1章 元プロゲーマーの俺、ゲーム実況者を始める その1
胸に銅メダルをぶら下げ、俺達は控え室に戻っている。
チームメイトの顔は一様に暗い。大会が終わってからまだ誰一人、一言も言葉を発していない。さながらお通夜のような空気が流れている。
三位という順位なら、他の種目なら胸を張って表彰台に登ることができるだろう。そう考えれば決して低いものではないのだが、プロゲーマーの世界では敗北とほぼ同義だった。
ぴんと来ないなら、今大会の賞金で比べてみればいい。
一位は三百万ドル、三位は八万ドル。日本円に直すと三億円と八百万円だ。
優勝するかしないかで、生涯収入か平均給料二ヶ月分かの差が生じる。
敗北が決してから、ずっと奈落の底にいるような気持ちだった。廊下を歩いている今も底なし沼に入り込んでしまったように、足が重い。
控え室に着いてパイプ椅子に腰かけても、暗澹たる思いは晴れなかった。
椅子に崩れるようにもたれている、オレンジに染髪した見るからにギャルっぽい女は万路佳代(まんじかよ)。机上に組んだ腕に顎を載せぼんやりしている寝ぼけ眼の少女は稲牟里乙乙乙(いねむりおつみ)。二人共普段通りの覇気がなく、見るからに気落ちしていた。
「じゃあ、ミーティングを始めるよ」
コピーボードの前に立った背の低い女の子、草土(そうど)ハルネが言った。トレードマークの緑の巻き毛は、ヘッドフォンをつけていたせいでぺたんこになっていた。
ハルネの声や表情にもやはり陰りがあった。それでも無理に笑みを作って、少しでも場を明るくしようとしてくれている。それが却って、胸を苦しくさせる。
「まず、今日の反省点だけど……」
「みんなっ、すまんッ!」
勢いよく立ち上がり、俺は深く頭を下げた。
しばしの沈黙の後、ハルネが戸惑い気に尋ねてきた。
「どっ、どうしたの、急に?」
「今日の戦犯は、どう考えても俺だ。優勝できなかった責任は、全部俺にある」
謝罪してすぐ、佳代と乙乙乙が労るように言ってくれた。
「そんなことないっしょ。今回負けちゃったのは、実力が足りてなかっただけだって」
「……責任を全部、一人で背負い込む必要は……ない」
心からの慰めだってわかるから、余計に辛かった。視界がじわりと霞んでくる。それを奥歯を噛みしめて、どうにか耐えた。
「だけど、俺、俺ッ……」
「生流おにぃたま」
間近で声がしたと思ったら、ふわっと顔が包みこまれた。
細い腕と胸の、温かな感触に。
まだ膨らみの乏しい左胸には、チームのエンブレムである切れ目から赤い液体を流した青い林檎があった。
「辛い時は、泣いてもいいんだよ」
その一言で、せき止めていたものが一気に溢れ出した。
「ッ……ううっ」
火照った頬を冷たい雫が流れていく。
「よーしよし、よく頑張ったね」
ハルネは俺の頭を小さな手でそっと撫でてくれた。
ふいにドアを軽くノックする音が聞こえた。
慌てて俺はハルネの胸から顔を上げ、涙を拭いた。
少ししてドアが開き、ゆったりとした足取りで一人の女性が入ってきた。
艶やかな黒髪ロングで、本格的な着物を自然と着こなしている、まつ毛の長い女性だ。
「あっ、コーチ!」
「みんな、お疲れやす」
コーチこと鳳来院真古都(ほうらいいんまこと)はねぎらいの言葉と共に、軽く小首を傾げて扇子を顎にやり微笑んだ。
俺達も口々に「「「「お疲れ」だよ」ーっす」……」と返した。礼儀なんてありゃしない、スポーツ選手どころか社会人としても落第点ものの挨拶だ。でもこれが俺達のスタイルだった。
コーチである真古都も締まらない空気には触れず、本題に入った。
「今日の試合は結果こそ残念やったけど、個々の実力の伸びが感じられるええ内容やった。ちゃんとした反省会はホテルに帰ってからリプレイ動画を見つつするとして……」
言葉を切ってから短くない時が過ぎた。ふいに真古都はおもむろに固く目をつぶり、眉間に深いしわを寄せた。
俺達は顔を見合わせて互いに首を傾げた。
「どうしたの、コーチ?」
ハルネが訊き、ようやく真古都は目を開いて首を振った。
「……いやな」
しばし視線を彷徨わせた後、彼女は意を決したように真剣な表情になって俺の方を見た。
「……田斎丹(たさいに)はん」
「おっ、おう」
改まった物言いに、背筋がぴんと伸びた。最初は決勝での失態を注意されるのかと思ったが、どうも様子がおかしい。ただ怒るとか、そういう次元の話じゃないような気がする。
