3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その2
「セリカちゃんは普段は何してるのだ?」
「えーっと……、社会人でしょうか」
「その巫女服可愛いのだ。それにメイクもすっごい上手だし! 普段からコスプレとかしてるのか?」
「ええ、まあ、わりかし……」
いちごジャムの付いたスコーンをかじり愛衣とぎこちなく会話しつつも、俺は思案に暮れていた。
どうにかしてこの茶会から離れることはできないだろうか。
女装姿で乙女として妹と会話するのは、控えめに表現しても精神的な拷問である。
真っ先に思いついたのはお手洗いだが、これはシミュレーションの結果却下された。
仮にここでお手洗いに行くと宣言した時、愛衣か夢咲のどちらか一人でもわたしもと言われた瞬間、俺は女子と共に女性トイレに突入することになる。単独行動ならどうとでもごまかせるだろうが、連れションという監視下ではいかんともしがたい。そうなれば最悪社会的な鉄槌を受ける羽目になる。監視カメラとトイレはほぼセットなのだ。
他にもいくつか言い訳は思いつくが、どれも正体を知っている夢咲にブロックされる結末が目に見える。
ああ、コンチクショウ。穴があったら入りたいとは思うが、プチドーナツではどうしようもない。
途方に暮れている俺に、さらに追い打ちとなるような会話が聞こえてきた。
「愛衣サン、今日セリカサンがうちに泊まるんですが、ユーも一緒にどうですか?」
「おっ、いいのか?」
「ええッ!?」
一度上げた悲鳴は籠から出た鳥のように、制することもできず店内に響き渡る。幸い店内の客は少なかったが、愛衣と夢咲には十二分によく聞こえてしまっている。
「どうしたのだ、セリカちゃん」
「あ、いえ、何も……」
言いつつ俺は愛衣に気付かれないように夢咲を睨みやる。しかし彼女は泰然として紅茶の香りを堪能している。表立って抗議できない俺はどうにか現状を変えるべくあがきに出る。
「あの、愛衣さん。突然宿泊しては、その、一緒に住まわれているお兄さんが心配なさるんじゃありませんか?」
「それなら大丈夫なのだ。ついさっき、今日はお師匠になった実況者の家に泊まるって連絡が来たから」
「……はい?」
んなバカな、あり得ない。俺はそんな連絡などしてないし、まさかなりすましってことも……。
「あっ、お花摘みたくなってきたから、ちょっとごめんだぞ」
そう言って愛衣は席を立ち、店内のトイレに向かっていった。
彼女の姿が見えなくなってから、夢咲はバッグに手をつっこみひょいとスマホを取り出した。
「……おい、なんで俺のスマホをお前が持ってんだよ?」
「フッフー、お着換えの際にちょろっとお借りシマシタ」
「愛衣に俺を謀って連絡も入れたよな?」
「まあ、生流さんの名前を借りましたが、嘘はついてませんよ?」
「確かにそうだが……。ってか、流れ的に俺を女装させたまま愛衣とお泊り会させようとしてんだろ?」
「楽しそうデショ?」
「ふざけるのもいい加減にしろよ」
「ふざけてなんかいマセン。むしろこれはチャンスデス。生流サンが成長するための」
目をすがめる俺に、夢咲は話す速度を落とし続ける。
「いいデスカ。実況は突き詰めていけば演技に通ずる部分がありマス。自分とは少し違う存在になり、ひたすらにゲームを楽しんでいる姿を視聴者にお届けする」
「ゲームは楽しいものだろ?」
「それには異論はありマセン。しかし楽しみ方は人それぞれで、実況者が表現すべきものはおそらく普段感じているそれとは少しばかり違うのデス」
「……どういうことだ?」
「楽しいとは、すなわちハッピーになること。ところがゲームはスポーツと一緒で時に悲しみや苦しみも伴いマス。それすらも実況者は忠実に、加えて少し誇張し再現しなくてはなりマセン」
夢咲は優雅な所作で紅茶を口に含んで、陶磁のカップをそっとソーサーに置いた。
「常に心はホットに、香り高く、かつ味わい深い動画を作り続ける。さながら紅茶を淹れるがごとく、実況者は動画を作り続けマス。それぞれ情熱、ムード、センスに置き換えられマスネ」
「煙に巻くのはよせ、お前の魂胆はもうわかってるんだ」
「へえ?」
「ただ単に俺の不幸は蜜の味、ってだけの話だろ?」
「まあ、ハチミツは嫌いじゃないデスネ。まあとにかく、いくらユーがイヤがっても」
