1章 元プロゲーマーの俺、ゲーム実況者を始める その2

「兄ちゃん、ご飯できたぞー」

 一人きりで日本に帰ってきて、一ヶ月経った。

 俺は実家に帰る気も起きず、都会で一人暮らしをしている妹のマンションに転がり込んでいた。


「おお、いつもサンキューな」

 俺は読みかけの本に栞を挟んで居間に向かった。

 日に焼けた黒髪ツインテールの妹が台所から箸を持ってやってくる。


「今日は柚子うどんだぞ! さっぱりした舌触りと芳醇で爽やかな柚子の香り、それでいて身体の内からホカホカ! まさに一石三鳥なのだ、鶏肉も入っているしな!!」

「ああ、確かに美味そうだな」

 食卓にはうどんの入ったデカい器が二杯あった。湯気立ち柚子香るそれは、いやおうなしに空腹を刺激してくる。


 妹の愛衣(あい)は一人暮らし歴が長いだけあって、自炊をマスターしていた。

 こうしてほぼ一文無しの兄に料理を振る舞ってくれるうえに、元々大食らいということもあって量も申し分ない。まったくありがたい限りだった。


「コラ、食べる前にはちゃんと手を合わせて『いただきます』だぞ」

「ああ、はいはい」

 まあ、礼儀作法にうるさいのは玉に瑕だが、この程度のことで文句を言っていては罰が当たる。俺は素直に指示に従い、箸を手に取った。

 麺を箸でつまみ、一啜り。

 熱々の麺に、仄かに香る柚子。噛みごたえももっちりしていて、じゅわりと絡んだ汁が口の中に広がる。


「やっぱり愛衣の料理は美味いな」

「ふふん、ふぉうふぁふぉふぉうふぁふぉ」

「……口の中にものを入れながら話すなよ」

 我が妹は礼儀にうるさいが、ひとたび食にありつくなり作法なるものを喪失する。金は人を変えると言うが、食い物も十分同等の魔力を有しているということだろう。

 愛衣は頷き膨らんだ頬のものを蛇のごとく飲みこもうとするが、いかんせん量が多すぎたのだろう、途端に「ごっほごっほ、むごっほ」と咳き込み始める。


「ったく、仕方ないヤツだな」

 俺は席を立ち、愛衣の所まで行って背中を撫でてやった。

「……ごほ、ごほっ……。うう、ありがとうなのだ、兄ちゃん」

「まあ、世話になりきりだし、これぐらいはお安いご用だ」

「じゃあ、今日は一緒に寝てくれるか!?」

「それとこれとは話が別だ」

「うう、いけずなのだ……」


 俺はしょぼんぬした愛衣の頭をぽむぽむしてやった後、席に戻った。

 レンゲを手に取り、汁をすくって口に含む。心地よい熱が口内からじんわりと広がっていき、クーラーで冷えた体をぽかぽかと温めてくれた。


「やっぱり日本食はいいな」

「でも兄ちゃん、昨日はカレーを美味いって言ってたぞ」

「日本のカレーは実質、日本食だろ?」

「その前の日は、麻婆豆腐に舌鼓だったぞ」

「材料は日本産でそろえてたから、実質日本料理だ」

 余談だが材料について知っているのは俺が買い物に行ったからである。

「なるほど、言われてみればそうだな!」

 目から鱗って感じで、手の平にぽんと軽く拳を打つ懐かしポーズの愛衣。

 我が妹は記憶力はいいが、思考力に不安を覚える時がある。まあ、そういう所も可愛いと言えなくもないが。


「ところで、大学の方はどうだ?」

「うーん」

 急に愛衣は元気をなくし、唸りだした。

「みんなあまり、熱心じゃなくて面白くないぞ」

「ふうん? っていうか、お前の学校って何やってたっけ?」

「それ忘れてたのに訊いてきたのか?」

「悪い。度忘れした」

 まったく兄ちゃんはと苦笑いされてしまった。


「アタシの学校は、漫画とかアニメとか、ゲームみたいなものの学校だぞ」

「へえ。オタク系クリエイターか」

「まあ、ミノフィルターもなく言えばそんな感じだな」

「身も蓋も、な」

 テヘと頭に拳をこつんとやる愛衣。他のヤツならともかく、我が妹はぶりっ子っぽいことをやってもチャーミングにしかならない。つまり可愛い。

 ちなみにミノとは牛の四つある胃の内、最初のもの。こぶ胃のことだ。


「で、愛衣は何を学んでるんだ?」

「動画系だぞ」

「動画系っていうと、ムートゥーバーか?」

「それだけじゃないぞ。現在だけじゃなく、将来的なビジネスマーケティングな視点から必要とされるスキルを教授してくれるんだぞ」

「どういうことだ?」

「たとえば、何かの分野に特化した動画サイトが流行る時代が到来するって予想されているぞ」

 俺は細かなネギを箸でつまみ、口に放り込んだ。シャリシャリと歯ですり潰すのが地味に楽しい。

「何かの分野って言うと、料理専門のとか?」


「まあ、そうだな。でも一番最初に来る波は、ゲームって言われてるぞ。……あ」

 愛衣は慌てて口を手で押さえ、眉尻を下げる。

「どうした?」

「その……、兄ちゃん、プロゲーマー辞めさせられたから……」

