4章 女装した俺、かつての仲間と出くわす その3

 俺は勇敢なる一人の友を失い、決戦の地へと向かっていた。

 空には入道雲が浮かび、さんさんと太陽が輝いている。

 額から流れる汗を拭い、ふうとため息を吐く。

「……実況者も、社会人か」

 そう考えると、なかなか過酷な世界である。

 会社はせいぜい4回程度の面接を通過すれば、採用される。

 だけど実況者は人気になるまで何十回、下手すれば百、千を越える数の動画を投稿しなければならない。

 完全実力主義の世界。プロゲーマーと趣旨は違えど、その構造はほぼ同じなのだ。

 そんな中、夢咲という指導者に手取り足取り面倒を見てもらっている俺は、すごく恵まれている。いくら感謝してもしたりないぐらいだ。


 ふと足元に柔らかい何かが当たってきた。

 見やると一匹の小さな黒猫が、青い瞳でこちらを見上げてきていた。

 野良だろうか。首に輪がついていない。

 黒猫は本来は幸福のシンボルだったらしい。ヤツが横切ると不幸になるというのは、幸福が逃げていくからという理由らしい。

 黒猫は俺のフレアスカートに体を擦りつけてきている。どうやら気に入られてしまったらしい。


 早く行かなくちゃグッズがとはやる気持ちもあったが、この可愛い生物を無下にするような輩をモロハちゃんは好いてくれないだろう。

 仕方なく俺はしゃがみ込んで、黒猫の相手をしてやることにする。

「ったく、俺は急いでるんだぞ」

「ニャーォ」

「本当はお前の相手なんてしてる暇ないのに」

「フニャ~」

 頭を撫でてやったり、首を擦ってやると素直に気持ちよさそうに目を細めたり、指をぺろりと舐めてきたりする。

 ……可愛い。なんだこの小悪魔。猫ってのはこう、ワイルドにデスクローを振り回してくるヤツばかりだと思っていたが。


「くっ……、こんなところで足止めされるわけには」

「ミャァー」

 ダメなのに、感じちゃダメなのに……!

 胸が、愛くるしさにときめくっ……!!


「お前、飼い主とかいないのか?」

「ニャ?」

「そうか……。うーん、あのマンションってペットはどうだったかな」

 って、何考えてるんだ俺は……。

 頭を振って雑念を追い出そうとするが。

「ミャァン」

 弧の脳を蕩(とろ)かす鳴き声は、あまりにも……凶悪すぎるッ!


