2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その9

「ほら、誰か来たぞ」

「そーデスネー……」

 渋々といった様子で立ち上がり、夢咲はテレビ電話の方へ向かっていく。

 通話ボタンをワンプッシュ、「入っていいデスヨ」と一声かけて相手の返事も待たずOFFにする。


 すぐにドアが開き、廊下から大きなキャリーケースを引いた一人の女性が入ってきた。

「……ふひ、ふひひ、こんにちはで、ご、ござる」

 こえぇ……。

 胸が半端なくデカいのを除けば、すらっとした背の高い大人びた魅力漂う女性だ。

 しかし黒くタイトなミニワンピと歪んだ表情に漏れ出る不穏な響きの笑声と他要素の取り合わせが最悪すぎる。あとわざとらしい語尾も不気味さを醸し出すのに絶対一役買ってる。

 この人には汚れたナース服と廃墟の病院がよく似合うだろうなと失礼ながらも思った。


 そんなある意味ミステリアスな女性に、夢咲は平常時のテンションで話しかけた。

「ハロー、元気にしてマシタカ?」

「お、お蔭様で厄災なく安息に過ごしてたでご、ござる。夢咲殿は?」

「アイム・ファインデスヨ。あ、生流サン、紹介しマスネ。こちらのビューティレディは、宇折井芽育(うおりいめいく)サンデス」

「ど、ども……、芽育、でござる」

「あ、ああ。田斎丹生流だ」


 俺が名乗ってから少しして、芽育とやらはずっと逸らしていた目をにわかにこちらに向け、じっと凝視してきた。

「……」

「…………」

「……………………」

「…………………………………………」

 ……ダメだ、もう限界だ。

 そろそろ抗議しようと思ったちょうどその時、彼女はおずおずと口を開いた。


「……あ、あの、もしかしてもしかすると……『エデン』の天空殿でござるか?」

「知ってるのか?」

「もっ、もちっ! さっ、さっ、サインくださいッ!!」


 どこぞから取り出した色紙とペンが俺の眼前に差し出される。

「さ、サインか? 別に構わないけど……」

「まっ、誠でござるか!? 神対応に感動して、し、死にそうでござーる!」

「おい、鼻血出てるぞ……」

「こ、これは失敬」

「ほら、ティッシュデース。動かないでクダサイネ」

 手早くティッシュで止血を行う夢咲。

「手慣れてるなあ」

「毎度のことデスカラネ」

「か、かたじけのうござる」

 だんだん感覚が麻痺してきたのか、眼前の介護的光景も気にならなくなってきた。


 半ば押し付けられた形の色紙とペンが手にあったが、サインを請われるなどなかなかない。それに習慣化しているとはいえ鼻血を出すほど喜んでもらえるのも光栄だ。また出血するんじゃなかという心配もあったが、せっかく頼まれたのだからと俺はすっかりご無沙汰になっていたサインを思い出しながら色紙に書いた。

「ほら、できたぞ」

「おっ、おっ、おおぉおおおおお~~~ッ! こっ、これが天空殿のサインッ! マジ感激でござるッ!! 感謝感激雨あられ、かたじけのうござるかたじけのうござるッ!! 家宝として大切に飾らせていただくでござーるッ!!」

 ものすごいはしゃぎ様だ。大会で優勝トロフィーを受け取った選手でもここまで歓喜した姿はいまだかつて見たことがない。


「喜んでるところ悪いんデスケド、芽育サン。例のものはもってきてくれマシタカ?」

「う、うむ、こうして持ってきたわけでござるが……。まっ、まさかこれ、天空殿に?」

「……なあ、芽育」

「ちょっと待ってください生流サン。なんで芽育サンだけ下の名前で呼んでるんデスカ?」

 ほっぺたバルーンの夢咲に服の裾を引かれて文句をつけられた。


「だってうおりいってさすがに言いにくいし、それに……」

「それになんデス?」

「……この人なら別に下の名前で呼んでも全然照れが来ない」

「あ、あの、それって褒められてるんでござるか?」

「おそらく」

「ユー自身のことデショーガ」

「自分のことが客観視できなくなる現象ってのは、ゲームをやってりゃ度々起こるもんだ」

「タイプにもよりマスガ、実況者になるのにそれは少し困りマスネ」


「え? て、天空殿が実況者って……どういうことでござる?」

「それはデスネ――かくかくしかじか」

 上手く要点まとめて夢咲は手短にことの成り行きを芽育に伝えた。状況整理能力とそれを伝える説明力の高さはさすが語りのプロだと敬意を抱かせられる。

「な、なるほど……。急な除名でどうなったのかと思ってござったが、そ、そんなことに……」

「そこで、芽育サンに持ってきてもらった秘密兵器が火を噴くわけデス」

「どんな物騒なもの持ってこさせたんだよ……」


「えっ……えっ、ええっ!?」

 どういうわけか、俺以上に芽育の方は驚いているようだった。

「あっ、あの、話がまるで見えないでござるが!?」

「そうデスネー、正確には火を噴くっていうより、花開くって感じデショウカ」

「……も、もしかして、もしかしなくても、夢咲殿は天空殿に……」

「なあ、そろそろ俺にもその秘密兵器とやらを見せてくれよ」

「かしこまりデース。芽育サン、そのケースをオープンプリーズデース」

「りょ、了解でござる……」


 戸惑いつつも夢咲に指示されるままに芽育はケースを開く。

 中には様々なデザインと色合いの服がきれいに折り畳まれて仕舞われていた。

「……ワンピースにフリルの付いたスカート、甘ロリにゴスロリ、浴衣や巫女服にチャイナドレス……。ナース服に学生服、アニメの作中衣装まであるな。なんだこれ、コスプレショーでも始めるのか?」

