3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その1
「へえ、それじゃあ兄ちゃんは別の実況者の弟子になったのだな」
「イエス。やはりヤングなミーじゃ教えられることに限界がありマスカラ」
「そんなことないと思うぞ。和花ちゃんはすっごいゲーム実況者なんだから」
「いえいえ、そこまでえばれるほどじゃありマセン」
「謙遜する必要はないぞ。セリカちゃんもそう思うよな?」
「……ええ、まあ、そうですね」
俺は強張る頬でどうにか笑みの形を作り頷いた。
ここはドランゴの施設、パルスタ内にあるフードコート。
洒落た喫茶店風の店内には人はほぼいない。ランチタイムを大きく過ぎた午後四時という時間帯のためだろう。
机上に並んだ三つのティーカップはどれもまだ白い湯気を上げ宙にくゆらせている。
中央に置かれている無駄にファンシーなケーキスタンドは夢咲がふざけて頼んだものである。色とりどりのケーキやサンドイッチスコーンにプチバーガー&ドーナツと見た目も楽しいうえに美味そうだ。平時なら愛衣と一緒になってぱくついているだろう。
……そう、平時なら。
「それで、芽育ちゃんって人も帰っちゃったのだな?」
「急に用事が入ってしまったみたいデス。ぜひ愛衣サンに紹介したかったのデスケド」
「うーん、残念なのだ」
「まあ、それはまたの機会ということで。……あれ、セリカサン全然フォークが進んでないデスネ」
「いえ、その……、お昼食べたばかりですから」
女性とあまりそん色ない、柔らかな声音。
我ながら名演技である。そう、我ながら。
「セリカちゃん、ほら、スコーンにジャムをつけるととっても美味しいんだぞ」
ひょいと勝手に目の前の皿に、イチゴジャムの付いたスコーンが置かれる。
「あ、えっと……」
「遠慮しないで食べてクダサイ。女の子は甘いものは別腹、デスカラネ」
後半部分の悪意ある強調に、俺は一層自分の笑顔が固まっていくのがわかった。
●
話は少しばかり前に遡る。
結局は女装を受け入れた俺は、更衣室でやたら入念なメイクや衣装チェンジ、それから毛や爪など諸々細かな所まで手入れされた。芸能人の撮影前の下準備でもここまでしないんじゃないだろうか。
「め、目を開けてもいいでござるよ」
許しが出て目を開けると、そこには……。
「……誰コイツ?」
すごい美人の女の子がいた。サーモンピンクの唇が俺の言葉に合わせて動いているのだから、まあ誰かと問うまでもないのだが。
にしたって、すさまじい変わりようだと思う。確かに面影は残っているのだが男らしい片鱗はすっかり消え失せている。上手く目をぱっちり開いているよう見せていたりさり気なく頬を色づかせたりといった職人の手腕には思わず拍手を送りたくなる。
ホント可愛いな、この黒髪ポニーテールのミニスカ巫女。
……ミニスカ。
「なあ、確か和花のレクチャーだと巫女服は袴だから、女装初心者にはおすすめの衣装だって教わった気がするんだが」
「確かに言いマシタネ」
「でもこれ、ミニスカなんだが」
「でも巫女さんデスヨ」
「一応な」
「だから問題ナッシングデス」
絶対騙されているのだが、鏡の中の美少女を見ると途端に怒る気力がなくなる。
自分の動きに合わせて、鏡面に移った少女も身をよじる。頬に手をやればそうして笑みを浮かべれば彼女も同じように返してくれる。
しかもこれはVRではない。本物に触れることができ、そもそもそのオリジナルは自分自身なのである。
美少女イコール、ミー。
自分の思うがままのポーズを実際に少女に取らせることができ、かつその時の服の感触を、重みを直に味わうことができる。
これ以上素晴らしいことがあるであろうか? いや、ない。
惜しむらくは骨格が男であるため少女的なポーズを取っても若干違和感が残ることだがそればっかりは仕方がない。来世に期待しよう。
「……はあ、はあ、天空殿マジで可愛いでござる。写真、写真を撮らせてほしいのでござるが、よろしいでござるか?」
「え、あ、でも……」
鏡面内の少女が頬を染めてもじもじと恥ずかしがる。
ぞくぞくとした喜びと同時に、段々自意識が格好に馴染み始めていく。それにつれて暗示にかかったように我に揺らぎが生じていく。
俺はその揺らぎに身を任せ、振り返りつつ口を開いた。
「あの、その……、わたしを撮りたいのですか?」
出てきた声は自分でも驚くぐらい澄んだじょせいのものだった。もしも録音して聞いてもそれが自分の裏声だとはわからないかもしれない。
芽育は鼻で汽笛を鳴らす勢いで頷く。
「ぜひっ! ぜひ今の天空殿をシャッターに収めたいでござるッ!!」
「じゃあ……、その、いいです、よ」
「ありがとう存じまするぅッ! あ、あと、その、拙者の指示した通りのポーズをとっていただいてもよろしいでござるか!?」