重々しく真古都は口を開く。
「あんたを、契約解除することになった」
「……え?」
耳を疑った。
世界中の時が止まり、この空間だけが取り残されたかのように場が静まる。
俺は薄い空気の中、どうにか声を出した。
「は、ははっ。冗談だろ?」
「……残念やけど」
俯く真古都。その沈鬱な表情は、冗談を言っているようなものではなかった。
「……どうしてッ!? どうしてっ、生流っちがッ!?」
佳代が叫んだのを皮切りに、他のみんなも俺のために声を上げてくれる。
「そうだよっ! 生流おにぃたまがやめなくちゃいけないなんて、おかしいよ!!」
「……せーりゅぅがいなくなるの、やだ……絶対に」
抗議の声を受け、真古都は目を逸らして唇を噛んだ。
その顔を見て俺は真相を悟った。
「もしかして、スポンサーが?」
真古都は弱々しく頷いた。
「そや。田斎丹はんとは契約解除しろ言うてきはったんや」
苦虫を噛み潰したような表情で佳代が訊く。
「まさか、今日優勝できなかったのが生流っちのせいとか言ってんの?」
「お偉いはんは『上司の命令を聞けないような従業員を雇うな』って……」
「何それ……。生流おにぃたまは仲間だよ? そんなよくわかんない関係じゃないよ」
ハルネが涙ながらに訴えても、真古都は首を振る。
「いくら抗議しても無駄やった。聞く耳を持ってくれへんのや」
「……そんな無茶苦茶な要求……無視すればいい」
「無理や。もし断ったら、支援金を打ち切るって……」
その一言に俺達は口をつぐんだ。
プロゲーマーにとって、活動資金は生命線だ。特にスポンサーからの支援金は安定した収入になるので誰もが喉から手が出るほどに欲しがる。
自力で稼ぐ方法もいくつかある。大会の賞金、パートナープログラムによる動画投稿や生配信での視聴者ファンディング、イベントの出演料などだ。しかし今の『エデン』にはまだスポンサーの支援金が必要なぐらい、財政難だった。
「……もしも、この大会で優勝できとったら」
真古都の呟きが俺の胸に突き刺さった。
「スポンサーの代わりなんて、いくらでもみつかった、か……」
日本は海外に比べて、未だにeスポーツへの関心が薄い。
だから国内で支援者を探すのはかなり難しく、『エデン』はその相手を選り好みできる状況ではなかった。
俺はTシャツのど真ん中にデカデカとプリントされたスポンサーのロゴを睨みやった。
真古都はこちらを見やり、無感情な声で続ける。
「それに指導者として観戦しとっても、田斎丹はんが草土はんの指示を無視して執った行動は、目に余るものやった」
ハルネは息をのんで真古都に問うた。
「もしかしてコーチは、生流おにぃたまの契約解除に賛成だっていうの!?」
「……田斎丹はんの代わりを探すんは困難だとしても、いないわけやあらへん」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
このチームで、俺以外の人間がみんなと活動している。
想像した途端に、眩暈みたいなものを感じ足がふらついた。
「そんなのっ、あり得ないよッ!」
真っ先にハルネが否定してくれて、他のみんなも同様に声を上げてくれた。
「……薄情すぎる。せーりゅぅは……今まで一緒に戦ってきた、仲間」
「おつっちの言う通りだよ! 『エデン』はこの四人……ううん、五人そろってこそのチームじゃん! 生流っちを他の誰かに代えるなんて、そんなのイヤだッ!!」
みんなの思いは嬉しかった。
だが俺は薄々、真古都の思いもわかってきていた。
ここで俺が『エデン』に残る選択をしても、彼女はそれを否定するようなことはしない。憂いの色を浮かべた瞳を見れば、それぐらいわかる。
にもかかわらずこうして突き放すようなことを言ってくるのは、真古都からの遠回しな覚悟の確認だ。
『田斎丹はんには自分の身勝手でみんなを無用な試練に引き込んでも耐えられる覚悟があるんか?』と。
スポンサーとの契約を断ち切れば当然、金銭面での不都合が出てくる。
一つの大会に出るだけで交通費、宿泊費、参加費などの出費がかさむ。拠点であるゲーミングハウスの維持費、普段の生活費もバカにならない。
加えて選手一人のために一方的にスポンサーを切ったとなれば、信用面にも悪い影響が出てくる。そんな恩を仇で返すような団体に支援しようとしてくれるヤツなんているだろうか?
