5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その3
「セリカちゃん、今日は泊まっていってほしいのだ」
耳を疑った。
テレビに映されていた映画ではちょうど、主人公とヒロインのサービスシーンが繰り広げられていた。
甘ったるいヒロインの声が沈黙の中に響く。
「……お、お泊まりですか?」
「なのだ。兄ちゃんが帰ってくるはずだったから材料をたくさん買ってきたのに、急に来れなくなっちゃったみたいで……」
そのメッセージはついさっき、愛衣に隠れて俺がこっそり送ったものだ。
しかしまさかそれが、こうして禍の種になろうとは……。
今更のように頭に最適解が浮かぶ。
まずセリカとして家で過ごした後、帰宅。
一旦どこかで男の格好に着替えて、再度愛衣の家に来る。
完璧である。
しかし今となっては後の祭りだ。
致命的なプレイングミスをしてしまった時のような苦々しさに、心にどんよりとしたものが生じる。
ベターな打開策はここで愛衣のお願いを断り、最適解を行うというものだ。
一旦帰り、再度生流として「予定が変わって行けるようになった」と連絡する。
悪くない。リカバリーとしては及第点だろう。
だが兄が来れず、友人のセリカまで一緒にいてくれないとなったら、一時的にとはいえ、愛衣を悲しませることになる。
今はセリカとはいえ、ここで断るという選択肢は俺にはあり得なかった。
「……いいですよ」
「そうか、よかったのだ!」
「あ、でも、着替えを持ってきてないんですけど……」
実は持参したバッグにある衣類は、生流……つまり男性用の服であり、女性服は今着ているもの以外持っていなかった。
「うーん、セリカちゃんとあたしはサイズが合わなそうだし……。あ、じゃあ、寝るときは兄ちゃんのジャージを着るっていうのはどうだ? ……でも、さすがに知らない異性の人の服を着るのは……」
「いえ、いいですよ」
その知らない異性の人のことは愛衣以上によく知っている。別にソイツの服を着ることにもまったく抵抗ない。もっと言うなら、その服には一度袖を通したことすらあるだろう。
「そっか! あ、でも念のため兄ちゃんに、一度確認を取ってみるのだ」
スマホを取り出し、片手で操作を始める愛衣。
「あ、ちょ、ちょっとお手洗い借りますね」
「どうぞなのだー」
トイレに駆け込んだ俺は、スマホを取り出し兄として愛衣からのメッセージに返信する。
ジャージの件について承諾した俺は、はたと気付く。
ここで生流がいけることになったと連絡して、その後でセリカが急に用事ができて帰らねばならないと謝罪しながら言う。
かなりの良策ではないだろうか?
だがその考えは、愛衣の「セリカちゃん、セリカちゃん!」という弾んだ声を耳にした途端に掻き消える。
愛衣はセリカのことだって友人として好きでいてくれている。
そんな彼女が急に帰ることになると知ったら、やっぱり悲しむだろう。
「セリカちゃんはカレー好きか?」
「はい、大好きですよ」
俺はそう答えてから、音を出さぬよう注意を払ってため息を吐いた。
●
妹と二人で食卓を囲む。
このワンフレーズだけなら、平々凡々とした響きなのだが。
「セリカちゃん、美味しいのだ?」
「は、はい……とっても美味しいですよ」
女装して、となると話は百八十度変わってくる。
「そっかー、よかったのだ。お代わりもあるから、たくさん食べてほしいのだ!」
食卓に置かれた大鍋は愛衣の言うようにかなり大きく、カレーがいっぱいに入っている。
漂う香りは、平時ならさぞ食欲をそそったことだろう。
まあ、今は米粒を通すことすら精一杯なのだが。
「それにしても兄ちゃん、残念なのだ。セリカちゃんみたいなきれいな人と一緒に食事ができるチャンスだったのに」
「あは、あはは……」
笑顔が引きつる。目の前にいるそのきれいな人が、まさしく実の兄なのだが……。
「仕方ないからセリカちゃん、今日は二人でパジャマパーティーなのだ! 朝まで一緒にベッドでオールナイトだぞ!!」
妹とベッドでオールナイト。背徳さが漂うワードは、ものすごく心臓に悪い。
「あ、あの、寝不足は体に悪いですよ」
「おお、そういうことに気を遣ってるから、お肌ツルツルなのだな」
「い、いえ……」
「もっとセリカちゃんのお肌見たいのだ。ご飯食べ終わったら、一緒にお風呂に入るのだ」
「お、お風呂は一人で入ります!」
ここだけはなんとしても、死守せねばならない。
全裸なんて見られたら一発で男だってバレてしまうではないか……。
「むう、残念なのだ。セリカちゃんのプニつやお肌を堪能したかったのに」
おそらく愛衣の頭の中に浮かんでいる光景は百合アニメ定番の健全なキャッキャウフフなのだろう。それは俺も好きだが、俺と愛衣ではゲームパッケージのレーティングがAからDぐらいまで一気に跳ね上がる超禁断系な組み合わせである。
「……でも、一緒に寝るぐらいはしてほしいのだ」
せめてものお願い、という感じで若干上目遣い気味に頼まれる。
こんな捨て犬みたいな弱々しい顔、普段の俺には絶対に見せない。頼まれたことはほとんど断らずにやるからだ。
自分の鼓動がドキドキと加速していくのを感じた。
ま、待て、待て待て、愛衣は妹だぞ!?