「……師匠の命令は絶対、か?」
「ザッツライト」
パチンと指を鳴らしてこちらを指してくる夢咲は、ステレオタイプなアメリカンガールだった。休日はローラースケートを履いて公園に行き、疲れたらパラソルを差した屋台車でポロシャツの店員からアイスを買い舌を出して食べるのだろう。
「夢咲って運動神経はいいのか?」
「え? ……まあ、わりかし」
「だろうと思った」
小首を傾ぐ夢咲を他所に、俺はカップに口をつけた。
仄かに香るダージリン。香しいそれは心身の疲れを僅かに緩和してくれる。
「お待たせだぞ」
愛衣がハンカチを畳みつつ、若干浮き足立った様子でこちらに歩いてくる。
「ずいぶんご機嫌なようですが、何かありましたか?」
「ふっふーん、なんと兄ちゃんがお泊りを許してくれたのだ!」
見せつけてきたスマホの画面には、別に外泊してきてもいいといった趣旨のコメントが俺のアカウントから愛衣に向けて投稿されていた。日付は今日、時刻は数分前。
無論俺には覚えがなく、となれば犯人は一人しかいない。
容疑者の方を見やると、彼女は美味しそうにケーキを食していた。冷ややかな視線を向けてもまるで効果なし。
「では、愛衣サンも今日はマイハウスにステイデスネ。セリカサンもそれで構わないデスヨネ?」
「……ええ、別にいいですよ」
俺はやけっぱちにそう答えた。
●
電車を一度乗り換え、乗客が少なくなってきたところで小綺麗な駅に降り、静かな住宅街を歩くこと約五分。
その間、俺は着替えたセーラー服――なぜか芽育が置いていった女性服でまともなものがこれしかなかった――とローファーという新しいファッションに身を包み、愛衣に正体を気づかれぬよう女性的なふるまいを続けていた。生きた心地がしないが、もしもバレたら兄としての尊厳が失墜する。このまま真綿で締められるか、あるいはもういっそのこと……いやいやそれはと、悶絶しつつもセリカというキャラはどんどんと板についていく実感があった。逆に生流に戻った時、セリカが出ないようにしなければ……。二重人格者の苦労が少しはわかったかもしれない。
道中の光景は、そんなパニック状況下であっても強く印象に残った。
建ち並んでいた家はどれも一般住宅より大きく、かつ庭も広いうえにきれいに飾り立てられていた。よく町内の恐怖七選に入るような大型犬でさえもここでは呑気に寝入っていた。代わりに監視カメラや赤外線センサーが入り口で睨みを利かしている。ただこれはゲーマー特有の、未知の場所ではまずトラップを探すという習性あるいは職業病によるものなので、一般人からしたらただ長閑な場所だなぁ程度にしか思わないだろう。
しかしここは田舎とは違い、どこもかしこも金の匂いが漂っていた。見るものほぼ全てに資産的価値があり、人々が身に纏っている普段着さえも俺の着ているものよりゼロが一つか二つは多そうだ。
もしかしたらとは思っていたが、やっぱり夢咲は……。
「着きマシタ。ここがミーの家デス」
そう言って夢咲が手で指し示した建物を見て、俺はちょっと拍子抜けした。
愛衣が目を見開き、「おおー!」と驚きの声を上げた。
「なかなか素敵なマンションなのだ!」
「イエス。築三十年デスガ防音はしっかりされていて、管理人も親切で丁寧な対応をしてくださるのがグッドデス」
壁に設置されたサインにはサクラシティーと書かれていた。こういう和洋折衷のネーミングセンスは嫌いじゃない。
そんじょそこらの一般マンションよりもここは確かに敷地が広く、建物も洒落たデザインで品もある。だけど俺の想像だと……。
「フフフ。セリカサン、タワマンじゃなくてがっかりしマシタカ?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
俺は両手を振って否定の意を示す。
夢咲はおかしみと得意気を入り混ぜたような笑顔を覗かせて言った。
「このサクラシティーはヴィンテージマンションって言って、そこらのタワマンよりも遥かに価値のある物件なんデスヨ」
「そうなんですか?」
「イエス。大抵の建築物は年月が経つにつれて価値が下がってしまうのデスガ、中には逆に上がるレアなものも存在するのデス」
俺の声のトーンがやや大きくなる。
「古くなってるのに、価値が上がるんですか!?」
