剣山山麓にて

「こんな所で何をやってるんですか?」


 いきなり杉の木の下から這い出してくれば、それは聞かれるよね。


「見ての通り。こいつのおかげで先に行けなくて困ってる」


 私は腹立ち紛れに苔むした杉の幹を殴りつける。


「じゃなくて、どうしてここに?」

「うん、高知に行きたいんだけど、どこも通行止めで……」


 ところが、彼はもどかしそうな表情でさらに聞いてくる。


「いえ、だから、どうして?」

「え?」

(ああ、そうか!)


 彼は私の職業しごとについて何も知らないんだ。二子玉川での出来事は、彼の脳内では私とまったく繋がっていない。


「話さなかったっけ? 私、救命医なんだ」


 その途端、彼はさらに驚いた顔で目を丸くした。

 そのままの表情で私の顔とパトライトを閃かせているバイクを交互に見やり、うーんと唸りながら首をかしげる。どうやら上手く納得できないらしい。

 それでも、倒木に手をかけてまったく動かないのを確認した彼は、自分のバイクに素早く駆け戻り、なんとチェーンソーを持って戻ってきた。


「うわ、どうしてこんなものを持ち歩いているの! ジェイソン?」

「話さなかったっけ? 僕、危険度判定士なんだ。ちなみにジェイソンは一度もチェーンソーは使ってない」


 さっきの仕返しとばかりに澄ました顔で答えた彼は、手慣れた様子で杉の幹をザクザクと抉り、あっという間に道を切り開いた。まさに一瞬の早業だった。


(……まさか)

 

 飛騨地震の現場で聞いたうわさと、今目にしたばかりの彼の神がかった手際の良さが私の脳内で火花を立てて交差する。


(あなたが〝神速のトリアージ〟?)


 聞けなかった。

 もし彼が本当にそうならば、目の前で命を落とした少女のことを気に病んでいないはずがない。

 結局、彼は完全に私と同じ側に来てしまった。自分が死にかけただけじゃなく、目の前で人の死を見てしまった。


(今度こそ、完全に私のせいだ)


 私は、後悔を抱えながらじっと彼の目をのぞき込んだ。

 透明な瞳には、二年前にはなかった悲しみの影が確かに漂っていた。




 国道に抜けた先にあった四つ足峠のトンネルは土砂崩れで潰れていた。でも、彼は道路脇の獣道のような小道を見つけ出すと、まるで散歩に行くような気安さでバイクを乗り入れる。

 私から見ればどう見ても通れるような道じゃない。でも、彼はさっさと先に行き、とことこ歩いて戻ってくると、私の重いバイクをまるで自転車のように軽々と扱い、あっという間に峠まで押し上げた。

 その先にも、越えなければいけない難所はいくつもあった。

 でも、彼はまるで何でもないことのようにすべてを切り抜け、そのたびに笑顔で私に手を差し伸べる。

 私のバイクが医療器具で満載なのと同じように、彼のバイクからはどんな障害物をも切り払う道具ぶきがいくらでも出てきた。

 そうして、朝日が完全に中空にかかる頃、私達はついに目的地にたどり着いた。

 多分、私一人ではこれほど早く駐屯地ここまで来ることは出来なかっただろう。

 私は彼をまぶしく見つめながら確信した。仮に、私のごうが〝どこまでも命を救い続けること〟なのだとすれば、彼のそれは恐らく〝道を切り拓き、どこまでも導き続けること〟なんだ。

 思い返してみれば、最初の出会いの瞬間からして既にそうだった。あの日、彼はいろんな意味で道に迷ってしまった私をエスコートしてくれたのだ。

 私は決心した。

 それならば、私はどこまでも彼に付いて行こう。そして、何度でも彼を救おう、と。


 

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