4章 女装した俺、かつての仲間と出くわす その2

 エントランスで顔なじみのおばさんと鉢合った。

「あら、和花ちゃんのお友達の」

「こ、こんにちは」

「ふふっ、珍しいわね。今日は一人なのね」

「ええ、まあ」

「そうだ。この前、実家のお母さんが美味しい琵琶を送ってくれたの。後で和花ちゃんに届けておくから、二人で仲良く食べてね」

「あ、ありがとうございます」

「きちんとお礼が言えて、偉いわねえ。それじゃあ」

 上機嫌に去っていくおばさん。彼女とはかれこれ5回は遭遇しているが、一度たりとも俺が男だと疑われたことはない。我ながら恐るべし、セリカ。


 ……いやいや、立ち尽くしてる時間はない。

 俺は少し早足でエントランスを抜けて外に出た。


 なぜ俺が一人で外出しているか。

 その理由はいたって単純なものである。

 単純ではあるが、これは生きる希望を得るための死活問題に直結する。

 とてもとても、重要なことなのである。


   ○


 約二十分ほど前。

 場所は居間。

 俺と夢咲は朝食後、しばらくは居間でだらけるということを日課にしつつあった。

 俺は主に読書をするかSNS、夢咲はソシャゲのデイリーミッションの消化というのがここ1週間の傾向である。


 今日の俺はタイムラインを眺めてぼーっとしていた。

 実況者、セリカのアカウントは日に日に急成長していた。

 6日前に一本目の動画を上げると同時に作ったのだが。

「夢咲っ、フォロワー五千人! 五千人だ!!」

「オゥ、おめでとうございマス。チャンネル登録者は?」

「さっき確認したら、一万人越えてたぞ」

「フフフ。順調なようで何よりデス」

 さして驚いた様子もない夢咲。


 無名の新人がたった五本の動画で一万人。

 単純計算で一本、二千人の登録者がついたわけである。

「うわもうっ、マジ嬉しいっ! これさ、お前が宣伝してくれてたらとっくに十万人越えてたんじゃないか?」

「そんなんじゃ、本当の実況力はつきませんよ」

「この数字は、実況力とやらのおかげだと?」

「セリカちゃんのプリティ・パワーの恩恵(おんけい)もあったかもデス」

「……そうか?」

 首を傾ぐ俺に、夢咲は「そうデスヨ!」と勢い込んで肯定してきた。あまりの押しの強さに思わず全面的に納得してしまいそうになった。


 少し落ち着きを取り戻した夢咲が「それと」と前置きして続けた。

「ちょうど『ぶどうの森』が発売してくれたのはとってもラッキーデシタ。人気ゲームは登録者を増やす絶好のチャンスデスカラ」

「あー、それな。半信半疑だったけど、やってよかったよ」

「『ぶどうの森』って可愛い女の子の実況がうってつけのタイトルデスカラネ。そこをアピールしたのはやっぱり正解デシタ」

「動画タイトルに入れてた、『初見の女の子が』とかか?」

「さすがにあざとすぎる気もしマシタガ、功を奏したようでよかったデス」


「この調子でいけば、十万人とかあっという間だよな?」

 夢咲は笑ってうなずく。

「コラボ配信もありマスカラネ。そこでミーとセリカちゃんの仲よしアピールをすれば完璧デス」

「十万人越えれば、いよいよ人気実況者の仲間入りか!」

「イエス。セリカちゃんで一生食べていくのも夢じゃないデスヨ!」


 セリカ、という単語が思いっきり引っかかる。

「……そうなんだよな。俺じゃなくて、セリカなんだよなあ」

「いっそのこと、もう性転換をしてはどうデスカ?」

「それは本気で悩んでる人に失礼だろ」

「頭カッチカチデスネ」

「良識があると言え。……はあ。天空もこれぐらい有名になってくれたらなあ」

「当分はセリカちゃんに専念してクダサイネ。空き時間は次に実況するタイトル決めとか実際にプレイして調査するとか、やることはたんまりあるんデスカラ」

「ゲーム実況者って、意外とやること多いよな」

「辛いデスカ?」

「いや、ずっとゲームしてられるのはすっごい楽しいけどな。しかもプロみたいに気を張りつめてプレイしなくてもいいし」


 実際、一日中ゲームをし続ける生活は天国にいるかのようだった。

 おまけにそれで、誰かに喜んでもらえる。

 昨日アップした動画の感想も、見ているだけで頬がニヤついたものだった。

『セリカちゃんの声可愛い! めっちゃ女神ボイスで癒される(*‘∀‘)』

『効率的なベールの稼ぎ方&借金返済RTA、参考になりました!』

『隕石の探索は黄金のトンカチを手に入れてからの方がいいですよ』


 コメント数三ケタ。驚異的な数である。

「ゲームって、プレイしてるだけでこんなに反響がもらえるものなんだな」

「ほんのごく一部の人だけデスヨ。発信する能力がある人だけが、その快感を味わうことができるんデス」

「何もかも、プロゲーマーとは違うな」

 思わずため息が漏れてしまった。


「日本のプロゲーマーは、国内の人気タイトルをやっている方以外はほとんど知名度が低いデスカラネ」

「下手な実況者よりもファンが少ないなんて、ザラにあるからな」

「下手な……って、どういう意味デスカ?」

 肉食獣も泣いて謝るような怒気が夢咲から発される。

俺はしどろもどろになりながら、なんとか訂正を試みる。

「い、いやな。そういう意味じゃなくてな……」

 だが上手く言葉を継げず、俯いてしまう。いつもの威勢はブラジル辺りに旅行に行ってしまったのか、呼んでも出てこない。


 夢咲はふと怒気を引っ込めて、肩をすくめた。

「はぁ……、まあいいデス。悪気がないのはわかってマスシ。ただ、誤解を招く発言は実況中はしないように心がけてクダサイネ。いつだって実況者は炎上と隣り合わせなんデスカラ」

