1章 元プロゲーマーの俺、ゲーム実況者を始める その3
「うぐぁああ……」
一週間後。俺は自室のパソコンの前でゲル状になりかけていた。
「どうしたんだ、兄ちゃん?」
部屋の掃除に来てくれた愛衣が、溶けかけた俺の肩を心配そうに揺さぶってきた。
「……ああ、愛衣。兄ちゃんは、もうダメかもしれん」
「ダメって、何があったんだ?」
「ムートゥーバー活動始めてみたんだが、全っ然上手くいかねぇ……」
パソコンのスクリーンを指差して俺は言った。
画面には一週間前に開設されたチャンネルが映っていた。
チャンネル名は『TENKUチャンネル』。俺がプロ時代に愛用していた天空(てんくう)の名前をそのまま流用したものだ。プロの頃に使っていたものは『エデン』共有の『Edenチャンネル』で、そのまま利用できるはずもなく、また新しく開設したのだが。
「上手くいかないって、どうしたのだ?」
「ここ一週間ゲーム実況動画をアップしてたんだけど、収益化すらできずに躓いてる」
「つまり登録者が全然集まらないのだな」
さすが学校で動画関係を学んでるだけあって、いつもより理解が速い。俺は頭脳面で愛衣をちょっと見直した。
「今は何人ぐらいいるんだ?」
「五十人」
「……わぉ」
元気溌剌のバーゲンセールの愛衣が絶句した。
「確か収益化に必要な人数って、千人だよな?」
「規約ではそうなってるけど、ムートゥーバーだけで食べていくならその百倍は必要だと思うぞ」
「今の二千倍か……」
十万の数字は夜空の星のように、リアルに存在すると知りながらも幻想的なもののように思えた。
「プロゲーマーの頃のチャンネルはどれぐらい登録者がいたのだ?」
「十万ちょい。でも再生数は五万前後が多かったな」
「五千円程度……。それじゃあお小遣いにしかならないのだ」
ムートゥーバーの収益化で得られる利益は、動画一再生につき大体一円程度と言われている。動画上の広告などのリンク先に視聴者が飛んでくれれば収入が増えるが、実際そんなことをする人はあまりいないだろう。せいぜいファミレスのハンバーグを見て『わぁ、美味しそう。今度ここに行ってみようかな?』と思う程度だ。
「なあ、愛衣。登録者ってどうやれば増えるんだ?」
「アタシは個人でムートゥーバーのチャンネルを作ったことがないから、いいアドバイスはできないのだ……」
「そうか……」
「でも兄ちゃんには元プロゲーマーの肩書きがあるんだから、普通ならもう少し登録者がいてもおかしくないと思うぞ?」
「ああ、それはな」
俺はディスプレイに検索サイトを表示し、『天空 プロゲーマー』と打ち込んでエンターキーを叩いた。
検索結果で出てきたのは『エデンのゲーマー、天空が戦力外通告!?』といった感じの見出しばかりだった。
「……兄ちゃん、戦力外通告されてクビになったのだ?」
「ガセって言いきれないのが辛い……」
愛衣はしばし黙考した後言った。
「つまり元プロゲーマーでも、実力がないって思われちゃってるから登録者が増えないのだな?」
「多分な……」
やるせなさから溜息が零れた。
「一応、動画は毎日一本投稿はしてるんだけど、再生数も全然伸びないんだよ」
「うーん。何か一つメガヒットが来れば状況が変わると思うけど、それは運次第なところもあるし……」
自分のことじゃないのに、愛衣は懸命に考えてくれていた。
その姿を目にしてまた俺は情けなさに肩を落とすのだった。
「あっ、そうなのだ!」
頭上に点灯した電球を浮かべた愛衣はポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきで操作する。
「『うちの兄ちゃんがゲーム実況を初めて収益化を目指してるんだけど、上手くいかなくて困ってるのだ。よければ相談にのってくれないか?』……と」
