3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その4

「はぁああ……」

 俺はソファーに腰を下ろし、ぐたりとだらけた。

「疲れマシタ……」

 夢咲なんかはソファーに体を投げ出してほぼ大の字になっている。

「まったく、だらしないのだ」

 一人元気な愛衣は、今はジャージ姿になっている。

 代謝のいい愛衣は掃除の途中から汗だくになって、上下ともに夢咲から着替えを借りていたのだ。


「……ふぅ。ちょっと飲み物入れてきマスネ」

「あっ、それならアタシがやるのだ」

「いえ、お客サマにそんなことをさせるわけには……」

「大丈夫なのだ、場所とか食器の配置はさっき見て把握したのだ」

 そう言い残し、愛衣はとててっと台所に駆けていった。


「……もしかして愛衣サンって、実はすごい賢い子だったりしマスカ?」

「あーまあ、天然バカではあるけど、意外と天才肌だったりする」

「そりゃ、羨ましい限りデス」

「でも天然って色々厄介らしいぞ。男子更衣室と女子更衣室を間違えたり、砂糖と塩を間違えたり、成田と羽田を間違えたり」

「成田と……羽田?」

「そのせいで修学旅行に行けなくなったみたいだ」

「ぷぷっ……、すごい勘違いデスネ」

「その日はたまたま実家にいたんだけど、べそかいてる愛衣を慰めるのはめっちゃ大変だったな」


「仲、いいんデスネ」

「わりかしな。夢咲にも兄弟とか姉妹っているのか?」

「ええ、まあ。いつか紹介しマスネ」

 そう悪戯っぽく夢咲が言った時、愛衣が戻ってきた。


「お待たせなのだ。スポーツドリンクがなかったから、材料を借りて作ったのだ」

「……愛衣さん。家のものを使う時は、一言家主に断らなきゃダメですよ」

「あっ、そうだったのだ。うっかり、うっかり……。和花ちゃん、ごめんなのだ」

「別に構いマセンヨ。むしろ夕食も作ってくれるとありがたいデス」

「……それには材料を買ってこないとだな。冷蔵庫の中がほとんど空っぽだったぞ」

「あれ、そうデシタッケ?」

「腐り物は全部捨てたのだ。あと三角コーナーが悲惨なことになってたから掃除しておいたのだ」


「……愛衣サン。うちにお嫁に来マセンカ?」

 かなりマジ顔な夢咲。びっくらこいている俺が何か言う前に、愛衣は苦笑しながら軽く肩を竦めて。

「せめて掃除ぐらいは真面目にしてくれないとイヤなのだ」

 ばっさり切り捨てた。思わず拍手を送りそうになったが、さすがに我慢する。

「そうデスカ、残念デス」

 しょんぼりと夢咲は肩を落とす。予想以上にダメージが大きいらしい。

「これで家事から解放されると思ったんデスケド」

 コイツ予想以上にダメ人間だった。無職の俺が言えたもんじゃないだろうけど。


「家事って、両親はどうされたんですか?」

「言ってマセンデシタカ? ミーは実家を出て、一人暮らししてるんデス」

「へえ、そうだったんですか」


 俺は愛衣が置いてくれたコップを手に取り、透明な液体を口に含んだ。

 爽やかな甘味が渇いた口内に、程よい清涼感を与えてくれる。コップに挟まれているレモンから滲み出る果汁がアクセントになり、疲弊していた脳がしゃっきり目覚める。喉を通る時の爽快感は、言わずもがな。まるで体内から生まれ変わるかのような充足感に体が軽くなっていく。