「ンー、当たらずも遠からずといったところデショウカ」

「煙に巻くなよ」

「それじゃあ球速百キロ以下のストレートを投げるつもりで言いマスケドネ」

 野球に詳しくない俺は意味が分からず黙して続きを待った。


 やけにもったいぶった後、夢咲は一語一句はっきりと発音して言った。

「生流サンには今からレディの服を着て、顔出しゲーム実況をしてもらうんデスヨ」

「――は?」

 おそらくは豪速球を前にしたバッターと同様の心境に陥る俺。

 三振に打ち取ったピッチャーさながらの爽やかな笑みで夢咲は語る。

「確か生流サンはモロハちゃんが好きデシタヨネ。ここにちょうど魔法少女にメタモルフォーゼした時のコスチュームがありマスシ、着てみてはどうデショウカ? あ、でも初心者には巫女服がおすすめデスケド」

「『どうデショウカ』……って、イヤに決まってんだろ!?」

「イヤ、デスカ?」

 妙に『イヤ』の部分を強調して訊いてくる。証人を詰問する寸前の検察官のように。


「お、おう」

「なるほど。じゃあ、これ等の単語にも聞き覚えはないデスネ」

 確認するように前置きしてから、夢咲はスマホを取り出し何かを読み上げ始めた。

「『俺が女子S学生になって百合エ×チするまで』『女体化トリップ』『TS悪堕ちメモリーズ』『江戸性転奇譚~憧れの吉原で女の悦びを知る~』……」


「なッ……、なんでお前がそれをッ!?」

「交渉相手とコンタクトする前の下準備はエッセンティアルデスヨ」

「愛衣に訊いたってのか……!?」

「イエス! それとお忘れかもしれマセンガ、師匠の命令はマストデス。もし断ったら師弟関係はロストしちゃいマスヨー?」

「ひっ、卑怯だぞ!」

「アンダードッグの遠吠えはいつ聞いても愉快デスネー」


 ハッハッハーと高らかに笑う夢咲。

 俺は藁にでもすがる思いで芽育に助けを求める。

「なあ、アンタからも何か言ってやってくれよ!」

「はぁ、はぁ……、天空殿の女装姿……アリでござる!」

「……ダメだコイツ」


 俺はずきずきと痛む頭を押さえ嘆息した。

「夢咲に師事をした俺がバカだったのか……」

「生流サン、そろそろ選択の時デスヨ。女装をするか、それとも全てを忘れてこの場を去るか。お好きな方をお選びクダサイ」

 それきり夢咲はにやにや笑いつつ口を閉じ、静まった室内には芽育の浅い吐息の音だけが残った。

 俺は世にも理不尽な選択肢を前に、呆然と立ち尽くす。

 せっかく目前にしたチャンスは、手にした瞬間に呪いとなり俺を苛む。だからといって立ち去っても行く当てがない。

 ……まあ、それでもどうにか生き長らえることはできるかもしれないが、せっかく好きだったことを思い出せたゲームを仕事にできる可能性はかなり低いだろう。


 女装、女装か……。

 迷いを見抜いてか、夢咲は微かに笑い声を漏らして言った。

「生流サンはお顔が中性的デスシ、きっと似合うと思いマスヨ」

「……んなわけないだろ」

「大丈夫デス、ユーは師匠のミーに強要されて女装するのデス。決してミー自身の意思じゃない、だから恥ずかしがることはありマセーン」

 そうだ、俺は自分の意志で着るわけじゃない……。

 ただ夢咲の弟子になるため、仕方なく女装するのだ。そう、仕方なく……。


 欲望の天秤はもうある一方へと大きく傾いていく。

「最近はVトゥーバーの受肉が流行っていマス。つまり男性が女性のフリをするというのは何もおかしいことじゃないのデス。みんなやっていることなんデスヨ」

 みんながやっている……、なら、俺も……、俺も女の子になっていいんだ……。

「さあ、どうしマスカ?」

 ごくりと唾を飲みこむ音がやけに大きく聞こえた。

「俺は――」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【次回予告!】


宇折井「ふひっ、ふひひ……。せ、生流殿、こここ、こんにちはでござる」

生流「おう。まあ座れよ」

宇折井「……じゃ、じゃあ、失礼して……」

生流「お前ってこういうのに慣れてなさそうなのに、普通に引き受けるんだな」

宇折井「き、緊張はするでござるが、話すだけなら……」

生流「そうか。じゃあ早速で悪いが、サブタイコール頼んだぞ」

宇折井「しょっ、承知つかまつったでござる!」


宇折井「じ、次回『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その1』 でござる」


生流「おお、すごいな。完璧だったぞ」

宇折井「お、お褒めに預かり恐縮でござる」

生流「意外とコミュ障じゃないんだな。カラオケとかも行けるか?」

宇折井「……み、ミラーボールの輝き受けると、拙者は、はっ、はっ、灰になるでござる」

生流「いや、ないところもあると思うが……。っていうかドラキュラかお前は」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る