剣山スーパー林道にて

 予想通り、四国に入ってすぐ高速道路は通行止めになった。

 出がけに神戸で聞いた話によると、オフロードバイクなら、なまじ谷沿いの三桁国道を走るより尾根道の林道を走る方が安全かもという話だったので、徳島市内からすぐに林道に入ることにした。

 途中での給油は多分できない。林道手前のガソリンスタンドではリアのサブタンクまでびっちり満タンにする。


「よいしょっと」


 掛け声とともにさらに重くなったバイクを起こしてスタンドを蹴り、飛び上がるようにシートに跨る。私の体格で両足は着かないので、勢いをつけすぎるとバイクごと反対側にひっくり返る。過去、何度もひどい目にあってようやく学習した。


「さて、こっからが本番」


 私の駆る〝クイックメディック〟はヤマハのオフロードバイクに白バイみたいなサイレン、LED式の小型パトランプを装備し、後ろ側には左右に医療器具を入れたパニアケースと予備のガソリンタンクまで搭載した重量級だ。もともとの車体に大人ひとり分以上の重量ウエィトが加わっている。本来は男性医師に提供される予定で、私みたいな女性向けじゃなかったらしい。けれど、科長の鶴の一声で強引に私が乗る羽目になった。

 以来、訓練に次ぐ訓練ですっかり腿や二の腕が太くなってしまった。ウエストとヒップが引き締まったのはいいけれど、腹筋は見事に六つに割れた。


「……行くか」


 考えるとなんだか切なくなったので、エンジンをかける。サイレンを鳴らしパトランプを閃かせながら、私はスタンドを飛び出した。




 私がここまで急いでいるのには理由わけがある。

 一人でも多くの要救助者を救いたいのはもちろんだけど、去年の飛騨地震では、DMAT隊の中に不思議なうわさが流れた。

 いわく、〝神速のトリアージ〟だ。〝トリアージ〟というのはもともと医学用語で、患者の症状を見て治療の優先度を示す色付きのタグをつけることに由来している。ただ、あの時トリアージされていたのは地震で崩れかけたおびただしい建物の方だった。

 私達はもとより自衛隊や消防よりもさらに早く、民間の建築系ボランティアが被災地に入って建物のトリアージを進めてくれていたのだ。

 それだけじゃない。がれきの散乱した道は拓かれ、邪魔になる電柱や建物の柱や梁も最低限ではあるものの整理され、バイクや人程度なら楽に入れるようになっていた。

 二次災害を防ぐ意味でも、これはずいぶんありがたかった。

 でも、地震から三日目、一人のボランティアが少女をがれきから救出した。その人物こそ、〝神速のトリアージ〟当人だったらしい。

 だが、彼(彼女かも)には医学知識が欠けていた。三日間倒れた柱の重みに耐え続けた少女は、解放されてすぐ挫滅症候群クラッシュシンドロームを発症し、DMATの到着前に急死した。

 彼(彼女)は口がきけないほどショックを受けていたらしい。

 不幸な出来事だと思う。

 被災者を一人でも多く救いたい気持ちは誰だって同じだ。DMATわたしたちの到着があと少し早ければ、少女は死なず、その人だって、心に傷を負わずに済んだはずなのだ。

 あの日以来、私の心の中には、ずっと志摩で出逢った三歳年下の男の子の面影がある。

 霧の二子玉川駅で間一髪、彼の命を救えたことは、今でも私のひそかな誇り。残酷で理不尽な世界に立ち向かう原動力だ。

 たとえ誰ひとり私のことを覚えていなくても(彼だって全然気づいてもいなかったし……)私は世界を呪い、あらがいい、世界が奪おうとする命を一人でも多く奪い返してやる。それが私の復讐だ。




 夜明け間近の薄明は始まっていたけれど、同時に霧が発生し始めた。ヘッドライトの光はキラキラとした霧の粒子に阻まれ、次第に見通しが悪くなってきた。


(山の中で霧はやだなあ。下手すると遭難だ)


 と、コーナーを抜けた途端にサーチライトの光の輪の中に巨大な杉の木が立ち塞がる。


「うわ〜っ!!」


 私は大声で叫びながら急ブレーキをかける。霧で濡れて砂利の浮いた路面は滑りやすく、リアタイヤが流れてほとんど百八十度ターン状態でようやく停止した。


「うわぁ、本気マジで死ぬかと思った」


 バクバク跳ねる胸を押さえながらよく見れば、電柱の数倍太い杉の木が道路に倒れ込み、完全に通せんぼをしている。下を潜るには隙間が狭く、上を越すには位置が悪い。


「まいったなあ」

 

右側の崖は壁のように高く切り立ち、左は深い谷。どちらに逃げるのも難しそうだ。


(どこかに迂回路はあったかな?)


 来た道を思い返すが、しばらく分岐はなかったように思う。最悪、二十キロ以上手前の尾根まで戻るしかない。


「なんとか抜けられないかなぁ」


 未練がましく杉の木の下に潜り込んでみた。起伏の少ない私だけなら抜けられるけど、やはりバイクはどう頑張っても無理だ。


「悔しいなぁ。せっかくここまで来たのに」


 私は大きく首を振ると再び大木の下に潜り込む。

 その瞬間、どこかでバイクのかん高い排気音が聞こえた気がした。


(まさかね。夜明け前のこんな山奥にバイクなんて)


 自分を差し置いてそう思い直し、杉の下から這い出た瞬間、目もくらむような眩い光が私の顔を射る。


「誰かいますか?」


 呼びかけられ……、


「あれ?」


 私は信じられない思いで立ち上がり、やっとのことで口を開く。

 きっとこれは魔法。濃霧の見せたひとときのまぼろし。


(なんだ、だったら……)


 途端に気が大きくなり、試しに声をかけてみる。


「やあ、久しぶり」


 相手は私以上に驚いていた。

 それもそのはず。彼は、陸前高田のカフェで別れたきりの男の子だったから。

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