「構いませんけど……、あまり大胆なものは、ちょっと……」
「ぶひっ! は、恥じらう姿に、せ、拙者のハートがズッキュンでござるッ! でっ、ででではまず、前かがみになってこう、ちょっと襟をつまむ感じで……」
俺は命じられるままのポーズをとり、カメラに目線を送った。我ながら大胆なことをしていると思うのだが、不思議と羞恥はあるものの嫌悪感はない。自分を求めてくる強い情熱に、心臓に直接炭酸を注ぎ込まれたみたいに血管中がバチバチと弾けるような爽快感を覚える。
今まで憧れてきた女の子に、自分自身がなっている。
それを他人が認めてくれている。
二重の喜びに頭がビクビク震えてオキシトシンだかアドレナリンだか知らないがそんなものが休みなく分泌されて、脳がビッグバンを起こしているみたいだ。
「あの……きれいに撮れてますか?」
「もっ、もち! 天空殿の美貌は余さず写真に収まっているでござる!」
「……び、美貌だなんて……そんな」
顔がたちまちほんのりとした熱を帯びていく。
焚かれるシャッターの光を浴びる度に、胸の高鳴りがどんどん増していく。
ふいに視界の端、夢咲の口が動いたのが見えた。
「ちょっと才能がありすぎマシタネ……」
「あの、夢咲。どうしましたか?」
「いえ、なんでもないデスヨ」
向けられた苦笑の意味がわからず俺は小首を傾げた。
「はっ、はい、はい。……い、今すぐ、でござるか?」
更衣室を出てすぐ電話を取った芽育は、ブルーな溜息を吐いて電話を切り、俺達に向かって頭を下げてきた。
「もっ、申し訳ないでござる。ちょっと外せない仕事が入ってしまって……」
「謝る必要はないデスヨ」
「そうですよ。お仕事があるのは素晴らしいことです」
「天空殿に言われると、説得力がすごいでござるな……。あっ、け、決して悪い意味で言ったわけでは……」
「大丈夫ですよ。気にしてませんから」
「そ、そう言ってもらえると気が楽になるでござる。では、拙者はこれにてドロン!」
律儀に手で印を結んで、芽育は足早に去っていった。
「お仕事頑張ってくださいね」
胸の高さで手を振って送っている俺に、夢咲は溜息混じりに言った。
「嫌がっていた割には、ずいぶん楽しそうデスネ」
すっと我が返ってきた。
まだ浮ついている胸を押さえ、窓の外を見やる。澄んだ青空はクーラーの風さえ届かない心中の熱を少し和らげてくれる。
「……自分じゃない自分になるって、すごい気持ちいいんだな」
「そうデスネ。人間というのは多かれ少なかれ自身に対して閉塞感を持っていマスカラその束縛から解放されるのは、何物にも代えがたい愉悦があるデショウ」
夢咲は吹き抜け回廊の手すりに背を預け、身を反らして遥か高い場所にある室内灯を見上げた。
「ゲーム実況は多分、そうやって始まったんデス」
「そうやって……って?」
「自分じゃない自分。匿名性の世界に生み出された架空の存在になって、誰かの注目を浴びる。現実世界の自我では縮こまってできないことをするために、ニマニマ動画で歌い手や実況者が誕生したのデス」
「ただ単に芸能人のごっこ遊びがしたかっただけじゃないのか?」
「子供のごっこ遊びとは決定的に方向性が違うんデスヨ。子供は未来の願望を具現化するために遊戯に興じマス。大人は現在の世界から逃避するために娯楽に没頭しマス」
俺は自らが纏っている巫女服に触れた。
「……もしかして、俺がこういう嗜好を持ったのはそういう理由からなのか?」
「さあ? ただ単に女体化願望が強すぎただけかもしれマセンし、あるいは自分自身に不満があるのかもしれマセン。ただし異性が異性に憧れるというのは、現代じゃ決して珍しくもないと思いマスケド……まあ、生流サンの場合ちょっと溜まりすぎててビックリデシタ」
いささか気まずくなり俺は夢咲から目を逸らした。
彼女は平坦な声で先を続ける。
「今はビジネスとしての側面も持ち始めマシタケド、実況者の原点にはそういう自我からの脱獄的な意味合いもあったんデスヨ」
「……なあ、夢咲はどうして実況を始めたんだ?」
見やった横顔は恐ろしく空虚で、けれどその瞳は弱々しくも意志を持ちあらぬ場所へ向けられているようだった。
「なあ、夢咲」
「あっ、愛衣サンと待ち合わせしている時間とっくに過ぎてマスネ」
打って変わった明るい声で言って、夢咲は手すりから背を離した。視界内をぐるっと見やったが時計はないし、彼女は腕時計をつけていなければスマホも見ていない。あるいは高品質な体内時計を内蔵している可能性もなくはないが、エレベーターでの一件を思い出す限りその線は薄いような気がした。
「おい、はぐらか――」
「さあ、行きマショウ! あ、それと」
くるっと踵を軸に回ってこちらを見やった夢咲は、悪戯っぽく笑って言った。