「あるいは当時の価値を保ち続けている、という場合もありマスネ。ここの販売価格、気になりマセンカ?」
「それは、まあ……」
「ざっとデスネ――」
耳にした途端、俺と愛衣は二人して顔を見合わせ、そのまま思考停止しぷしゅーと脳天から煙を上げた。
「あの、帰ってきてクダサーイ」
「……ちょっ、えっ、桁間違えてません?」
「いえいえ。自分の住んでるマンションデスヨ?」
「そ、それだけお金あったらアタシ、普通の一戸建て住宅を買っちゃうと思うのだ」
「まあ、マンションは人づきあいとかありマスシ、一戸建て住宅の方が気楽かもしれマセンケド」
「……ちょっとわたし達とは、感性が違う気がしますわ」
俺の言葉に愛衣は大きく頷く。
夢咲は目を点にし首を傾いだが、特に考えるようなそぶりは見せず入口のガラス張りのドアを開けた。
「さあ、立ち話もなんですし中へどうぞデス。あ、そこにカフェがありマスケド、寄ってきマスカ?」
「マンションにカフェ、ですか?」
「空いたスペースにぜひと住民の方が要望を送って、最近できたんデス。近所の方もよくいらっしゃるんデスヨ」
「……なんというか、意外と友好的なんですね。お金持ちの方って高飛車で個人個人の世界に引きこもる印象だったんですけど」
「こういう居心地のいい集合住宅は住人が長くいつきマスノデ、自然と近所との交流もできるようになるんデス」
「やっぱりお金をかけると、気持ちのいい場所に住めるんですね」
「そうとは限りマセンヨ。まあ、お金がかかるイコール、サービスの質が上昇するという公式はあながち的外れとも言えマセンガ、それ以上に大事なのは管理人の住人に対する配慮や心遣い、思いやり。逆もまた然り。そして汝、隣人を愛せとかいうヤツデス」
カフェの店内で楽しそうに談笑していたおばさん達が夢咲に気付き、笑顔で手を振ってきた。彼女も同様に手を振り返す。
「気持ちのいい場所のコアは、互助精神デス。もしも誰か一人でも自分よがりな考えを持ったら、その時点で全てが台無しデス」
夢咲は一度言葉を切り、きれいに磨かれた床をこつこつとバレーのダンサーのように歩きくるっと回って言った。
「みんなの小さな努力の積み重ねによって、楽園は生み出されるんデスヨ」
「……楽園、か」
そう聞いて思い出すのは、『エデン』のみんなのことだった。
あそこはまさしく、この地上における楽園だった。
しかし俺の身勝手な行動によって全てが崩壊した。夢咲の言葉通り、今までの努力が水泡に帰したのだ。
勝利の色に熟した禁断の果実、俺はそれに一人手を伸ばし……、失楽園を引き起こしたのだ。
「はは……、俺って本当、バカなヤツだ」
「……セリカちゃん?」
「あ、いえその、なんでもないです。えっとそうそう、カフェでしたよね。寄っていきますか?」
「うーん、夕飯の時間がすぐだし、アタシはいいのだ」
「わたしもさっきフードコートで召し上がったばかりですし、結構です」
「そうデスカ。じゃあ、このまま我が家へと参りマショウカ」
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【次回予告!】
生流「夏といえば、やっぱりホラゲーだよな」
ハルネ「そ、そんなことないよ!? 『わたなつ』とか『ポシェモン』とか、色々風物詩はあるよ!」
生流「そこで海水浴とかお祭りが出てこない辺り、ゲーマーって感じがするな……」
夢咲「ホラゲーっていいデスヨネ。あのゾクゾクとする感覚が堪りマセン」
生流「おお、夢咲は同士だったか。今度一緒にホラゲーで一夜明かさないか?」
夢咲「夜更(よふ)かしはあまりしない主義なんデスガ、一夜ぐらいなら……」
ハルネ「だっ、だめぇえええええええええええッ!!」
生流「うぉっ!? どっ、どうした!?」
ハルネ「そういうの、よくないよッ!!
生流「なんでだよ?」
ハルネ「えっとその、う、うー……。とにかくダメなものはダメなのッ!!」
生流「いや、わけわからんが……」
ハルネ「わかんなくてもダメなのッ!!」
夢咲「……えっと。次回、『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その3』デス。お楽しみに」
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