3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その5
翌日、俺は薄暗い部屋で目を覚ました。
見慣れぬ天井をしばらく眺めつつ、ここはどこだと自問する。
……ああ、夢咲の家だったっけ。
壁際にパソコンやテレビ、カーテンが向かい合わせにあり、あとの一面には何も置かれていない。
片面のカーテンを開くと、清々しい青い空。宇宙まで届きそうな白い入道雲がいくつも浮かんでいる。
トゥルルル、トゥルルル。
背後から規則的な電子音。なんぞやと見ると、どうやら入り口側の壁に取り付けられた内線電話が鳴っているようだった。
まだ気怠い体を引きずるように近づき、ワイヤレス式の子機を取った。
「もしもし……」
『グッドモーニング、生流サン!』
「……あ、ああ」
寝起きの頭にハイテンションな声はかなりの拷問だ。
『その様子デスト、今の呼び出しでお目覚めになった感じデショウカ?』
「いいや、数十秒早く目覚めてたよ」
『だとしても、おそようデスネ』
「今、何時だ?」
『そろそろ紅茶が美味しくなる時間デスヨ』
「俺はロイヤルミルクティー派だ」
『甘党デスネ』
「まあな。ところで、今日の予定は?」
『とりあえず、昨日のリベンジデス!』
「……リベンジ?」
俺は靄(もや)がかった頭をひねったが、言葉の意図はつかめない。
『ランブルデスヨ』
「……おいおい、実況者の修行は?」
『大丈夫デス。その後にやりマスカラ』
「お前の優先事項には、俺の修行はリベンジの下位にあるんだな……」
『大丈夫デスヨ、修行もちゃんとやりマスッテ。あ、今日の衣装はゴシックロリータとかどうですか? それとも大胆にスクール水着いっちゃいマス?』
「んな格好していったら、愛衣がビックリするだろ」
『ああ、愛衣サンならもう帰りマシタヨ』
「なら、俺的にはもう女装する意味ないんだが?」
『師匠の命令は、絶対デスヨ』
お約束になりつつあるやり取りに、重たい嘆息が漏れた。
「……なあ、その……、俺を女装させるのにはどういう狙いがあるんだ?」
『狙い、というのは?』
「ただ単にお前の趣味なのか、それとも……」
僅かな沈黙を挟み、夢咲は改まった調子で言った。
『生流サン、ビデオゲームは趣味から生まれたものデス。ミー達ゲーム実況者はその趣味の延長線上で仕事をしていマス。そこから外れてビジネスのためだけに生きるのは何か違う。そう思いマセンカ?』
「でも金がなければ生きていけないだろ?」
『デスガ、そんな思いを露骨に出した芸人やアイドルを見ていて、生流サンは楽しいと思いマスカ?』
俺はしばし考えて、「いいや」と首を振った。遅れて夢咲に俺の動作は見えないことに気付いた。
「芸能人や動画配信者、その全てをひっくるめたパフォーマーはいわば現代社会の非日常の象徴的な存在だ。そんな人達がただの金の亡者だって気付いたらきっと、幻滅するだろうな」
『その人達は、シンデレラにすらなれない』
ようやく回り始めた頭の歯車に、今の一言が挟まった。
シンデレラにすらなれない?