「わ、わかった……」

 ほっと胸を撫で下ろして安堵の息を吐いた。

 なぜかそんな俺を夢咲はじっと見てくる。


「……本当に女の子なんじゃないデスカネ」

「ん、何か言ったか?」

「生流サンが本当に女の子なんじゃないかと」

「残念だが男だ。っていうか、そこは否定して別のことを言うべきところじゃないか?」

「お約束なんてこの世にはないものデスヨ。さて、あと五分したらランブルデスヨ!」

「……そこは師匠として修行と言うべきところじゃないのか?」

「いずれ二人でランブル実況をする、ということでここはひとつ」

「下手(したて)に出られるとは思わなかったよ」

「下手(へた)だけに、デス」

 ペロッと舌を出す夢咲。

 力押しではなく、搦(から)め手も使ってくる。

 本当、口だけはプロ級である。


 残り五分をどう使うか、少し悩んだ末にツキッターの趣味アカを覗いてみることにした。

 趣味アカではプロゲーマーや実況とは一切関係なく、本当に俺が気に入った人だけをフォローしている。だからフォロー数も少なく、タイムラインも穏やかだ。

 最近は色々ドタバタしていてすっかり失念していたが、さっきの自らの熱弁により、モロハちゃん欲求が疼(うず)きだしたのだ。

 俺が主に見るのは、モロハちゃんのイラストである。たくさんの絵師が愛情を込めて描いたモロハちゃんはどれも輝いて見える。それ等を眺めているのは至福の時間だ。


 幸福感に浸りながらタイムラインをどんどん遡っていったが、ふとある画像を目にして指が止まった。

 版権絵、つまり公式のアニメイラストだ。しかも今まで見たことのないもの。

 なんだろうと投稿文や画像の文字を目でなぞる。

 それを読みえ終えるやいなや、俺は椅子を倒して立ち上がっていた。


「どっ、どうしたんデスカ?」

 ソファに寝っ転がっていた夢咲が上ずった声で訊いてきた。

 俺は血の気が引いているだろう顔を彼女に向けた。

「……忘れてた」

「なっ、何をデスカ?」

「今日からだったんだよ……」

「えっと、話が見えないのデスガ?」

「……ローソムでの、モロハちゃんフェア」




 魔法少女モロハちゃんフェア。

 ローソムで対象商品を買うと、ポスターなどのグッズがもらえちゃう素敵なキャンペーンである。

 さらに期間内にはコラボ商品が発売される。

 都会では猛者たちが朝から対象店舗に突撃し、グッズをやコラボ商品をコンプする。

 特に主人公・モロハちゃんのグッズは超人気で、朝のラッシュが終わる頃には棚からなくなっていることがしばしばある。

 ゆえにこの日だけは日頃怠惰な生活を送っているファンも早起きして、運動不足の体に鞭打ってローソムへ疾駆するのだ。




 事情を語り終えた俺は、スマホのロック画面の時計を見やった。

 現在の時刻は午前九時三十分。

 朝ラッシュの時間はとっくに過ぎていた。

「終わった……」

 俺はへたりこんで、床に手をついた。

 ぽたぽたと涙が零れ出す。

「絶対に……、絶対に今日だけは、忘れちゃダメだったのに」

