ」
さすがに男の顔に焦りの色が浮かんだ。
「心配するな。あの立派な張譲さまの身内に、貴様のような
くっくっく、曹操は小さく笑った。
「ところで、お前たちはまた罪を重ねたな。……副官、朝廷の高官の名を騙ったものに与える刑罰はなんだ」
また後ろの副官に問いかける。
「はっ。杖打ち50回。または、死罪です」
「という事だ。どっちを選ぶ、杖打ち70回か、それとも死罪2回か」
悪魔のような笑顔で、曹操は問いかけた。
刑はその場で執行された。
群衆環視のなか手下どもは首を刎ねられ、主人の男は容赦なく撲殺された。
「すげえな、あの曹操って校尉」
「ああいう人が朝廷の高官になってくれればいいんだがな」
「まさか。この時勢じゃ、すぐ失脚して殺されるのがオチさ」
周囲の声を聞きながら、貂蝉はその若い武人を見詰めていた。
「……曹操、と云うのか」
なぜか、背筋がふるえた。
☆
霊帝が崩御し、後に少帝と呼ばれる
まだ幼い皇帝を擁し、実権を握ったのは皇帝の母、
かねてより宦官の専横をこころよく思っていなかった何進は、密かに各地の軍閥に宦官の誅殺を命じた。だがその計画はすでに宦官側に漏れていた。
宮廷内に、惨劇が起きた。
大将軍何進が宦官たちによって逆に謀殺され、それをきっかけに
「宦官は皆殺しにしろ。奴らは
袁紹は命じた。
☆
王允から詳細を聞いた貂蝉は少し意外だった。
曹操はこの宦官殺戮には加わっていなかった。彼は首謀者の袁紹とは幼なじみの間柄だ。当然、強く誘いは受けた筈である。
「貴公らは、小魚を
曹操は、そういって冷笑したという。
「宦官ごときは容易に排除できるだろう。しかし、その後始末はどうするつもりだ」
袁紹はすでに宦官一掃後の権力掌握を夢想している。それを曹操は嗤った。
「
そう云い捨てると官を辞し、出身地の
そして曹操と入れ替わるように、あらたな軍団が洛陽へと入城してきた。それは、北方に蟠踞する
先頭に立つ雄大な体躯のその武将。
男の名は、董卓といった。
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