廃墟の街にて
津波の引いた街には、何も残ってはいなかった。
乾きかけた泥が一面に広がる灰色一色の景色。
私はかつて、これにそっくりな情景を目にしたことがある。言うまでもなく、十六年前、私からありとあらゆる物を奪い尽くしていったあの大津波だ。私が世界を呪うようになったそもそもの
心を抉る風景に打ちのめされて何も言えないでいる私を横目に、彼はすぐに活動地域を津波被害の少ない西部の住宅地に切り替えると決めた。
そう。今の私達にはその頃にはなかった知恵と力がある。
彼が肩から提げたタブレット端末に映し出されたマップには、すでに今回の被害想定がトリアージタグと同じ色合いで塗り分けられている。
「これ、何なの!?」
まだどこも具体的な調査や集計をしていないはずなのに、建物単位で細かく塗り分けがなされたマップに、通りがかった自衛隊員も消防署員も目を丸くしてのぞき込んでいる。
「
「ほお! これ、良かったら我々にも提供してもらえないかな?」
消防のスタッフが噛みつかんばかりの勢いで詰め寄るのをいなしながら、彼はシステムのURLをホワイトボードに大書する。
「あくまでも民間の、しかもAIの言うことですからね。参考にしかなりませんよ。実際の被害状況は今から走り回って更新します」
「判った。それでもありがたい!」
無言でうなずくと、彼はそのままろくな挨拶もせずに駐屯地を飛び出していった。地震の発生からすでに十二時間以上。焦りを感じているのは誰しも同じだ。彼の無礼を責めるものはいなかった。
彼から要救助者発見の第一報が入った時、DMATではサポートスタッフがようやくエリア区分を終えたばかりで、まだ担当のチームすら決まっていなかった。私は大声と挙手で半ば強引に出動要請を勝ち取った。
(キミの無念は私が全部受け止めるからね)
私は密かにそう決意すると、同行を申し出てくれた消防のクイックアタッカー隊と共に現地に向かった。
「ああ、
バイクから降りてヘルメットを脱ぎ捨てると、彼は見るからにホッとした表情で近づいてきた。
「要救助者は二十代の女性です。腰から下を倒れてきたタンスと柱に挟まれて……」
「救出は?」
「水を飲ませて、これ以上圧壊しないように補強は入れましたが、ジャッキアップはまだしてません」
「うん、それでいいわ。できれば飲ませるのは生理食塩水の方がいいけど、まだ持ってる?」
「いえ、あの、僕には……」
彼の言いたいことはなんとなく判る。でも、私はショルダーバッグから生食のパックを一抱え抜き取って彼に有無を言わせず押し付ける。
「さあ、次に行って。ここは私が責任持つからさ」
「いえ、でも……」
「私を信じて! それに、あなたの仕事はここにはもうない。自分の仕事をやってちょうだい」
私はあえて冷たく突き放した。ここからは医師の領分だし、仮に要救助者に万が一のことがあっても、その姿を二度と彼には見せたくない。
「……わかりました」
彼は唇を噛むと、くるりと踵を返して去っていった。
私は消防隊員にジャッキアップをお願いしながら、本部にポータブル血液透析機の搬送を依頼した。引っ張り出された患者の
「カリウムの値が高い。クラッシュを起こしかけてる」
輸液のピッチをさらに上げる。すぐに透析機を担いだ透析医とナースもやってきた。
「後はこっちの専門ですね。我々で引き取ります」
深々と頭を下げて引き下がる。途端に本部から呼び出しだ。
『神速の
どうやら本部は機動力の突出した私達をそういう風に使うことに決めたらしい。私は
結局、彼が発見した要救助者は二百人を越えた。まるで警察犬並みの探知能力だ。
私はほとんど彼専属の初期対応医として要救助者を診断し、応急処置を施すと、それぞれ専門医に引き継いだ。
発見現場での事務的な引き継ぎ連絡が唯一の会話らしい会話で、それ以外には食事時間ですら一緒にはいられなかった。
目の回るような四日間がまたたく間に過ぎ、ようやく到着した二次隊の着任をもって、私達の任務は終わった。
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