「愛衣サンの前でもその恰好で、乙女キャラを貫き通してクダサイネ」
「……はいぃっ!?」
なんか考えてた気がするが、超弩級の衝撃がボーリングのピンのごとく全てぶっ飛ばしていった。鮮やかなストライク。
「さっきの調子なら全然問題ナッシングデス。引き続き期待してマスヨ」
「何ほざいてんだ!? 絶対イヤだぞ、妹の前で女を演じるなんてッ!」
「演じるんじゃなくてなるんデスヨ、女性に」
「同じだよな言ってること!?」
「お忘れかもしれマセンケド、師匠の命令は絶対デスヨ」
「……ちくしょうめぇッ!」
机にペンの一本でも叩きつけたい欲求に襲われた。
ドアベルを鳴らしてフードコートに入店。
ランチタイムを過ぎていることもあり店内はガラガラで、すぐに愛衣の姿を見つけることができた。
スマホを見ていた我が妹はドアベルの音に顔を上げ、こちらを見やる。
夢咲の顔を見た愛衣はぱっと顔を輝かせたが、次いで俺を見てきょとんとした表情になる。
「グッドアフタヌーンデス、愛衣サン」
軽い調子で挨拶しつつ愛衣の席へ向かう夢咲の後ろを俺はついていく。履きなれない草履はなかなか歩きにくいし、短い丈のスカートは一歩ごとに不安になってつい押さえたくなる。
「こんにちはだぞ、和花ちゃん。……えっと、そっちの子は?」
「フフッ、本人に自己紹介してもらいマショウカ」
前を譲るように横に移動する夢咲。愛衣が体をずらし、正面から向き合う形になる。
声は消え、ジャズっぽい店内BGMが沈黙を埋める。某有名作家ならここで作曲者とタイトルを淀みなく教えてくれるのだろうが、生憎俺には愉快なラッパとピアノと諸々の演奏ってことしかわからない。知識と資産が豊かな者は世界を広げ、無知と貧乏は猫の額程しかない場所で窮屈に暮らすことになる。そのせいで俺はいつだって水辺を背に立たされていたような気がする。
ただし欠点は少なからず長所を与えてくれる。それが役に立つかどうかは別として。
もはや馴染みのハンドルのように精神を操り、峠道へと進路を決める。無論そこは覚悟と呼ばれる場所だ。
アクセルを踏み込み、比例して心臓の鼓動のスピードが跳ね上がっていく。
それをどうにか押し隠し、俺はできるだけ自然さを心掛け、笑みを浮かべる。
開いた口からは脳内の校閲を通していない言葉が出てきた。
「初めまして、愛衣さん。わたしはせいり……セリカって言います」
「おぅ、初めまして。アタシは田斎丹愛衣っていうんだぞ。セリカちゃんは苗字はなんていうんだ?」
「わたしも夢咲なんです。夢咲さん同じ苗字なのでそちらで呼ぶと少しややこしくなってしまうのですが……。恥ずかしくてつい、夢咲さんと呼んでしまうんです」
すらすらと出てくる嘘八百。もしかしたら俺、詐欺の才能があるのかもしれない。
「そうなのかー。だから二人共仲よさそうなんだな!」
「あはは、ありがとうございます」
バレている様子はなく、ひとまずの安堵を得た。さっき芽育の前でなりきってた時とは違い、今は死と隣り合わせたような緊張感に苛まれていた。
「お二人サン、ティーとつまめるものを買ってきマシタよ」
いつの間にやら夢咲は店員を従えていた。
店員は妙に恭しい所作でテーブルにカップやケーキスタンドを並べ、軽く会釈して立ち去っていった。
「……ここ、社員食堂みたいな場所じゃありませんでしたっけ?」
「まあ、限られた人みぞ使える穴場とでも言いマショウカ」
「ちょうどお腹空いてたんだぞ。いっただきまーす!」
そんなこんなでお茶会が始まり、俺は女装姿のまま妹の前で拘束されることになってしまった。
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【次回予告!】
夢咲「セリカサンベリーベリーキュートデス! こっちに目線をクダサイ!!」
生流「撮影会じゃないんだぞ……」
夢咲「もっと笑って! 『わたしって世界で一番かわいいでしょ?』っていう媚び媚びのスマイルをギブミーデス!!」
生流「……そんなのできるわけ、ないだろ……」
夢咲「おっ、その恥じらう姿いただきデス!! いやー、チャーミングな姿を見てると胸がキュンキュンしちゃいマスネ」
生流「そ、そうか……」
夢咲「ついでにセリカサンになって、次回予告もお願いしマス!!」
生流「えっ!? あー、その。次回、『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その2』です。どうぞお楽しみに」
生流「……はっっっず!」
夢咲「大丈夫デス、その内慣れマスカラ」
生流「慣れて……いいんだろうか?」
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