2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その4

 ドアの様子をじっと窺っていると、運よくミルクが一人で出てきた。おそらくゲストは多忙のため一足先に退場、とかいう流れだったのだろう。

 ミルクは小さく一息吐いてこちらに歩いてくる。

 ちょうど彼女が廊下の角を曲がったところで、俺はその前に立ちはだかった。


 目を見開いたミルクは、眼前にいるのがエレベーターで自分が唇を貪った相手だと気付くと今度は大きく飛び退いた。

「ゆっ、ユーは……!?」

「よう、有名実況者さん」

 片手を上げ、フランクに言ってやる。


 俺の挨拶を聞いたミルクはさっと顔を青白くして狼狽えた。

「どっ、どうしてミーのことを……?」

「ただ勉強会に参加してただけだ。それより、お前に話がある」

「なんデショウ?」

 ミルクの表情に僅かな抵抗心と警戒の意思が覗く。


 俺は唇を舌で舐め、用件を切り出した。

「俺を弟子にしてくれ」

 しばし沈黙が落ちた。

「……Whattttt?」

 やがて当惑気味に間の抜けた声をミルクが上げた。


 俺は声の調子を和らげ、補足の説明をする。

「お前を有名実況者だと見込んで頼んでるんだ。俺を弟子にして、動画投稿者として生きていけるよう指導してほしいって」

 瞬きを繰り返し、ミルクは首を傾げる。

「……ミーがユーを?」

「その通りだ」

「アー……?」


 首を傾ぐ彼女に、俺は根気強さを要して言った。

「そのままの意味だよ。お前の築き上げてきたノウハウを手取り足取り俺に教えてくれればいい」

「なぜミーがそんなことを?」

「エレベーターでのこと、まさか忘れてないよな?」


 ミルクの眉間が僅かに震える。何よりの雄弁な返答に俺は頬を緩めた。

「お前は初対面の俺の唇を断りもなく奪った。これはセクシャル・ハラスメントとして訴えることができるよな?」

「デイドリームでも見たんじゃないデスカ?」

 強張った笑みから発された言い逃れに、俺はきっぱりと首を横に振る。

「スマホやエレベーターにはカメラがセットでついてくる。常識だよな?」

 頬の引きつったミルクは、忌々しそうな目つきでこちらを見やってきた。

「……インティミデイション、というわけデスネ」

「どう解釈しようと構わない。だがお前が俺に二十回近く接吻してきたのは紛うことなき事実だ」


 その時のことを思い出したのか、ミルクは自分のリップを指先で押さえ、僅かに顔を赤らめた。

「余談だが、あれは俺のファーストキスだった」

「ミーもデス……」

「悪いがキス魔の言うことは信用できないな」

「そう……デスカ」

 嘲るように言うと、ふとミルクは僅かに眉尻を下げた気がした。

 少し傷つけてしまったようだが、ここで手を抜くような善良な心は持ち合わせていない。

「ともかく。バラされたくなかったら、俺の要求を聞いてもらおうか」

「ン……、もしイヤだと言ったらどうしマス?」


 俺は一瞬呼吸を忘れて、相手の顔をまじまじと見やった。

「なんだって?」

「そのままの意味デスヨ」

「……お前、俺とのキスをネットで暴露されても構わないのか?」

「そういうことになりマスネ」

 口角を持ち上げ瞳をアーモンドの形に開き、ニヤリと笑うミルク。


 俺は一度セミナールームの様子を窺った後、再び彼女を見やってやや早口で訊いた。

「お前、有名実況者なんだろ? 炎上とか怖くないのか?」

「炎上商法ってワードの響き、嫌いじゃないデスネ」

 一点の曇りもない表情。嘘か本心かはこちらが知る術はない。つまりこのままやりあっても千日手にしかならないってことだ。

 手にじわりと汗の感覚を覚えた。


「用事はそれだけデスカ?」

 ミルクはリュックを背負い直し、今にも歩き去りそうな気配を見せてくる。

 こっちの交渉材料はもう尽きていた。だがせっかくつかみかけたチャンスを手放すわけにはいかない。


 ――ええいっ、儘(まま)よ!