落ち着け、冷静になれ、羊の数を……いや、こういう時は素数とか円周率じゃないか?
「どうしたのだ、セリカちゃん」
「えっ!? あっ、はい、なんでしょう!?」
「いや、スプーンが止まってるから……。あと、なんか1匹2匹って数えてたのだ」
「あは、あはは……」
「具合、悪いのか?」
「そ、そんなことないですよ。バーゲンセールができるぐらい、元気はあり余ってますから」
両こぶしをぎゅっと握ってみせると、愛衣は不安そうな表情をころっと笑顔に変えた。
「そっか、よかったのだ。今日はたくさんセリカちゃんと遊びたいからな」
「いいですね。何して遊びますか?」
「ゲームなのだ!」
せっかく作った笑顔に、ぴしりとヒビが入ってしまった気がした。
「……げ、ゲームですか?」
「そうなのだ! あ、セリカちゃんもゲーム好きか?」
「……はい。好きですよ」
別に正直に答える必要はなかったのだろうが、さすがに自分に対して嘘をつくことはできなかった。
だが……。プレイングで本人だとバレないだろうか?
不安が胸に巣くって、冷や汗がだらだらと背中を垂れていく。
「ほ、他に、何かやりたいことってありますか?」
「後はおしゃべりとかたくさんしたいのだ!」
ほっと安堵する。ゲーム実況で口先の上手さには常日頃、磨きをかけている。普通に話している分には、ボロは出さないだろう。
「いいですね。愛衣さんのこと、もっと知りたいですし」
「あたしもなのだ。好きな食べ物とか、趣味とか。恋話も楽しみなのだ~」
コイ……バナ。
二重の責め苦が俺を襲う。
自分の恋話をするということは、架空の男への恋愛話をしなければならないのだろう。俺の恋愛対象は女の子なのだが……。
それに愛衣の恋愛話を聞かされることになる。
もしかしたら、どこぞの馬とも知れぬ男とののろけ話を延々と……。
「セリカちゃん、セリカちゃん! スプーン曲げはダメなのだ!」
気が付いたら俺は、スプーンに対してぐっと親指を押し付けていた。愛衣の言うように若干スプーンの先が曲がりかけている。
「あ、す、すみません」
「そういう男子小学生みたいなことは、メッ! なのだ」
ピシッと指を突きつけてくる。
俺の心の苦悶はバレていないようだった。よかった。
「セリカちゃん、お風呂はどっちが先に入るのだ?」
「……ええと、そうですね」
風呂に入るということは、籠に服が残る。
万が一、その服に残った臭いで性別がバレる……なんてことも、あるかもしれない。
それなら脱いだ直後に洗濯機をかけなければならないだろう。
「愛衣さんがお先に入ってください」
「いいのか、一番風呂に入らなくても?」
「はい。あ、お風呂に入るついでに、洗濯機もかけておきますね」
「じゃあ、お願いするのだ!」
「わかりました」
不安が一つ片付くと、急にお腹が空いてきた。
俺は慣れ親しんだ味のカレーに舌鼓を打ちつつ、愛衣とのエセガールズトークを続けた。
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【次回予告!】
愛衣「次回予告のお時間なのだ!」
魔光「クックック。我を連続で呼ぶとは、賢明(けんめい)な判断である」
愛衣「えっと、一生懸命なのだ?」
魔光「否(いな)、そうではなくてだな。賢き者だと褒めてやってるのだ」
愛衣「おおっ、魔光ちゃん頭いいのだ!」
魔光「フッ、そうであろうそうであろう」
愛衣「すごい天才なのだ! ジーニアスなのだ! ティアンツアイなのだ!」
魔光「いいぞ、もっと褒めよ!」
愛衣「ジェーニョ、チョンゼ! えーっと、アブカリー、ジニー!」
魔光「……んん?」
愛衣「ヘーニオ、ゲーニー、インゲニウム、メガロフィイア!」
魔光「……何かの技名なのか、それは?」
愛衣「えっと……、語彙が少なくてゴメンなのだ」
魔光「まあよい。次回、『妹の家で一夜過ごします、女装姿で その4』 !」
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