8章 女装ゲーム実況者の俺、24時間配信に挑む その2
カラッ、カランと軽い硬質な音が鳴った。まな子の手から箸が机上に落ちたのだ。持ち手の部分に彫られた龍の顔が偶然、二頭とも天板について俯(うつむ)くような恰好(かっこう)になった。
俺は向かい側に座り、彼女の暗鬱とした顔を見やった。
「らしくないな。周囲にどう思われようが、己が道を突っ走るのがまな子ってヤツだろ?」
「……それぐらい思い切れたら、どんなに楽であろうな」
まな子は前と同じく、おかずから飯(めし)まで真っ黒――黒豆とかのり弁みたいなまともな色ではなく、本当に何もかも真っ黒なのだ――な弁当を見やり、ため息を漏らした。
「我はどうしようもないぐらいに、何も取り柄(え)がないヤツだったのだ」
「自分語りか?」
「イヤならやめるが……」
しおれた花のようにしょんぼりした様子で言われた。良心を欠片程度は持ち合わせている俺は、こんなしょぼくれたヤツを放っておけなかった。
「なあ、話してくれよ」
「聞きたいのか?」
「ああ」
「では話そう」
ちょっと元気を取り戻すまな子。俺はもう余計なことは言わず、彼女の話に耳を傾けることにする。
「我は幼少の頃より、他者に勝るものが少ない子供だった」
「長所がなかったってことか?」
「然(しか)り。運動に勉強、芸術面や他の面においてもな。愚鈍な子供と大人には呆れられたし旧友には嘲笑された。両親だけは、我の可能性を信じてくれたが……ある日、とうとう限界まで追いつめられた」
当時のことを話すまな子の声はとても落ち着いたものだった。まるで自分の心を荒げないよう慎重に発声しているかのように。
「我は外の世界の聖なる気から逃れるべく部屋を黒魔導による結界で閉ざし、己が身と心を守るようになった」
「かつてそんなにも引きこもることをポジティブに表現したヤツはいないだろうな」
「引きこもっていたことを打ち明けて、そんな返しをさらっとする輩(やから)も初めてであるぞ」
けらけらと笑われ、俺は頭を掻いた。
一息吐いて、まな子は先を続ける。
「しかしその結界は貧弱であり、白の住民である母上と父上であれば容易く破ることができたであろう。力づくで外の世界に連れ出すことも、やってできないことはなかったはずだ。我はその頃は、……非力で凡庸な存在であったからな」
「子供ってのは大抵そんなものだ」
「うむ。しかし両親は我の意思を尊重し、何も言わず自由にさせてくれた。その寛大(かんだい)な心遣いには感謝をしている」
心の底からの言葉だと、声からも表情からも伝わってきた。
俺は嫉妬(しっと)のようなものが胸の内で起こるのを感じ、慌てて振り払った。
「……よかったな、両親がいい人で」
「うむ。母上も父上も、我がこの世界でもっとも尊敬する存在であるぞ」
曇りない笑みが、俺には至極(しごく)眩しかった。夏の日差しよりもずっと。
「部屋に引きこもってる間は何をしてたんだ?」
「決まっておろう。ゲームである」
「なるほど。それがお前のルーツなのか」
「そうだ。あの結界に閉じこもり電脳の遊戯と戯れる時間がなかったら、今の我は存在していなかっただろう。ネットにも載っていることだがな」
俺は少しの間、言葉を失っていた。
「……引きこもってたことを、公(おおやけ)に打ち明けているのか?」
「うむ。我という存在がいかにして誕生したのか、民草に伝えてやったのだ」
ちょっと考えてみたが、やはりどうしても納得しかねることだった。
「ゲーム実況者ってのは、基本的には視聴者を笑わせる存在だろ?」
「うむ、そうだな」
「なら、そんなヤツが暗い過去を打ち明けたら……、可哀想(かわいそう)になって純粋に動画を楽しめなくなっちゃうんじゃないか?」
「そんなことはない、断じて」
きっぱりと言い切ってまな子はかぶりを振った。
「ゲーム実況者は実況動画さえ面白ければその者の背景など視聴中は霞(かす)んでしまうものである」
その口ぶりは堂々としていて、彼女は確たる信念を持ってゲーム実況をしているのだと俺は感じ取った。
「むしろそういった過去を打ち明けることにより、今苦しんでいる誰かに寄り添うことができるやもしれぬ――そう我は信じている」
「……もしかして、大学でセミナーを開くのも?」
まな子はちょっと気恥ずかしそうに頬を染めてうなずいた。
「うむ。……そういう柄ではないことは、わかっているのだがな」
「いや、そんなことはない」
揺るぎない響きに自身の思いを乗せて俺は言った。
「まな子は立派だよ。もっと胸を張っていい」
「そ、そうか……?」
「ああ。苦しんでいる人のために、大勢の前で話す――誰にもできることじゃない。それができるお前は、すごいヤツだよ」
「そ、そうか……」
さらに顔を赤らめるまな子。でもその口はちょっとニヤついていた。
「……え、ええと。なにやら別の話をしていた気がするが……」
「ん? ああ、そうだな……もぐもぐ」