「……ん?」

「ゲームの話、されるのイヤなんじゃないかって……」

 しょぼくれる姿に、俺は我ながら情けなくなった。まったく、妹にこうも気を遣わせるなんて、兄ちゃん失格じゃないか。


「いや、確かに最近お前の前でゲームしてないけど、別に嫌いになったわけじゃないぞ? ソシャゲとかはやってるしな」

「そ、そうなのか……?」

「ああ。だから気にしないで、話してくれないか?」

 こちらの様子を窺うように上目遣いに見てきた後、再び愛衣は口を開いた。


「ゲーム係の動画サイトは以前から結構あったのだ。そのほとんどがゲーム実況をメインに据えたものだったけど、どれもムートゥーブの影から出るぐらい人気にはなれなかったのだ」

「まあ、あのサイトは快適なうえに収益化もしやすいからな。プロゲーマーやってた時も片手間に使ってたし」

「でも最近になってソーシャルゲームとゲーム配信専門アプリが提携したり、ムートゥーブ以外の所が徐々に頭角を現してきたのだ。他にもエンスタが動画投稿専用のSNSを出してきたり、音楽とショートムービーを組み合わせたピック・トップが流行したりと色々な所で変革の兆候が出てきているんだぞ」


 収益化の話を聞いている内に、俺はぼんやりと益体もないことを考え始めていた。

 もしも『エデン』が動画や配信サイトで十分な収益が得られていれば、スポンサーに頼らず活動できるようになっていたかもしれない。俺もプロゲーマーを辞めず、今もハルネ達と一緒にゲームをできていた……そんな未来もあったのだろうか。


「……兄ちゃん?」

 愛衣に呼ばれ、ふと我に返った。

「あっ、ああ、すまん。ちょっと考え事してた」

「謝らないで、いいのだ。兄ちゃんの気持ちは、わかってるから……」

 しゅんと落ち込む愛衣を見て、罪悪感に胸がチクリと痛んだ。


 重い空気を取っ払うため、慌てて話題を変えた。

「愛衣は動画を学んでるんだろ? だったら、ムートゥーバーを目指してるのか?」

 質問を向けると、愛衣はちょっと思案気に天井を仰いだ。

「うーん。最初はそうだったけど、今は3Dモデルを作るのが楽しくなってきたぞ」

「3Dモデルっていうと、Vトゥーバーか?」

「アタシは演じるより、作る方が楽しいぞ。兄ちゃんもVトゥーバーに興味があるならモデルを作ってあげるぞ? 割安で」

 最後の一言に俺は苦笑した。


「飯はタダでも、モデルは有料なのか」

「職にしたいと思ってるからな。プロとしての自負なのだ」

 我が妹ながらしっかりしている。多分、俺より社会への適応力は高いだろう。

「職といえば、兄ちゃん次の仕事はどうするんだ?」

「……Vトゥーバーもいいかもな」

「あっはっは。仕事嫌いは相変わらずだな!」

 思い出してしまった社会の重圧に、俺は付き合いで笑うこともできなかった。


「もしも仕事が見つからなかったら、アタシが兄ちゃんを養ってやるぞ! これでニートでも安心だな!!」

「いや、妹に養ってもらうってのはさすがに外聞が……。それにいつか愛衣に恋人ができたら……」

「大丈夫だぞ。兄ちゃんのことも好きになってくれる人しか選ばないからな」

 曇りない笑顔に、俺は目を射抜かれた。太陽神か、コイツは。

 どうにかして金を稼がなくちゃマズいという焦燥感が心に芽生える。このまままじゃ妹のすねをかじって生きていくことを考えてしまいそうだ。


「……Vトゥーバーは置いておくとして、ムートゥーバーになって収益するのはありかもしれないな」

「兄ちゃん、プロゲーマーしてたしな」

「元プロゲーマーって肩書きがどれほど通用するかは未知数だが、試してみる価値はあるよな?」

「そうだな、応援してるぞ」

 可愛い妹に励まされ、少し元気が出てきた。

「よし、やってみるか!」

「おうっ、頑張れ兄ちゃんッ!」

 かくして俺のムートゥーバー活動が始まった。


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【次回予告!】


乙乙乙「……ゲーム実況者って、儲(もう)かる?」

生流「メタ空間だからって、ぶっちゃけたこと訊くなあ……」

乙乙乙「うん……。それで……どう?」

生流「人による、としか言えないな。でも副業の中でも手軽にできるし、好きなゲームをしながら稼(かせ)げるんだから、夢があるぞ」

乙乙乙「……せーりゅーは、稼げてる?」


生流「……次回、『1章 元プロゲーマーの俺、ゲーム実況者を始める その3』」


乙乙乙「……ねえ、なんで……目を逸らす、の?」

生流「あっ、愛衣が呼んでる! じゃあな!」

乙乙乙「……行っちゃった」

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