3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その3
小さい頃に友人宅に遊びに行った時、何度かマンションを訪れたことがある。
居候(いそうろう)している愛衣の住居もマンションだ。
アパートはといえば、やはり友人宅や書道の習い事で入ったことがある。
実家やゲーミングハウスなど今までの住居の大半が一戸建てだった割に、集合住宅の経験は少なくない。だからその基本的な構造も理解していたつもりだった。
ところがどっこい、世界は広い。
広大さに比例して多種多様なものが生まれ、未踏の地も増えていく。
その一つが夢咲の住むマンションだった。
「ここ、ホテルですか?」
「ノーノー。イッツァマンション。最初にそう言ったじゃないデスカ」
だがどう見ても、この廊下は高級ホテルのそれにしか見えなかった。
大抵の場合、マンションの通路は半屋外だ。部屋のある壁の反対側は、腰ほどの高さの柵なんかがあるだけ。風が吹く雨の日は意外とずぶ濡れになっちまう。
しかしサクラシティーではそんな心配はない。マンションに入ってしまえば家のドアまで完全に屋内。加えて内装は落ち着きつつも高級感と温かさを感じるデザイン。外で荒んだ心を優しくほぐして落ち着けてくれる。
俺がきょろきょろしていると、愛衣が不思議そうに話しかけてきた。
「セリカちゃんはここ初めてなのか?」
「え、ええ、まあ」
「実はミーはここには越してきたばかりで、セリカサンをお呼びしたのは今日が初めてなんデスヨ」
「そうだったのか」
納得した様子の愛衣に俺はホッと胸を撫で下ろし、夢咲に感謝しかける。しかしこんな面倒なことになったのは元々はその夢咲のせいだったことを思い出して、自身を叱責する。騙されるな、コイツはただ俺で遊んでいるだけなのだ、と。
だが湧き上がってきた苛立ちも、この空間にいるとたちまち霧散してしまう。
豪奢すぎず、ビルのように無機質すぎず。心地よい雰囲気を作り出している。
「……やっぱりお金持ちだと、幸福に暮らせそうですね」
「そんなことないぞ。アタシはお金なんかなくても、兄ちゃんがいてくれる方がもっと幸せだからな」
いきなり自分を話題に挙げられ、心臓がびくりと震えた。
「ん、どうかしたかセリカちゃん?」
「いえ、何も……」
愛想笑いで誤魔化す。「そうか」と愛衣は納得し、追及はしてこない。
実は気付いてるんじゃないかと疑りかけたが、そんな素振りはない。愛衣は嘘をつけるほど器用でもないし、本当に俺がセリカだと思い込んでいるのだろう。
なんかふいに湧いたやるせなさに内心で溜息を吐いた時、和花が足を止めた。
バッグから取り出した鍵、そのホルダーに俺は目を奪われ、つい声を上げた。
「あっ、モロハちゃん!」
「……ん? ああ、そういえばつけてマシタネ」
「うわぁ、超可愛い! 初期デザインの幼少時代! やっぱりこの頃のモロハちゃんはシリーズ最高峰の魅力を誇ってる! 幼さの中に秘めたる意志の強さが宿った大きな瞳にデフォルメされながらも艶やかさの伝わる髪、その小さな握りこぶしに宿るは大切な人のために戦う、焔より熱き不屈の魂! この勇ましさがあるからこそ、日常シーンでのあどけないキュートさがより際立つというか……」
二人の顔を見やった瞬間、俺ははたと気付いた。
ぽかんとした表情の愛衣に、プークスクスと笑っている夢咲。
……しまった、やらかしたッ!!
さっと血の気が引いていく。背にだらだらと冷や汗を感じてるのは気のせいじゃないだろう。
やばいまずいどうしようどうやってごまかせばッ……!?
