陸前高田にて

「お疲れ様です。収容先はどこになりそうですか?」


 私は駆け寄ってきた救急隊員にいきなり尋ねる。


「あの、失礼ですが……」


 彼の喉に突き刺さったボールペンと私の顔を等分に見ながら、隊員はいぶかしげな表情を隠そうともしない。


「あ、私、これでも医師ドクターです」


 職員証をかざすと彼はようやく納得の表情を浮かべた。


「都内は厳しいですね。恐らく多摩登戸病院か、聖マリアンヌ医大病院になると思います」


 私は彼の収容先が自分の勤める病院でなかったことに半分ホッとしながらさらに尋ねる。


「病院まで付き添っても?」

「むしろ助かります。では早速運びますので」


 すぐにストレッチャーが用意され、彼は喉にボールペンを突き立てたまま救急車に病院に乗せられた。




 その日以来、私は変わった。

 周りがそう言うばかりでさしたる自覚はない。けれど、彼を救ったことが私自身にとっても精神的な安定につながったのは間違いない。何より、救急でやって行こうという気持ちにようやく迷いがなくなった。

 そうして一年。同僚に遅れること半年以上、長かった研修期間がようやく終わりを告げた。


「お前、来週は休暇だったな。親御さんの墓参りか?」

「はい、まあ」

「では、休み明けのさ来週、DMAT災害派遣医療チームの研修に参加しろ」

「は?」


 修了報告で科長室に呼ばれた私は、いきなりそう言われて面食らう。

 

「うちの病院がDMATの指定医療機関なのは知ってるな」

「ええ、一応私も救急科の一員ですから」

「で、すでにうちには二チームあるが、今回、お前を入れた三チーム目を編成することになった」

「でも私、ようやく専攻医研修が終わったばかりで……」

「だったらそれなりに使い物になるはずだ。人並み以上に場数は踏んでいるし、なんせ俺が手ずから鍛えてやったんだからな」


 科長はニヤリと笑う。確かに、同僚より研修期間も長かったし、立場上他の医師が尻込みするような重症患者の対応もずいぶん押しつけられた。その上少しでもまごつこうものなら科長に散々叱られた。明らかに同僚に対するより当たりがキツかったと思う。これまで心が折れなかったことをむしろ褒めて欲しい。


「お前、自動二輪の免許持ってるな?」

「は、それが、何か?」

「今度発足するチームは全員が二輪の免許持ちだ。四輪が入れない密集地や災害現場向けの即応チームという位置づけだ。せいぜい励めよ」


 奴隷から開放されてようやく人並みの待遇が保証されるのかと思ったら、どうやら認識が甘かったらしい。

 私は大きくため息をつくと渋々頷いた。




 週が明けて、私はほとんど一年ぶりの休暇をもらって故郷の土を踏んだ。

 古い市街地では、将来の津波に備えて街全体に何メートルもの盛り土をするという土木工事の最中だ。でも、工事の終わった場所も延々と更地が広がるだけで、いまだに建物はほとんど見られない。元々陸前高田駅のあった場所のそばにはショッピングセンターがオープンしていたが、当時の面影はもはやどこにも残っていない。

 そんな変わり果てた風景を見て、私の中でずっと引きずっていた何かがすっと吹っ切れた。


(もう、私の故郷ふるさとはここにはない)


 私はかつての実家の前に立ち手を合わせて故人の冥福を祈ると、高台に立つ真新しいホテルに向かう。連泊の予定をキャンセルし、明日の朝早く、一本松に詣でたらすぐに東京に戻ろうと心に決めた。




 翌三月十一日、早朝。

 この日は追悼式やイベントが行われる関係で、旧陸前高田ユースホステルの周辺はものすごく混雑する。有名な奇跡の一本松があるからだ。

 私自身は特に式に参加するつもりもないので、目が覚めてすぐホテルをチェックアウトし、タクシーで現地に向かう。


「お客さん、ここからは歩きでお願いします」


 運転手にそう言われ、バイパス沿いのカフェの前で下ろされた。

 早朝ということもあってだだっ広い砂利引きの駐車場に車の姿はなく、荷物を満載したオフロードバイクが建物に寄り添うようにぽつりと停まっていた。それをひと目見た瞬間、目がくらむような既視感デジャヴュが私を襲う。


(まさか……)


 心臓が飛び跳ねるような気分だった。

 よく見れば車種も足回りもあの子のバイクとは違う。それでも、再会への期待で心が高鳴る。

 あの日、彼を病院に送り届けた私は、担当の医師へ申し送りをすると逃げるようにその場を離れた。

 相変わらずみっともなく迷い続けている自分を見られたくない気持ちが大部分だったけど、志摩で見惚れたあの神秘的な瞳が光を失い、都会でやつれ果てている彼を直視したくなかったからだった。

 もちろん、すぐに後悔した。激務の中なんとか時間を作って見舞いに行ったけど、彼は既に退院し、勤務先も退職したと聞いて私はそれ以上の手がかりを失った。

 一千万人以上が暮らす大都会の片隅で奇跡的に再会できたのに、みすみすチャンスを逃した自分を激しく責めたけど、後の祭りだ。


(もしかして……)


 バイパスを渡り、海岸に向かってゆっくり歩く。

 次第に海霧が上がってきて、先端だけがちらりと見えていた一本松の姿も完全に覆い隠された。まるで私の人生みたいに、道は濃い霧に隠された。

 数歩先もおぼつかない中、私は砂利を踏み締めながら慎重に歩く。


(もしも本当に彼だったら……)


 今度こそちゃんと話そう。連絡先を交換して、すぐにまた会えるようにしよう。


(でも……)


 私は自分のヘタレ加減を誰よりよく知っている。

 土壇場で変なテンションになり、またとんでもないことを口走ってしまいそうな予感で全身がビリビリとしびれる。


(あ!)


 次の瞬間、霧の中におぼろげな人影が浮かび上がった。私は歩みを止め、胸を押さえて大きく深呼吸する。

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