打ってること全部口から出ているのは、まあご愛嬌ってやつだろう。
「誰に送ってるんだ?」
「学校で知り合った人だぞ」
「同級生とか、先輩か?」
「ううん、ゲスト講師で来てくれた人だぞ」
「なるほど……」
おそらく活躍中のゲーム実況者が大学に来て、特別講義とかしたのだろう。ということはその人は一回や二回程度しか学校に来ていないはずなのだが、その短い接触の中で仲良くなれるのはさすがコミュ力のバケモノである愛衣だ。
「『愛衣ちゃんのブラザーって、天空? あのeスポーツプレイヤーの』『うむ、そうなのだ』」
「おい、ちょっと待て。その特別講師って、もしや外国人か?」
「え? ……あー、多分そうなのだ」
「判然としないな」
「ハンドルネームだけでやり取りしてたから、本名とかすっかり忘れちゃったのだ」
「おいおい……」
申し訳なさそうに顔の前に手を立て、ごめんねのポーズをしてくる。妹にこんなことをされたら許してしまうのが、兄が兄たる所以か。ただ甘いだけかもしれないが。
「『OK。今度の勉強会に来てくれたら、話を聞いてあげマス。勉強会が終わるまで、ちょっと待っててもらわないといけないかもしれないデスけど』『おお、センキューセンキューなのだ!』」
よくわからんが、上手く話がまとまったようだ。俺としても第一線で活躍している人と相談したり、アドバイスをもらえるのはありがたい。
愛衣に感謝の言葉を述べようとした時、再び彼女がメッセージを読み上げた。
「『一つだけお願いシマス。ブラザーには、当日会うまでミーの動画を一本たりとも見せないでクダサイ。チャンネルもダメデスカラネ』」
……俺は疑問符を浮かべる羽目になった。
誤解を恐れずに言えば、ゲーム実況者ってのは動画の再生数を金に換えて生活しているようなもんだ。だからチャンネル登録者数や動画の再生数を稼げるチャンスには目がないはずだ。なのに、動画を見せるなって?
「『うむ、わかったのだ』」
「お、おい、愛衣!」
慌てて呼びかけると、愛衣はこちらを向いて首を傾げた。
「なんなのだ、兄ちゃん」
「いや、できればその理由を訊いてほしいんだが……」
「……うーん、それはイヤなのだ」
「なっ、なんで!?」
問い詰める俺に、愛衣は目を逸らし頬をぽりぽりと軽く掻いた。
「その理由が、なんとなくわかるからなのだ」
「えっ、ちょ、わかってんなら教えてくれよ!」
縋るように訊くも、愛衣は取り付く島もなく首を横に振る。
「いくら兄ちゃんでも、友達の秘密を勝手に漏らしたくはないのだ」
「どうしてもダメか?」
「ダメなのだ」
「どうしてものどうしても?」
「どうしてものどうしてもなのだ」
「ヒントとか、手掛かりは?」
「ダメなのだ。アタシからは何も教えられないのだ」
「せめてさ、どんな人か教えてくれないか?」
「んー……オセロみたいな人なのだ」
俺の頭に某劇作家の同題作品が思い浮かぶ。
「ツボとか買わされるタイプか」
「どっちかっていうと、売る方なのだ」
「それじゃあ、オセロっていうよりはイアーゴーだな」
「……兄ちゃんは何を言ってるのだ?」
愛衣が何かを言っていたが、それよりも俺は今度会う実況者のイメージを膨らませるのに忙しかった。
「上手く丸め込まれないように、用心していかないとな……」
「確かにちょっと変わった人だけど、そこまで警戒する必要はないと思うぞ」
「いいか、愛衣。社会ってのは、学校以上に多くの大人っていうクソッたれな生き物が抜港してるんだ。だからいくら臆病って罵られようとも、敵地に侵入したスパイ並みの警戒心を常に持っておくべきなんだ。よく肝に銘じておけ」
「じゃあ、段ボール箱を常に持ち歩くべきなのだ?」