 飲んだ後にコップの中でカランコロンと氷が鳴るのを聞くと、耳の奥まで涼しくなってくる。

 たかがスポドリ、混ぜるだけだとあなどるなかれ。

 料理の達人は一つまみの塩と湯だけでお吸い物を作るというのは有名な話。

 つまり作り手次第では、ただのスポドリでも極上の一品に仕上げることができるというわけである。

 これはまさしくそれ。中国の醍醐(サルピルマンダ)に匹敵……いや、超越したあり得ざる幻の六味。

 神が愛衣だけに許した、愛衣だけが作れる、愛衣のみぞ知る一品。

「愛衣汁……」

 ……ダメだ。俺には致命的なレベルでネーミングセンスが欠けているらしい。


「あいじる……って、なんなのだ?」

「……なんでもありません、忘れてください」

 ああ、穴が入りたいってのは時々思うが、もしかしたらそれは絞首刑の縄のあの空間のことを言っているのかもしれない。

 全てを察したのだろう夢咲はソファで丸まって、プークスクスと笑い転げていた。

 穴があったらコイツを突き落として、5時間ぐらい蓋をして閉じ込めてやりたい。


 スマホを見た愛衣が勢いよく立ち上がる。

「もう六時半か。よし、夕飯の支度をするのだ! ……あ、二人は休んでていいぞ」

「お客サマにそんなこと……と言いたいデスガ、ミーのHPはもう真っ赤デス」

「何も攻撃ヒットしてないでしょう。どちらかといえばAPでは?」

「似たようなものデス」

「じゃあアタシ、買い物に行ってくるぞ」


 ドアへ向かいかけた愛衣を夢咲が「待ってクダサイ」と呼び止める。

「この時間帯だと女の子の一人歩きはちょっとデンジャーかもしれマセン。だからセリカサン、ユーが愛衣サンについていってあげてクダサイ」

「えっ、わたしが愛衣さんと……二人きりで!?」


 ショックにドッキンと心臓が跳ねあがった。下手したら喉ちんこにぶつかるような勢いだった。

「あ、夕食代のお金はお渡ししマスノデ」

「いえいえ、そういう問題じゃなくて……。女の子一人で危ないんだったら、二人でも同じじゃないですか?」

「チッ、チッ、チッ。日本にはこういう歌がありマス。一人じゃ寂しい、二人で参りましょう……という」

「見渡す限り、四面楚歌って続くのだな!」

「それダメでしょっ、万事休してますよねッ!?」

「ごめんなさいで大抵の物事は切り抜けられマス。もしダメだったらロックに解決するしかないデスネ」

「……参考までにお聞きしますけど、夢咲さんのお好きなロックミュージシャンはどなたなんですか?」

「キース・ムーン」

「……ますます四面楚歌になるのだ」

 よく知らないが、愛衣の引きつった笑みを見る限りちょっと問題のある人らしい。


「……わかりましたよ。七面倒臭いことにならないよう、なるべく手短に済ませて帰ってきましょう」

「おぅ、セリカちゃんありがとうなのだ!」

「気を付けて行ってきてクダサイネ。あ、デザートは八朔がいいデス」

「……いえ、イチジクで」

「ちなみにイチジクのクは数字の九じゃないんデスヨ」

「とうに知ってますよ」


   ●


「ぷはぁ、ご馳走様なのだ!」

 ぱんっと音を響かせ手を合わせる愛衣。一人ボウルのような器の量を食べていたにもかかわらず、中身は空っぽになっていた。

 そのサイズはいつもの二倍ぐらいはありそうだ。

「すごい健啖家デスネ。いつもそんなに食べてるんデスカ?」

「ん、まあそうだな。でも最近は兄ちゃんがいるから半分こなのだ」


 愛衣の言葉に、微かに胸が痛んだ。

「……満足に食べられないなんて、その、辛くはありませんか?」

「確かにちょっと物足りないけど、でも兄ちゃんが喜んで食べてくれる姿を見てたらそれでアタシは胸いっぱいだから、平気なのだ!」

 ……ってことはつまり、今まで愛衣は自分の分を削って俺に分けてくれていたってことなのか?


 情けなさに、俺は震える唇をぎゅっと噛んだ。

「酷いお兄さんですね。妹の分を奪って、平気な顔して食べてるなんて……」

 吐き捨てた言葉を、だが愛衣は首を振り。

「そんなことないのだ」

「……別に、お兄さんを庇う必要はないと思いますよ」

「庇ってるわけじゃないのだ。兄ちゃんは取っても優しい、愛衣の世界で一番だいだいだいっ、だーい好きな人なのだ。だから兄ちゃんと食べるご飯は一人で食べるより、何億、何兆倍も美味しいのだ!」


 偽りなんて欠片もない、快晴さながらの眩しく清々しい笑顔。

 卑屈な思いが洗われていくかのように消えていく。

「セリカちゃんにもいつか会わせてあげたいのだ。絶対、兄ちゃんのことが大好きになるぞ!」

 胸の奥がすごい熱い。

 表情が、妹に見せられないものになっていくのがわかった。


 ズルい俺はそれを隠すため、愛衣のことをぎゅっと抱きしめていた。

「わわっ!? 急にどうしたのだ?」

「いえ……、なんでもないです」

 顔が痙攣してる、表情筋が言うことを聞かない。

 だから堪えきれなくなった涙が、次から次に溢れてきた。

「……セリカちゃん、どうして泣いてるのだ?」

「なんでもない……、なんでもない……、です」

 外すわけにはいかないセリカの仮面をかぶり続け、俺は首を横に振る。


 ふと背中に小さく温かなものを感じた。

 この感触を忘れるはずがない……、生まれた時から握り続け、遊びに行くときは繋ぎ、甘えてくるときに肩にかけてきて、今は俺のために毎日料理を作ってくれている手だ。

 やんわりと力の入った五指が服を通して、愛しさと熱を伝えてくる。

そっと背を撫でてくれた手は、最後の意地でせき止めていた冷たいものを、残さず腺から流し出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【次回予告!】


ハルネ「真古都おねぇたまって、今日一日ですっごい成長できたなーってことある?」

真古都「んー、せやなあ。ちっちゃい頃な、ゲームを始めてやった日に、初めは上手くできんかったのが、急に簡単にクリアでてきてな。それがやっぱ人生で一番成長できた瞬間やったと思うわ」

ハルネ「そっかー、ハルネと一緒だね!」

真古都「ふふふ、一緒やったか」


ハルネ「次回、『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その5』 だよ!」


真古都「でも大人になると、成長やなくて日に日に衰えが……」

ハルネ「わわっ、元気出して真古都おねぇたま!」

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