空回りし続ける脳内はいつまで経っても回答をくれない。
そうこうしている内に愛衣が近づいてきて、俺の手を取り。
「……セリカちゃん」
「は、はひ!?」
パニックのあまり正常な発音すら忘れた俺に、我が妹は……。
「すっごい、女の子だったんだね!」
「……はい?」
あ、普通に言えた。
……じゃなくて。
「えっと、それはどういう……?」
「アタシずっとセリカちゃんのこと、大人びてて奥ゆかしくて品のある、ホント絵に描いたみたいな大和撫子って感じの人だなって思ってたけど」
……その大和撫子、お前の兄なんだけどな。
んなこと言えるわけもなく、俺は微笑をこしらえ「それで?」と先を促した。
「でも今のモロハちゃん好き! って興奮してる姿は、すごく女の子っぽかったのだ! ちょっとセリカちゃんって壁があるかもって気がしてたけど、今みたいだとすごく親しみやすくていいと思うのだ!!」
「……そ、そうですか」
つまり我を忘れてもセリカを維持し続けることが無意識の内にできていたらしい。
「はしたない姿をお見せして、申し訳ありません」
「謝る必要ないのだ! むしろいつも今みたいなテンションだと嬉しいのだ」
「それはちょっとご勘弁を……」
無理、絶対無理だからと内心で悲鳴を上げる。
ただでさえ愛衣の前でセリカでいるのは精神的拷問なのに、快活フレンドリーな女の子になれという注文は拷問だ。むしろそこまで振り切ってしまえば楽なのかもしれないが万物にはすべからく限界というものがある。月に太陽のように輝け、太陽に付きのように光を抑えよと命じても無意味なのと同じだ。
「そういえばうちの兄ちゃんもモロハちゃんが好きなのだ」
「へ、へえ、そうなんですか」
知ってる、超知ってる。ソイツ俺だし。
「きっと仲良くなれると思うぞ。そうだ、今度セリカちゃんも会ってみるといいのだ! 予定とか合わせて、顔合わせして見ないか?」
「わっ、わぁ、いいですねー。楽しみですー」
……ドッペルゲンガーにでも会わせられるのだろうか、俺は。
「打ち解け合うのは大いに結構デスガ、続きは家の中でしマショウ」
助け舟……のつもりはないんだろうが、とにもかくにも夢咲の一言で愛衣は迫るのをやめてくれた。
カチャリと軽やかな開錠音を鳴らし、モロハちゃんホルダーの付いた鍵が抜かれる。
「さあ、入ってクダサイ」
ドアを開いた夢咲は横にずれ、俺達に入れと手でも促す。
しかし家主より先に入るのは……と躊躇っていると、愛衣が遠慮せずに「お邪魔しますなのだ!」と敷居をまたいでいた。
ここで遠慮しても仕方ないかと思い直し、俺も夢咲家に入ろうとした。
……うおっと、危ない。
入り口すぐのところで立ち尽くしていた愛衣に、あとちょっとのところでぶつかりそうになった。
「どうしたんですか?」
リーンするように上体を動かし、視界を共有することで愛衣の心情を解することができた。
自動点灯の照明が設置されているのだろうか、俺が入った時にはすでに中は白く明るい光で満ちていた。
だがその純なる室内灯に反して、玄関や廊下は酷い有様だった。
まず土間にあたる部分は大理石の部分を隠すように靴が脱ぎ散らかされている。その靴は全部夢咲のサイズっぽかった。傘なんかも横倒しに放置されている。
続く廊下には衣類の類が脱ぎっぱなしで放置されていた。あるいは取り込んだのかもしれないがあんな風に床の上に散乱させていたら、間違いなく通る度に踏みつけてしまうことだろう。それを着る気には、俺はどうしてもなれっこない。っていうかパンツとブラジャーもあるんだが、夢咲は男の俺に見られてもいいと思ってんのか?
他にもバッグとかぬいぐるみがあって小人のテーマパーク的な情景を一面に作り上げていた。俺なら入園料をもらってもこんな汚い場所には来たくないが。
「……夢咲さん。ちょっとばかし、人間の住処としては適していない有様になっているような気がするんですけど」
「ン? どういうことデスカ?」
なぁんにもわかってない風の返答。
どうやら夢咲はこの異常空間になんら疑問を抱いていないようだ。
愛衣の肩がぷるぷる震えだす。
「どうされマシタカ、愛衣サン?」
「ああ、ダメなのだ……全然ダメなのだ」
「What?」
「ここは人のための住居じゃない! 臭気漂う糞と尿に塗れた家畜の小屋!! あるいは人類崩壊後のゾンビが徘徊しているかのような惨状なのだ!!」
和花の名誉のために弁護するが、別に異臭はしない。ただ足の踏み場がないぐらいに散らかっているだけだ。
「え、ミー、家畜? ゾンビ?」
「これまでの汚部屋での生活……和花ちゃんは人間として生きてきたんじゃない。日本国憲法第二十五条の放棄し、ゾンビウィルスに屈した!! 住居の混沌化、それは自ら人としての資格を剥奪するのと同じなのだッ!!」
「なっ、なっ……、ぬぁんデスッテェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?」
ピシャーンッと夢咲の背後に雷が落ちているのが見えた気がした。
愛衣の気合マックスの熱弁は、ジャンヌダルクばりの気迫を帯びてくる。
「さぁっ、今こそ立ち上がるべきなのだッ! 鎖された大空の楔を断ち、この混沌なる世に正常なる光を再び蘇らせようぞッッッ!!」
「いっ、いっ、イエッサァアアアアアッ!!」
かくして俺達は、夢咲家の清掃という名の闘争に駆り出されるのだった。
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【次回予告!】
乙乙乙「……眠い」
生流「頼むから、次回予告が終わるまでは頑張ってくれ」
乙乙乙「がん……ば……ZZZ」
生流「あー、寝ちゃったか……」
乙乙乙「むにゃむにゃ……寝て、ない……ZZZ」
生流「えっ、ね、寝言……?」
乙乙乙「だから……むにゃむにゃ、寝てな……い……ZZZ」
生流「……もしかしてそのまま、サブタイコールってできたりする?」
乙乙乙「むにゃむにゃ、次回……『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その4』」
生流「……もう寝たまま生活できるんじゃないか?」
乙乙乙「……むにゃむにゃ、それ、無理……ZZZ」
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