 胸の中に虚無感が広がっていく。体から力が抜けて、全てがどうでもよくなっていく。

 ああ、あんなに好きだ好きだと連呼しておきながら、このザマである。

「結局俺の愛なんて……この程度のものだったんだな」

 投げやりに言ったその時。


「諦めるのは、まだ早いデスヨ」

 ぽんと肩に手を置かれた。

 顔を上げると、夢咲が青い瞳から熱い視線をぶつけてきた。

「ここから十分離れたところにもローソムはありマス。そこならまだ、全部残っているかもしれません」

「でもここ、都内だし……」

「もしも諦めたら、生流サンのモロハちゃんへの愛は本当に嘘になってしまいマスヨ」

 それを聞いた途端、俺のハートにチリッと火が点(つ)いた。


「イヤだッ……! 俺のモロハちゃんへの想いはッ……本物だッッッ!!」

 拳を握りしめ、俺は立ち上がった。弱気な思いは焼き尽くされ、無尽蔵に活力がどこからか湧いてくる。

 夢咲は親指を立て、不敵に笑った。

「OK。ミーもお供しマス、共に参りましょう!!」

「ああ、サンキューな!」

 二人してうなずき合い、駆けだそうとした時。

 ふいに夢咲のスマホが透き通った音楽を奏で始めた。オカリナっぽい楽器の演奏だ。


 画面を開いて見やった彼女は、さっと顔を青ざめさせる。

 震える手でスマホを操作し、耳につけた。


「ぐ、グッドモーニング。……あ、はい、おはようございます」

 素の状態になる様子から推測するに、相手はちょっとお偉い人なのかもしれない。

「今日でしたっけ、打ち合わせ。……そうですか。すみません。え、魔光(まこう)さんはもう来てる? ……あの、その、今からすぐ向かいます。ダッシュで、ええ。……はい、はい。では、失礼します」


 電話を切った夢咲は、大きく息を吐き出した後に窓の傍へと歩いて行き、その表面にそっと手を置いた。

「……生流サン」

「お、おう、なんだ?」

 こちらへ振り向いた彼女の表情は、どこか悟ったような雰囲気をまとっていた。

「結局、ゲーム実況者も社会人の一員に過ぎないんデスヨ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【次回予告!】


真古都「猫はんはええねえ」

愛衣「あ、真古都ちゃん。何してるのだ?」

真古都「ああ、妹はん。野良猫がおったから、眺めとったんよ」

愛衣「おっ、本当なのだ! 可愛いのだー」

真古都「こうしてのんびりしとる猫はんを眺めとると、なんだか和(なご)んでくるなあ」

愛衣「でも『エデン』には乙乙乙ちゃんがいるのだ」

真古都「せやったな。あの子を眺めてても和んでくるわあ」

愛衣「毎日和んでて羨(うら)ましいのだ」


真古都「次回、『4章 女装した俺、かつての仲間と出くわす その3』」


愛衣「猫、飼わないのだ?」

真古都「うーん、飼わんでも来る気がするんよね」

愛衣「んん……?」

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