黙りこくった俺の耳に、夢咲の声が聞こえた。
『別に魔法が解けたっていいんデス。観てくれた人の心にガラスの靴を残せれば。そうすればきっと王子様達は、ミー達を迎えに来てくれマス』
「……魔法、か」
『イエス。嘘だとわかっていても、つい魅了される魅力。それがパフォーマーに真に求められるものデス』
俺はローズウッド製の軽く七十万はするデスクに載った、プロゲーマーですら躊躇する異次元に高性能なカスタムパソコン(二百万円、二台あるモニターも240Hzの四十万近くするもの)を見やった。
窓に近づき開くと夏特有の猛暑と、さっきまではまるで聞こえなかった工事現場のやかましい掘削音が部屋に飛び込んでくる。
耐えかねて窓を閉じると、さっきまでの静けさと快適な空調が戻ってきた。
振り返り、廊下に続くドアを隠したカーテンを見やった。
ワインレッドの地に金糸で小鳥や森、小動物を縫い描かれている。緩やかでほのぼのしたデザインだが、これ一枚で三百万はするという。
外に通ずる窓のカーテンは画家でも雇って描かせたのかってぐらい緻密な絵が、黒地に銀白色でびっしり敷き詰められている。英国のブランドものらしく、軽く一千万を越えるものらしい。
昨夜貸された蒲団もいつも使っているやつとは段違いに、寝心地がよすぎた。聞いてはいないが、どうせ何百万もするんだろう。
いるだけで場違い感に苛まれる、高級的瘴気がこの部屋には溢れかえっている。
寝巻代わりに借りたジャージだって五十万は越える。着心地は普通のものとは段違いで素材が軽く動きやすい。
やれやれ、しょせんこの世はと嘆きたくもなってくる。
「……なあ、夢咲」
口を開いた直後、『チーン』と電子音の響きが聞こえてきた。
『ああ、できマシタ』
「できたって、何が?」
『決まってるじゃないデスカ、生流サンの朝ご飯デスヨ』
「……えっ、もう?」
『実は今朝の内に、愛衣サンに生流サンの好物を訊いておいたんです。それで朝というかお昼はパンとかスコーンみたいなものをよく食べるとお聞きしマシテ。あ、コンソメスープも用意しておきマシタヨ』
「お、おう……」
『冷めてしまいマスカラ、早く来てクダサ――あっ、そういえばさっき何か言いかけてたみたいデスケド?』
「……いや。なんでもない」
『そうデスカ。では居間で待ってマスネ』
電話が切れたのを確認し、俺は受話器をフックに戻した。
布団を畳み、枕を上に置き、軽く伸びをした後、俺は廊下側のカーテンを腕で除けてドアを開き、部屋を出た。熱気を覚悟していたが廊下も室内と変わらず涼しい気温に保たれていた。
廊下は昨日掃除したためきれいに片付いている。壁には小さな額に収まった絵がいくつかかけられている。どれもパステル調で淡く優しい作風。別に他の場所で見かければそれ以上の印象は抱かなかっただろうが、ここにあるだけでそれなりに価値のあるものなんじゃないかと思ってしまう。
昨日は散らかっていたせいで気付かなかったが廊下の幅は一般家庭より広く、二人の平均的な身長の成人男性が両手を広げてようやく足りるほどだった。
室内に通ずるドアも、壁も、どれもこれも馴染みのない代物ばかりだ。
肩を竦め、牛革製のスリッパに包まれた足を動かして居間に向かった。
ステンドグラスが使われたやたらキラキラしたドアを開くと、明らかに場違いなのっぺりしたゲーム音が聞こえてきた。
見やると高級が一周回って中二的な意匠になっているソファに腰かけた夢咲が、通販サイトで十万円足らずで揃えられるゲームを真剣な表情でプレイしていた。
キッチン前のテーブルには、朝食もとい昼食の準備がすでに整っていた。
俺は手を洗ってからテーブルに着き、クロワッサンをかじりながら夢中でゲームをしている夢咲の背中とテレビ画面を眺めやった。
プレイしているゲームは初代のランブル、つまりまだネットにも対応していない頃のものだ。対戦相手はCPだが、この頃はまだ最高レベルにしてもさほど強くなく、少しやりこめば初心者でも苦労なく勝ててしまう。現に夢咲もほとんどダメージを受けずに勝利した。
試合が終わった頃を見計らい、俺は彼女に声をかけた。
「朝食の準備してくれて、ありがとな」
「いえいえ。簡単なものしか用意できずにすみマセン」
コントローラーを置いた夢咲は、体ごとこちらを向いて頭を掻き言った。
「謝る必要はない。本来なら食事は弟子が師匠の分も用意すべきだろ?」