 俺は宙に飛びあがり、膝を折りたたみ、そのまま着地し額を下方へ打ち下ろした。

 端から今の俺を見たら、そいつはさぞ滑稽に思うことだろう。

 ビルの廊下のど真ん中で、二十歳前後の男が金髪美女に床に額を擦りつけんばかりに土下座している。

 周囲にあるカメラは常時設置されている防犯用のものだけだ。もしもセキュリティルームにいる警備員がモニターでこの光景を見たら……社会的な立場がちょっと心配だ。


 ややあって頭上からミルクの声が降ってきた。

「……えっと、あの?」

 聞くだけで戸惑いがひしひしと伝わってくる。若干引かれているような気がしないでもない。けれどもここで『すみませんしたぁっ、失礼しますッ!』としっぽ巻いて逃げ出すような生半可な覚悟の平身低頭ではない。ジャパニーズ土下座、それすなわちハラキリの次点にあるホンキの表明である。

 年下の子に頭を下げてんじゃねえよと、プライドが不満を訴えている。だがそんなことに構っている余裕は今はない。とにかく相手をうんと頷かせにゃならんのだ。


「頼むッ!」

 頭を持ち上げ、円らな碧い瞳を真っ直ぐに見据え懇願した。

「俺を――お前の弟子にしてくれッ!!」

「ン~……っと……」

 眉間の皴が面積を増していく。ミルクの内心に困惑が生まれたのが手に取るようにわかった。


「そのぉ……。なんのデシタっけ?」

「決まってるだろう。お前が一番自信のあることだ」

「ミーの、一番自信のあること……」

 彼女は視線を彷徨わせ、音もなき瞬きを数度繰り返した後、赤点常連のアメリカ人学生が日本語を音読するようなたどたどしさ漂う調子で言った。


「ジシン……ジシン、ジシン……ネ」

 顎に手をやり、やや目を伏せて俯く。本気で考え込んでいるのだろうか。

 だが返ってきた答えにその期待は無残に裏切られた。


「……あっ。ゆで卵の速むきのことデスネ!」

「はぁ……?」

 呆気にとられる俺に、ミルクはやけに嬉しそうな調子で語る。

「実家に住んでいた時、ミーはファミリーの中で一番ゆで卵を速くむけたんデスヨ。スクールでも給食でゆで卵出た時に、フレンドが褒めてくれマシタ!」

「……いや、別にゆで卵の話はどうでもいいんだが」

「それじゃあ、猫チャンとのコミュニケーションスキルについてデスカ? 猫チャンとフレンドリーになることに関して、ミーはベリーベリープロフェッショナルなんデスヨ!」


 こめかみの痛みを抑えて俺は言った。

「そうじゃなくて、お前がもっとも成果を上げてる分野のことを言ってるんだよっ!」

「成果……。アーハン、そういうことデスカ」

 表情を明るくし、ぽむと手を合わせるミルク。ようやくこちらの願いが伝わったかと一安心したが。

「今一番伸びている株はファミリーレストランのシンデレアデース。安くて美味しいって人気のファミリーレストランなんデスヨ。他にはファーストフード店の……」

「違うっ違うっちっがぁあああああうッ!」

 苛立ちのあまり、頭を貫かんばかりの勢いで叫んでしまった。

 我ながらヒステリックだと思ったが、そうせずにはいられなかった。目をぱちくりさせているミルクに俺は間髪入れずまくし立てた。


「俺はお前がすごいゲーム実況者だっていうから、弟子にしてくれって頼み込んでるんだよッ!」

「……ゲーム実況者の、弟子って……」

 ミルクは額に右手を当て首を振り、憂鬱の色が混じった息を吐いた。

「Really?」

「当たり前だ」

「……ゲーム実況者に弟子。……弟子、ネ」

 余っていた左手を腹にやり、ミルクは2から延々と二乗を繰り返すように笑い声を出し始める。


「面白いデスネ、ユニークでグレートなジョーク! ハッハーハハハハ!!」

「ジョークじゃないっ。俺は真面目に頼みこんでるんだよ!」

「そんな戯言を真に受けろと?」

 ぴたりと笑声が止まり、ミルクの周囲から極寒の地を思わせるような冷気が発せられる。

