2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その1

 雲一つない晴天。抜けるような青空には、白い太陽の穴が一つ空いている。

 俺は黒いリュックを背負い、久方ぶりにビル街を訪れていた。

 各々の所有者が異なる意図で建てた高層建築物は調和こそしていないが、一定の規則性は見受けられた。まるで他者への無関心と全体的な空気への順応、そして僅かな個性が複雑に絡み合い、結果的に一つの街が出来上がったように感じられた。


 休日ということもあり、街には様々な年代の人が私服姿で歩いている。中には彼等を横目に足早に通り過ぎていくスーツ姿の人もいる。

 ぼんやり突っ立っていると、背後からとてとてと駆け足が聞こえてきた。


「お待たせなのだー!」

 聞きなれた声に振り返ると、お手洗いから帰ってきた妹がこちらへ向かってくるのが見えた。

「おぅ、お花は摘めたか?」


「……兄ちゃん、前から気になってたんだけど、なんでトイレに行くのをお花を摘みに行くって言うのだ?」

「ん? あー、そりゃあれだ。はなさかじいさんって知ってるだろ?」

「ここ掘れワンワンと、桜の木に花を咲かせましょーで有名な昔話なのだ」

「そうそう。犬の灰で花を咲かせるネクロマンサーなおとぎ話な。……昔の日本はしゃがんで使う和式便所しかなかっただろ。それで用を足している姿が犬が地面を掘っている様に似ているから最初は『穴を掘る』って呼ばれてたんだけど、それじゃあなんだか間抜けだってことで花を咲かせるってなったんだ。しかし後に『花を咲かせる』ってのはおしゃべりをするって意味もできたせいで、代わりに今の花を摘むが生まれたってわけだ」

「おおっ、兄ちゃんは物知りなのだ!」

「ふふん、そうだろそうだろ」


 実は全て出まかせ、ただの口八丁である。しかし他者の夢を摘むほど俺も極悪非道ではないので余計なことは言わない。

 愛衣と並んで歩きだし、彼女の行くままにどこぞの目的地へ向かい始める。


「それで、今日はどこに行くんだ?」

「パルスタっていう、ドランゴの施設に行くのだ」

「ドランゴって?」

 訊くやいなや、愛衣は目を見開き口をOの字にした。

「兄ちゃん、知らないのか?」


「あ、ああ。そんなにドランゴって有名なのか?」

 コクコクッと大きく頷かれる。

「ムートゥーブと同じく、日本で動画文化を築き上げた二大巨塔の一つなのだ。最近は少し、落ち着いてきたけど」

「ふーん。俺は生まれた時からムートゥーブを見て育ったからなあ……」

「一昔前は、ドランゴが運営してるニマニマ動画がとっても流行ってたのだ。画面に文字が流れるというシステムが若年層を中心に大ウケして瞬く間に流行、ミカミカダンスとかMAD、それにゲーム実況動画で一時代を築いたのだ!」


「でもあんまり話題に上がったのを見たことないんだが……」

「それはその……。システム的な利便性で、ムートゥーブに敗北してしまったからなのだ……」

「ふぅん。で、ゲーム実況者専業で食っていくなら、どっちに動画を上げた方がいいと思う?」

「ムートゥーブ一択なのだ。……今のところは」

 とってつけた言葉がかえって如実に両者の力量差を物語っていた。


「愛衣はムートゥーブとニマニマ動画、どっちが好きなんだ?」

「ニマニマ動画のライブ感は好きだけど、UIの利便性や回線速度への依存性とか考えると、断然ムートゥーブなのだ」

「回線速度の依存性?」

「ニマニマ動画とムートゥーブ、先に動画が重くなるのは決まって前者なのだ。お前の環境が悪い略しておま環という言葉があるけど、娯楽に対してそこまで熱意を傾ける人はいないから、運営側ができるだけ気を遣わなくちゃいけない。でもニマニマ動画はいつまで経ってもそこはユーザー依存で、ムートゥーブほどに快適な環境を提供できないから、現在の情勢が出来上がってしまったのだ」


「はあ……、そりゃもったいないことをしたな。さぞかし、今のドランゴは廃れてるんだろうな」

「でも毎年、ニマニマ極会議をするぐらいにはまだ企業の力は残ってるのだ。それにほら、今日の目的地のパルスタっていう新施設も最近作られたものなのだ」


 愛衣が勢いよく指差した先を俺は見やる。

 パルスタはガラス張りのちょっと洒落たビルといくつかのホールでできていた。全ての建物はどこかしらと鏡張りの屋内通路で二階部分が結ばれている。意外と金がかかっていそうな施設だ。

 ビルやホールにはアニメキャラやソーシャルゲームのキャラのパネルがごってりしない程度に飾られ、宣伝用のLEDビジョンが数枚取り付けられていた。

 周囲にいくつかある過剰にビビッドでカラフルなビルとは比べるでもなく、スマートながらデザイン性もある外観。


「なかなか雰囲気はよさげだな」

「ふっふっふ、だろだろなのだ」

「ところでここって、どういう場所なんだ?」

「パルスタにはスタジオやイベントスペースがあって、主に動画を収録したりイベントを開くのに使われているのだ。今日の実況者勉強会みたいなワークショップや、ライブなんかも行われているのだ」