「言われてみればそうデスネ。じゃあ、明日からそうしてもらいマショウカ」
「……しまった、墓穴を掘ったか」
「フフフ。美味しいものを期待してマスヨ。あっ、セリカちゃんのお料理教室っていうチャンネルも開設しマショウカ」
「冗談キツイって……」
「半分本気デスヨ。可愛い女の子が料理している画は、きっと需要ありマスシ。第二のマイ●ちゃんを狙っていきマショウ!」
「本気マックスで辞退させてもらう」
「じゃあ、今日のランブルでミーが勝ったらやってもらいマスカラネ!」
「まあ、いいが。俺がかったら女装しないでゲーム実況してもいいか?」
「それはダメデス」
クイズ番組のボタン押し並みの速さで却下された。
「……なあ、本当に実況に女装って必要か?」
「くどいデスネ。ゲーム実況は趣味の延長線上デスヨ」
肩をすぼめて、しっぽだけになったクロワッサンを口に放り込んだ。ほんのりとしたバターの香りが口の中一杯に広がった。
●
白いブラウスに、赤いフレアスカート。色の組み合わせとしては昨日のミニスカ巫女服と大差ないが、スカート丈が長いのが新鮮だった。歩く度に裾がふわりと膨らむのが面白い。脚を閉じると柔らかな布地の中で素肌が触れ合う。まるで布団の中にいるみたいだ。
ウィッグのロングヘアは二日目だが、もう地毛のように慣れてきていた。背中を髪に覆われることに安堵感さえ覚える。
女装するということもあって、いつも以上に入念に外見に気を遣っている。だからだろうか、平時よりも却って自身の格好に自信を持てた。嫌いな鏡でさえも、今はむしろ進んで覗きたいぐらいだ。
前髪を掻き分けたりする所作をすると本当に女の子になったみたいで、胸の内がこそばゆくなった。
「……イヤがっていた割にはノリノリなんデスヨネ」
「そんなことありませんよ」
とっさに反論したせいで、無意識にセリカが出てきてしまった。
慌てて口を押さえるが時すでに遅し、夢咲はニヤニヤした笑みを向けてきた。
「もういっそのことオールシーズンそろえた女性服をプレゼントしまショウカ?」
「それはやめてくれ……。愛衣との間に埋められない溝ができる」
「そうデショウカ? 普通に受け入れてくれそうな気がシマスケド」
「まさか」
俺は軽く肩を竦めて首を振り、洗面所を出た。
「で、まずはランブルか?」
「イエス。今日こそ絶対勝って、お料理大好きセリカちゃんのシリーズをスタートさせるんデス!」
「……仮に料理好きになったとしても、そんな動画絶対に撮らないからな」
夢咲は俺の前に立ち、不敵な笑みを浮かべて人差し指を突きつけてきた。
「フッフッフ。昨日の反省点を洗い出して特訓し、ミーは成長しマシタ。昨日のミーと一緒だと思って油断してたら、足元をすくわれマスヨ!」
「ゲームの実力って一朝一夕でどうこうなるもんじゃないだろ」
「男子三日会わざればなんとやらと言いマスガ、女子は一日で化けるんデス!」
「俺、一日で妹に別人の女性だと思われたんだけど」
と返すと、しばし顎に手をやり何やら考えていた夢咲が恐る恐るといった感じで訊いてきた。
「……生流サンって、実は女の子デシタカ?」
「どうだかな」
「でも女の子になりたいんデスヨネ?」
「……まさか」
俺は壁にかかったバレーダンサーの女の絵を見やった。
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【次回予告!】
生流「今回の収録は公園か」
夢咲「思ったんデスケド、読者の方に次回予告をどんな場所でやってるかって伝わってないデスヨネ」
生流「……別に作者も決めてるわけじゃないからな」
夢咲「そ、そうデスカ。とりあえず今日は長閑(のどか)な公園デスネ」
生流「お、あそこでソフトクリーム売ってるな。買いに行かないか?」
夢咲「その前に次回予告を終わらせていきマショウヨ」
生流「ルーチンというか、義務化してるなあ……」
夢咲「次回、『3章 新米実況者の俺、女装ゲーマーになる その6』デス!」
生流「よし、じゃあ行くか」
店員「いらっしゃいませ。どれになさいますか?」
生流「あ、えーっと……抹茶でお願いします」
夢咲「一瞬でセリカさんに……。すっかり慣れちゃいマシタネ」
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