「……ってっ、そ、そなた!?」
俺は龍の箸を手に、目の前の弁当に口をつけていた。
「な、何をしておる!? その弁当は……」
「マズいな。でも食べられなくはないぞ」
「それは……誠か?」
「ああ」
味がケンカをしていて、触感がドロッとしているのはアレだったが、食べれないことはなかった。
「今更だけど念のために訊いておくが、夏場でも夕方まで長持ちするような工夫はしておいたんだよな?」
「うむ。保冷材は入れておいたが……」
「そうか。……腐ってないでこの味ってのは、いささか不安を覚えるけどな」
「だ、だったら無理をして食べる必要はない。自分の蒔いた種は自分で摘み取るのが、冥王たる者の義務なのだから……」
「今から四つも弁当を食ったら、夕飯が入らなくなるだろ?」
「……む、むう」
「……なあ、今度俺が料理を教えてやろうか?」
「へっ……え?」
ぽかんと口を開くまな子。
「なに驚いてんだよ。このままの腕でいいと思ってんのか?」
「い、否っ。決して今の料理で満足しているわけではないが……」
彼女はそっぽを向きつつも視線だけはこちらに送り、惑いを露(あら)わに問うてきた。
「わ、我が料理を作っても……いいのか?」
「だってお前、料理が好きなんだろ?」
「それは……そうであるが」
「じゃあ、やれよ。好きなことなら自分が満足できるまで、思いっきりさ」
「……う、うむ。じゃあ、その……色々と、我に教えてくれぬか?」
遠慮気味に頼んでくるまな子に俺は「ああ、もちろんだ」と大きくうなずいた。
ちょうど弁当箱が一つ片付いた。結構な量があるが、一日中歩き回ったせいかまだまだ腹には余裕がありそうだった。
「だけど今回のまな子の弁当は、食えないほどの味じゃないと思うんだが……」
「前とは少し味付けが変わっているからかもしれぬな」
「味付け……って?」
まな子はいつもの「ククク」と悪党を意識したような――にしては響きが軽すぎる――笑い声を漏らして言った。
「以前は同盟国から輸入していた“まーまいと”とやらを入れていたが、今回はストックが切れていたゆえ入っておらぬのだ。味も多少なりとも変わっているやもしれん」
「……まな子」
「なんだ?」
「それは人間の食べ物じゃない」
俺は自身の間違いを自覚しつつも、強い口調で断言した。
〇
「申し訳ありマセンデシタ……!」
部屋に戻ってきた夢咲は開口一番と共に頭を下げてきた。
「ミーが勝手に勘違いしてたみたいで……」
「……すまんが、話がまったく見えない」
「わからなくていいのですよー」
のほほんとした調子で話に入ってくるコイズミ。
「たさいさんはさっき急にゆめちゃんが怒ったことを、許してくれればいいのです」
「いやでも、その理由は知りたいんだが……」
「そ、それは秘密……ということではダメデショウカ?」
顔を上げ、上目遣(うわめづか)いに見てくる夢咲。
俺は好奇心をぐっと飲みこみ、努めて笑って言った。
「いやまあ、言いたくないなら別に無理には訊かないけどさ」
「サンキューデス」
ほっと胸を撫で下ろす夢咲。
しかし終わったはずの話をコイズミがさも愉快そうに掘り返す。
「でもでも、みー的にはゆめちゃんの勘違いを打ち明けた方が面白くなると思うのですよ」
ピキッと夢咲の額に青筋が浮かぶ。
「そもそもコイズミサンがおかしなことを言わなければ、ミーだってあんな勘違いしなくて済んだんじゃないデスカ!!」
「……やっぱりコイズミが原因だったのか」
俺は夢咲の怒声をにこやかに聞き流すコイズミを見やり、肩を竦めた。
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【次回予告】
愛衣「あたし、一度外国に行ってみたいのだ」
生流「そういや愛衣は海外旅行とかしたことなかったな」
愛衣「いっぱい行ってみたい国があるのだ! アメリカ、中国、フランス、ハワイー」
生流「……アメリカとハワイは同じ国だぞ」
愛衣「そうなのだ? ……あと、ギリシャとイギリス!」
生流「響きで一緒に出てきたんだろうな……。まあ俺も、イギリスには一度行ってみたいな」
愛衣「きっと、とってもいい国なのだ。素敵な建物がいっぱいあるし、都会を離れると美しい自然と古き良き街並みが|ちょーわ(・・・・)した景色にうっとりなのだ」
生流「……ある食品を製造してる工場を片っ端から破壊して回りたい」
愛衣「え、えっと、兄ちゃん……?」
生流「食べ物の恨みが恐ろしいことを、教えてやる……!」
愛衣「じ、次回、『8章 女装ゲーム実況者の俺、24時間配信に挑む その3』なのだ」
※この物語にはテロ行為を推奨する意図はありません。
また食べ物の好みは人それぞれであり、自身が生理的に受け付けないものでも美味しくいただいている方がいることをお忘れなきよう。
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