近くにあった箱を逆さまに被る愛衣。
「むっ、今誰かいたような気がするぞ」
小芝居じみたリアクションで、銃を持ち巡回するフリをする。
段ボール箱の傍をゆっくりした足取りで通り過ぎると、カタカタと背後で段ボール箱に入った愛衣が動く音がした。
俺はごっこ遊びを続け、わざと愛衣の方を見ずに前進を続ける。
後ろで微かな音がするも、決して振り返らない。役になり切っているのだ。
「B―14地点、異常なしっすよ」
無線機で話している体で俺は声に出して言う。
「定時連絡ご苦労。引き続き持ち場にて監視にあたれ」
「わかったっす」
下っ端じみた間抜け声で答えると、「ピュウン」と愛衣の擬音語で通信が切れる。
すぐに「ピギィンッ」と新たな口頭電子音が鳴り、成人男性を声帯模写した愛衣から連絡が来る。
「こちら、スネール。例のデータを発見した」
……スネールって、カタツムリとか巻貝のことだよな? まあ、ある意味間違っちゃいないが……。
「データCの中身を口頭で報告する」
スパイ役の愛衣に、俺は上官の口調で応答する。
「うむ。手早く報告せよ」
「了解。一件目は……『俺が女子S学生になって百合エ×チするまで』。どうやら電子書籍のようだ。表紙には小さくて可愛らしい女の子が描かれている」
「ほう……って、え?」
思わず素に戻り振り返ると、パソコンの前に陣取った愛衣が相も変わらず低めの作り声で続ける。
「他には『女体化トリップ』『TS悪堕ちメモリーズ』『江戸性転奇譚~憧れの吉原で女の悦びを知る~』……」
「やめろぉおおおおおッ、やめてくれぇえええええええええええッ!!」
羞恥メーターぶっ壊れレベルの精神的ダメージに俺は床をゴロゴロ転がり壁に頭を打ち付け身悶え叫んだ。
「……アタシは別に兄ちゃんがどんな性癖を持ってても、大好きだぞ?」
「せっかくエロ本とエロゲー箱を全部捨てて電子書籍とダウンロード版に買い替えたのにぃいいいいいッ!」
「あの、そこまで訊いてないぞ……」
「俺は……、もう俺は死ぬぅ~!」
「わわっ、早まったらダメなのだーッ!」
窓から身を乗り出し、飛び出そうと思った俺に愛衣が飛びついてくる。――が前に体重がかかってしまい、逆に俺は外に押し出されてしまう。
視界が真っ暗な夜空から遥か彼方の眼下の固いアスファルトの地面へ一瞬の内に変わり、身体が凄まじい重力の引力のGの……。
「うぉおおおおおッ、七階たけぇっ! 死ぬっ、怖いッッ、やだやだやだぁあああああああああああッッッッ!」
「ちょっ、暴れちゃダメなのだ、引っ張り上げられないのだー!!」
かくして俺の性的願望はCドライブに秘められていた動かしがたい大量のエビデンスが明るみに出たことで、妹の知るところとなった。
それからの共同生活がずいぶん気まずいことになったのは言うまでもない。
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【次回予告!】
愛衣「兄ちゃーん!」
生流「おっ、愛衣。どうしたんだ?」
愛衣「今、お腹空いてるか?」
生流「んー、ちょっと小腹が空いてるな」
愛衣「ちょうどよかったのだ! じゃっじゃーん、クッキーを焼いてきたのだぞ!!」
生流「おおっ、美味そう! 次回予告が終わったら食べさせてもらうな」
愛衣「頑張るのだ、兄ちゃん!」
生流「次回、『2章 ゲーム一本槍だった俺、キスの味を知る その1』!」
愛衣「お疲れ様なのだ。はい、あーん」
生流「い、いや、さすがにそれは恥ずか……むぐっ!?」
愛衣「たくさんあるから、どんどん食べてほしいのだー!」
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