 ぶるっと身震いを覚えた。足元が薄氷にすり替わったように心許なくなる。

 唇を雪国の三日月のような形にして、彼女は言った。


「ゲーム実況の世界には、基本的に師弟関係なんて存在しマセン。いえ、正確には必要ないんデス」

「必要……ない?」

「イエス。そして存在しないものには、存在しないだけの理由がありマス。人間のテイルのように」

 ミルクは緩慢な手つきでスマホを取りだし、画面をこちらに向けてきた。それには一件のSNSのコメントが表示されていた。

『今回のゲーム実況勉強会は応募多数により抽選とさせていただきます。誠に申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします』


「ゲーム実況者になりたい人なんて腐るほどいマス。わざわざ手塩にかけて卵を温めなくても、優秀な人は勝手に成長してきマス。そのうえ他のものと違って、実況は個人プレーデス。チームを組まなくてもいい。スキルさえあれば個人事業で十分にやっていけるしそのために教えを受ける必要もない。ドゥー・ユー・ノウ・アンダスタン?」

「だから弟子なんて取る意味がないと?」

「イエス。ウェイスト・オブ・タイム、時間の無駄デスから」

 その答えを聞き、俺は自分の頬が氷解するように緩んでいくのがわかった。


「……本当に、そうか?」

「ン……?」

 ミルクは怪訝そうに目をすがめ、首を傾いだ。

「真実を知らないってのは、哀れなものだな」

「どういう意味デスカ?」


 俺もポケットからスマホを取り出し、ある画面を表示してミルクに見せた。

「確かに何が生まれるかわからない卵なら、時間の無駄だろう。だが」

 手にしているスマホには有名ソシャゲのガチャ画面。そこにはある特定の条件下で表示される、虹色の卵が映し出されていた。

 それが何を意味するかってのは、もはや常識だろう。

「生まれてくるのが最高レアだってわかってたなら?」

「すごいジシンデスネ。その根源を聞かせてくれマセンカ?」


 チェシャ猫みたいな笑みに同様の表情を返してやる。

「自信は主に成果によって作られる」

「ホゥ?」

 俺は親指を立て、その先を己に向けて言った。

「世界大会三位のチームに所属していた、元プロゲーマー。それが俺だ」

「……へえ」

 蛇のように赤い舌で薄い色の唇を舐め、ミルクは目を細めた。

「ユーがエデンの天空、デシタカ」


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【次回予告!】


夢咲「ポテトはとっても美味しいデス」

生流「ん? まあ、そうだな」

夢咲「形状、触感、味は多岐に渡り、一本一本を大切に食べるも、またいっぺんに食べるもありの、あらゆる意味でバリエーションに富んでいマス。レギュラー、シューストリング、ハッシュド、ウェッジカット、コーティング、スペシャルカット。またソースをつけたりバーガーに挟んだり、粉末を入れて振ったりと食べ方も様々デス。百人がいれば、百通りのポテトを思いつく。だから許せないんデスヨ。(拳を握りしめて)安易に山盛りにしたり、大人買いしてSNSや動画上で注目を集めようとしているフール共が……」

生流「それをゲーム実況者が言ってもなあ……」

夢咲「あんな輩(やから)と一緒にしないでクダサイッ! 大体……」」


生流「次回、『2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その5』」


夢咲「……であるからポテトを食べきれないと捨てないなら許せるんデスケド、それでも無理して食べずに美味しく食べるのが作った人への敬意となって……」

生流「お前、俺の長広舌を取らないでくれよ……」

ハルネ「似た者同士って感じがするけどねー」

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