バイパス沿いのカフェにて
まさかこんな展開は予想すらしていなかった。
私はなんだかふわふわした足取りのまま連れ立ってバイパス沿いのカフェまで戻り、オーナーに勧められるままにモーニングを注文する。
「ひ、久しぶりだね」
思わず声が裏返るのに気付き、胸を押さえてこっそりと深呼吸する。
(ダメだ。私がテンパってどうするの)
動揺を押し隠し、私は余裕たっぷりの微笑み(に見えるであろう表情)を浮かべて見せる。
たとえいくら切羽詰まっていても、その内心を表には出さない。そうでなくてもパニック状態の患者をそれ以上不安にさせない医師としての矜持。何千、何万回も繰り返した
「まさか、ここでキミに出会うとは思わなかった」
「あ、はい」
志摩で出会った時に確か就活中だと聞いた。ならば私の方が四歳は年上のはず。いや、一浪だと話していたから三歳差か。
ということは、くそう、まだ二十六かぁ。三十路に足を突っ込みかけている私とは肌のツヤが根本的に違う。
「確かこの辺りの出身だと……」
「私の話を覚えていたんだ」
「それでここへ?」
「いえ、実は……」
言葉を切り、私に思い詰めたような真剣な表情を向けた彼の喉に、ポツリと引き攣れのような傷跡が残っていた。私はそれに気付いて思わず右手を持ち上げる。
(ああ、やっぱり残っちゃったか)
せめてカッターナイフでも持っていたら、もう少し傷が目立たないようにきれいに切開してあげられたのに。私が彼を傷物にしてしまった。
「できれば直接会って、あの時の言葉の意味を確かめたいと思って……」
「え?」
なんだっけ? 私はあの時何を口走った?
確か、世界の終わりについて、
(くっ! 黒歴史だ)
恥ずかしさで錯乱した私は、伸ばした右手そのままでうっかり彼の傷跡に触れてしまった。
(ヤバイ! いきなり何やってんの、私)
顔が火照る。
でも、彼の顔も赤く染まっているように見えるのは気のせいか。
「これ……」
「あ、ええ、ちょっと無茶をして、危うく死にかけました」
(……あれ、私だと気づいてない?)
なぜか、かなりがっかりした。
(それにしても……)
期せずして彼に関わり、私の業に彼を巻き込んでしまったのだろうか?
いやいや、それはあり得ないと思いつつ、それでも私は申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。
十四年前のあの日、街を覆い尽くす津波に巻き込まれ、意識不明でよそのお宅のベランダに絡まっていた私は、たまたま目立つ色の服を着ていたおかげで自衛隊のヘリに発見され、すぐさま蘇生措置を受けた。
でも、私はあの時一度精神的には死んだのだろうと今でも思う。
感情が失われ、一時は食べることも眠ることもできなくなった。今私がここにこうしているのは単なるロスタイム。神様のくれたオマケ以外の何物でもない。
「……キミも、結局こっち側に来ちゃったね」
「こっち側?」
「うん。〝死線〟を越えたでしょう?」
嘆息混じりのつぶやきに、彼は目を丸くして絶句した。
救急の重傷患者さんにもよくある話だけど、一度でも死に直面した人は、それまでの人生観ががらりと変わる。
いや、変わらざるを得ない。
生き延びたことの意味を否応なく突きつけられ、
私自身がかつてそうであったように、そんなハードな経験はしないで済む方が絶対に幸せだ。同じような運命に彼を巻き込みたくなかった。もっと普通に、健やかに生きて欲しかったのに。
志摩のキャンプ場で私が見惚れたあの瞳。深く澄み切った湖のような、見る物を引き込まずにはいられない純粋で透明な……
今の彼は違う。
澄み切った瞳の色は同じでも、そこに浮かんでいるのは理不尽で暴力的な世界に対するある種のあきらめだ。
彼もまた、私のように世界を呪っただろうか?
「貴女こそどうなんですか。もしかして、まだ……」
だが、彼はむしろ私の心配をしていた。あの時の私はよっぽどやさぐれて見えたのだろう。
私は苦笑しながら首を振る。
「……どうにか気持ちと折り合いのつく居場所を見つけたよ。ずいぶん時間はかかったけどね」
「……そうですか、それはよかった」
彼はゆっくりと頷くと、静かにコーヒーを飲み干した。
気がつくと、二人とも黙り込んだまま有線放送を聞いていた。
(……彼となら、こういうまったりとした時間も悪くないね)
なんとなくそう思った瞬間、不意に曲が切り変わった。
松田聖子の〝赤いスイートピー〟。私は思わずはっとする。
「あ、あの、出来ればまた――」
(……ああ、ダメだ)
彼が意を決したように切り出すのを、私は強引に遮る。
「再会の約束はしないでおこうよ」
彼が再会を望んでいることなんか見れば判る。私だってまた逢いたいと思っている。そのはずなのに、私の口からは身勝手なセリフがドンドン出てくる。
「その代わり、うーんと変な約束をしよう。いつか、世界が終わる前にどこかでもう一度偶然出会えたら……」
(違う、そんな突き放し方をしたいんじゃない)
心では思うのに、まぶたの裏にちらつくのは、洗濯物を畳みながら上機嫌でこの曲を口ずさんでいたあの頃の母の姿。
(そう。私はまだ力が足りない。この世界に何の復讐もできていない)
「……その時は結婚でもしようか」
突然こぼれた支離滅裂なセリフに自分が一番びっくりした。
そのまま、彼とは別れた。
荷物を満載にしたバイクに跨がった彼は、呆れたような困ったような表情をヘルメットにしまい込み、南に向けて走り去って行った。
彼のバイクが見えなくなると、私はその場に崩れ落ちて少し泣いた。
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