「ぐっ……。家主に無断で、連れて帰るなんて……」

「ニャーン♪」

 脳中枢を毒する怪音波に、神経が洗脳されてくる。

「い、いいよな……一匹ぐらい。すごい金持ちっぽいし」

「ミャー、ゴロゴロ……」

 喉を鳴らす様も、まためんこい。


 ああ、神はなんで猫という愛くるしい動物を作りたもうたのか。

 こんな存在がいれば、そりゃ猫動画をアップすれば勝手に再生数が伸びていくという風説が流れてもおかしくないだろう。実際のところはどうか知らんが。

「ニャァー」

 そういえばモロハちゃんも猫好きだったなあ。

 初代の6話の登校中に猫と遊んでいて遅刻するシーンを観た時は、子供っぽくて可愛いなと思ってたけど……これは大人も虜(とりこ)になるヤツだ。


 時間を忘れて戯(たわむ)れていると、ふいに背後から「グルルルルル」と物々しい唸り声が聞こえてきた。


 見やると大型犬が穏やかじゃない空気を漂わせて、今にも飛びかからんとするかのように毛を逆立てていた。

 背はブラウン、腹から顎、足は白く、耳と鼻は黒い。カンガール・ドッグだ。カンガルーではない、それでは別種になってしまう。

 カンガールという村で飼われていた犬種で1000年以上前から存在自体は認知されていたが、名前をつけられたのは1960年代にイギリスに持ち込まれた時らしい。

 以上、超人気ブラウザゲーム『ワンコレ』のキャラ紹介から得た知識である。


 毛並みはよく手入れされており、リードのついたマリンブルーの首輪をはめている。

明らかに飼い犬だ。どうやら何かの事情で主とはぐれてしまったらしい。


「……えっと、迷子ですか?」

 友好な関係を築こうとセリカの状態で話しかけてみた。が、試みは空しく「バウッ!」の一喝で跳ねのけられてしまった。


「あ、あの、毛、きれいですね。毎日ブラッシングとかしてもらってるんですか?」

「ウゥウウウウウッ……!」

「え、えっと。わたしたち、お友達に……」

「ヴァオヴァオッ、ヴァォンッ!!」

 取り付く島もないとはまさにこのことである。


 猫は大丈夫だろうかと見やると、ちょうど体を伏せてあろうことか、フレアスカートの中に避難しようとしていた。

「おいっ、そこはダメだぞッ! 絶対にダメだからな!!」

 やるなと言われたら、やる。

 それは人間も動物も同じだと、今身をもって知った。

 するっと猫は暖簾(のれん)をくぐる要領でスカートの中に侵入してくる。

 真夏の陽気とは関係なしに、顔が熱くなってくる。

 スカートの中を、覗かれてる。猫に。

 サンダルを履いているため素の状態である脚に、猫の柔らかい毛の感触。

 女装のために毛を剃(そ)ったからか、毛並みの感触を手で触るのと同じぐらい確かに感じている。すごくこそばゆい。

 段々と色々な角度から、自分の今まで大事にしていた何かを打ち壊されているような気がしてきた……。


「ヴアゥンッ! ヴアゥンヴアゥンゥッ!」

 急き立てるような鳴き声に、失念しかけてた犬の存在を思い出した。

 怖い、めっちゃ怖い。

 近づいたら食われる、そんな凄味がある。


 逃げ出してしまいたい。

 だが俺がここを立ち去ったら、猫が一匹で取り残されてしまう。

 あの小さな命がこの暴風のごとき存在の前に取り残されることになる。


 ふと気付く。

 もしかしてアイツ、犬から非難するために俺のスカートの中に……。

「一人だけ隠れやがって……」

 やや守る気力が失せたが、だからといって見捨てられるわけがなかった。


「ったく、仕方ねえな。お前はそこに隠れてな」

 スカートの中から「ミャーン」と呑気な鳴き声が聞こえてきた。ったく、コイツは……。


 俺は改めて犬を見やる。

 ヤツは態勢を低くし、鋭い視線を俺のフレアスカート、もっと言えば猫のいる辺りに向けていた。

 もしかしたらヤツの狙いは猫なのかもしれない。

 なおさら逃げるわけにはいかず、俺は両脚にぐっと力を入れる。

 犬は視線を上げて、俺の顔を見据えてきた。

 その目は『とっととどけやこの小娘が、オレっちの餌を隠しやがってからに』と言っているかのようだった。

「悪いが、コイツは渡せねえよ。お前みたいな犬畜生にはな」

「ハァハァハァ、バウッバウバウッッッ!!」

 剣幕の凄まじさから、相当トサカに来ていることが窺える。

 鞭のように左右に振るわれる尾、限界まで縮められたバネのような前脚。

 炎天下にいるにもかかわらず、背中が冷たい。


 人間は動物の中でも、貧弱な部類に入る。爪は短く、顎の力も弱く、身体能力なんか目も当てられない。

 大して相手はあのカンガールドッグだ。

 トルコの牧羊犬として育てられてきた彼等は、そんじょそこらの飼い犬とはわけが違う。

 獰猛な野生動物や不届きな狩猟者から大切な羊を守るべく、代々厳しい訓練を課されてきたのだ。

 ゆえに俊敏な動きを可能としており、脚力は時速50キロ、約5キロのトラックをけん引するパワフルさも兼ね備えている。体重も60キロと重く、その重量から繰り出される突進やのしかかりは食らったら重傷ものだ。

 さらには咬合力(こうごうりょく)つまり噛む力も犬の中ではもっとも強力な512万パスカル。人間の五倍である。もしも噛みつかれたらまず間違いなく入院必須、下手したら死に至るだろう。


 そんな超危険生物を前にしている現状は、熊や狼を前にしているのと変わらない。

 周囲に広がる住宅街の光景とのギャップが凄まじく、そもそもカンガール・ドッグはペットとして飼われることはほとんどない、作業用の使役犬という認識が一般的なはずである。もしかしたら俺は今、夢を見ているのではないかとさえ思えてくる。だけど抓(つね)った頬はちゃんと痛かった。

 認めたくはないが、俺はちゃんと現実にいる。

 おかしいのはカンガール・ドッグの存在だけだ。


 息のつまるような睨み合いが続く。

 いや、もしかしたら蛇に睨まれた蛙(かえる)の方が正しいかもしれない。

 無論、蛙は俺で、蛇はカンガール・ドッグだ。


 蛙になった王子様は、壁に叩き付けられて死ぬ結末も存在する。

 ただそれだって可愛い女の子にやられているのだから本望とまでは言わないまでも、まだベターな幕引きな気がした。。

 少なくともこんな毛だらけな猛獣に噛み殺されるよりは遥かにマシだと俺は思う。


 せめて猫がスカートの外に出てくれれば抱き抱えて逃げ出せたのだが、そんな様子はまるでない。

 逃げも隠れもできない状態だ。まさに万事休す。絶体絶命。


 俺はただ、コンビニに行ってモロハちゃんのグッズを買いたかっただけなのに……どうしてこんなことにと運命の女神を呪いたくなった。

 だが人間とは神に踊らされ、道化となって生きる存在なのである。

 この犬畜生も神の使いというわけであろう。もしかしたら名前もケルベロスというのかもしれない。


 人は神の押し付けてきた試練に対し、二通りの選択をすることができる。

 立ち向かうか、背を向けるか。


 俺はプロゲーマーという現代の健闘士的な存在でありながらも、時には逃げることを厭(いと)わなかったように思う。

 プロゲーマーをやめたあの日だって、今思えばスポンサーに抗議することだってできたかもしれない。だがそれをしなかった。

 逃げたのだ、俺は。eスポーツから、仲間のみんなから。


 だけど今はもう、逃げない。

 立ち向かうべき敵が目前にいる。守るべき存在がスカートの中にいる。

 モロハちゃんならきっとこの状況で踏みとどまって、強敵に立ち向かうに決まってる。

「……来いよ、犬畜生」

 俺は脚を肩幅に開いて、腰を落とした。

「この俺が……相手になってやる!」

「ゥヴヴヴ……!!」


 命を賭した戦いが始まろうとしたその時。


「タマキ……、タマキー……どこ?」

 どこからか気怠げで眠たげな声が聞こえてきた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【次回予告!】


佳代「マジでわっかんないんだケド……」

乙乙乙「どうした……の?」

佳代「ああ、乙乙乙っち。ちょっとなんか気になったクイズアプリ入れてみたんだケド、全然解けなくって」

乙乙乙「……JKクイズ? こういうの、かーよー得意そうなのに……」

佳代「よーく見てみ」

乙乙乙「……ああ、二昔前ぐらいの」

佳代「ソウルとかこう通じ合ってるものがあるから、イケるかなって思ったんだケド、マジ無理だったわー」

乙乙乙「……仏作って魂入れず?」

佳代「ビミョーにズレてるっぽい気がするんだケド」


乙乙乙「……次回、『4章 女装した俺、かつての仲間と出くわす その4』」

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