「へー。見た感じ、オタクカルチャー方面に力を入れてるんだな」

「なのだ。兄ちゃんもそういうの、好きだよね」

「ああ。でも最近のはあんまり詳しくなくてな。パネルに描かれてるキャラとかもさっぱりだ」

「あれは『はくしごと』っていう漫画が原作の、中年男性の清掃員が博士になるまでを描いたサクセスストーリーの主人公とヒロイン。淡々と描かれる日々とふいにヒロインが口にする純粋な言葉に心を打たれてね。日常の大切さと切なさが感じられる素敵な物語と、独特な絵のタッチがもうアタシは大好きなのだ! その隣が『コンパる』っていうドランゴが提供してるリアルジャパンカレッジ&メルヘン風ミステリ型ソーシャルゲームのキャラクター達で、みんな個性的で……」


 キラキラした瞳で熱く語り続ける愛衣。よっぽどアニメとかゲームがが好きなのだろう。

 ふと俺はその姿に既視感……いや、どことなく懐かしい思いが心に蘇ってきた。

 ああ、そうだ。愛衣の今のテンションは、かつて俺が愛衣にゲームについて語った時とそっくりなんだ。

 ゲームが好きで好きで仕方なくて、俺はプレイする度に感じた興奮や感動を余さず愛衣に話したっけ。

 思えば愛衣がオタク系の趣味を持つようになったのは、俺の影響かもしれない。だけど最近は聞き役に回るばかりで、俺から話すことはすっかりなくなってしまった。だからだろう、愛衣が俺がゲームを嫌いになってしまったのではないかと心配するようになったのは……。


 胸を痛ませつつも、俺は愛衣の話に耳を傾けていた。

「で、一番右にあるのが『女装してお嬢様学校に入学した俺、同性結婚を求められる』は男の主人公が女装して……あ」


 そこで言葉を止め、愛衣は俺の方を見やり、なぜかかぁっと顔を赤らめた。

「どうしたんだ?」

「あ、その、……兄ちゃんも、その、女装とかに興味があるのかなって……って、いやっ、なんでもないのだ、なんでも!」


 ……全部言ってますがな。

 愛衣はそれきり口をつぐみ顔を逸らしていたが、時折チラチラとこちらの様子を窺ってきていた。

 ものすごく気まずい空気が流れ始める。

 家だったらすぐさま退室し自室に逃げ込むのだが、生憎ここは屋外で、これから大事な約束があるのだ。勝手にどこかへ行くわけにもいかない。

 はてさてどうするかと頭痛を覚えた時、ふいに愛衣が声を上げた。


「あっ、月野美ノ(つきやみの)のソロイベやってる!」

 彼女の視線を辿ると、確かにビル前に人だかりができていた。その向こうにはビル内に作られたステージが歩道側に開かれ、人々はそこに設置された大スクリーンの中のVトゥーバーに熱烈な声援を送っていた。

「うわぁ、やっぱり美ノはすっごい可愛いのだ!」


 そう黄色い声を上げる愛衣が指差してる女子高生風のキャラは、めっちゃひきつった顔で笑っていた。学生時代に学校にエロ本を持ってきた容疑で学級裁判にかけられた同級生があんな表情をしてたと思う。余談だが判決は有罪だった。

「……美ノっていうのか。可愛いか、アイツ?」

「可愛いのだ!」

「エロ本の隠し場所がバレたヤツのごまかし笑いみたいな表情だぞ、アレ」


「それがいいのだ! あとなんかこう、すっごいよそ行きって感じの作った声で話す感じも独特で好きなのだ!!」

「……変わってるなあ」

 どっちも。

「に、兄ちゃん、あの、その……」

 チラチラと美ノのステージを見やり、何やら言いたげな愛衣。

 ったく、こんな顔されちゃあな。

「見に行けよ」

「でも……」

「俺一人でも待ち合わせ場所に行って、話を聞いてくるぐらいはできる。それに」

 俺は愛衣の頭にぽんぽんと手をやり言った。

「兄ちゃんって生き物はさ、妹が楽しんだり喜んだしてるのが一番好きなんだよ」

「……うん、わかったのだ!」


 顔をぱっと輝かせ、一目散にステージへ駆けだしていく愛衣。

 俺は慌てて「愛衣、待ち合わせ場所は!?」と大声で訊いた。

 彼女は振り返ってスマホを振り、「もう送ったのだ!」と答えた。

 直後にポケットの中から着信音がした。取り出して見やると、愛衣からSNSのLIMEにメッセージが届いたと通知が来ていた。


 開いていくつかに小分けされたフキダシの中の文章に目を通すと、ざっとこんな感じだった。

 俺の名前で勉強会に登録されているからとりあえず参加して、終わった後に近場のファーストフード店で落ち合う手はずになっているとのこと。


 フキダシの最後には『兄ちゃんガンバだぞ!』と激励のメッセージ。

「ったく……、愛衣のヤツめ」

 口元が緩み、知らず入っていた肩の力が抜けるのを感じた。

 だがまあ、せっかく妹が気を利かせて勉強会とやらにエントリーしてくれていたらしいのだから。

「ちょっとばかし、マジになりますか」


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【次回予告!】


佳代「おひさー!」

生流「お、佳代か」

佳代「なに食べてんの?」

生流「愛衣が作ってくれたクッキーだよ。お前も食うか?」

佳代「マジ!? マジでいいの!?」

生流「ああ、次回予告やってくれたらな」


佳代「やるやる! 次回、『2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その2』!」


佳代「んじゃ、いっただきまーす。……うわっ、マジで美味しい!!」

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