前のスポンサーが横暴な要求をしてきたのだと言っても、世間は耳を貸してはくれないだろう。収入源であるイベント出演とかにも悪影響が及ぶ可能性がある。
バイトをするという選択肢もある。しかしそれによって削られた練習時間は、実力の低下に繋がる。eスポーツチームの選手が活動費工面のせいで、肝心要のゲームのプレイング技術が落ちたってなりゃ、そりゃ本末転倒だ。笑い話にもならない。
俺がいることで、『エデン』の存続は危うくなる。今まで積み上げてきたものが崩れてしまう可能性だってある。
それでもなおここに残るのか。逆境の中で戦っていく決心はできているのか。
真古都は思いを推し量るよう、ゆっくりとした調子で問うてきた。
「……みんなはこう言ってくれはってるけど。田斎丹はんは、どうしたいんや?」
「俺は……」
ぐるっとハルネ達を見回した。
誰もが俺が残るのを望んでいた。大切な仲間だから、これからも一緒にいることを願ってくれていた。
俺だってみんなのことが大事だ。ずっと『エデン』で戦ってきた仲間だということもあるが、それ以上に親友として大好きだった。
だからこそ、自分一人のせいで茨の道を歩ませるなんて……できるはずがない。
「俺は『エデン』を……脱退する」
悲鳴のような声が周りから上がった。
「うっ、嘘でしょ!?」
「……せー……りゅぅ」
みんなが悲しみに狼狽える中、涙を瞳に湛えたハルネが必死に訴えてくる。
「どうしてっ……、どうしてそんな簡単に諦めるの!?」
「ハルネ……」
「生流おにぃたまはプロゲーマーなんだよっ!? 逆境の時こそ、踏ん張んなくちゃダメじゃんッ!!」
「でもっ、俺がいたらスポンサーがいなくなるっ……、ハルネ達がプロとして活動できなくなるんだぞッ!?」
「それでもいいよッ!」
間髪入れぬ鬼気迫った反駁に、俺は言葉を失った。
「……生流おにぃたまがいなくなる方が、もっと……イヤだもん」
零れ落ちる涙がまるで傷口に沁みてくるように、胸が痛い。
だけどこの小さな女の子の未来を閉ざす方が、俺にはもっと……。
唇を噛みしめ、乱暴にユニフォームを脱いだ。
みんなの見開いた目が、視線が……、心を締め付けてくる。
それ等を振り切り、俺は今まで身に纏っていたチームメイトとしての証を真古都に突き出した。
「……返すよ。もう、俺には必要ない」
真古都はユニフォームから床へと視線を落とし、沈んだ声で言った。
「……田斎丹はんの意思は受け入れます。でもそれは持っていき」
「どうして?」
「記念とか、餞別やとでも思うておいて」
「……わかった」
俺は自分のバッグにユニフォームをしまい、代わりの服を着た。
「生流おにぃたま……本当に、やめちゃうの?」
すがってくるハルネの涙声に迷いが芽生えかける。だが奥歯を噛みしめどうにか躊躇を断ち切り、俺は頷いた。
「ああ。俺のせいで、みんなに迷惑をかけるわけにはいかないからな」
「……生流おにぃたまが辞めるなら、ハルネだって……」
「それはダメだ!」
とっさに俺はハルネの両肩をつかみ、叫んでいた。
驚きに身を竦ませる彼女に、声を落ち着けて言い聞かせる。
「ハルネは『エデン』に残るんだ」
「でも、でもっ……! ハルネがプロゲーマーになったのはっ、生流おにぃたまに憧れたからだもん!! 生流おにぃたまがいなくなったチームなんて……」
涙に濡れた黄色い瞳を見据え、俺は力を込めて言った。
「大丈夫だ。もうお前は、俺より強い。チームのリーダーを任せられるぐらいにな」
「そうじゃないよ。ハルネが生流おにぃたまにいてほしいのは……」
「それに、俺はハルネが活躍する姿を見ていたいんだ。ゲームの腕で世界中の猛者と戦っているお前を応援したいんだよ」
唇を噛み、瞳を潤ませてハルネは頷いた。
「……う、うんっ」
「よし、約束だぞ」
ハルネの頭を軽く撫でてやると、彼女は涙目ながらもしっかりと頷いてくれた。
俺はバッグを手に、後ろ髪を引かれるような思いながらも、ハルネの横を通り過ぎた。
一歩進むたびにドアが近づいてくる。ここを通り、部屋を出たら本当に俺は『エデン』から抜けたことになってしまう。
辛いとか悲しいとかはあまり感じない。それ以前に、実感がないのだ。当たり前のようにあった自分の居場所がたった今から急になくなるということが。卒業みたいなものだろうか?
ただ少なくとも、ハルネ達と会うことが難しくなるのは確かだ。その事実だけが身を切られるように辛い。
ノブに触れると、ひやりと冷たい感触がした。思わず手を離しかけるぐらいに。
「……田斎丹はん」
真古都の小さな声に足を止め、俺は振り返った。
彼女はしばし机の板面を指で叩いた後、言った。
「選手は無理でも、コーチやマネージャーとしてなら、残留させてもらえるように掛け合うことができる……かもしれへん」
聞いた途端、ふわりと体が軽くなる感覚を覚えた。
だが同時に思い知った。
俺はプロゲーマーでありたいのではなく、ただ『エデン』にいたいだけなのだと。
「本当!?」
ハルネや他のみんなは表情を明るくしている。
真古都は机上の手をぎゅっと握りしめて、訊いてきた。
「それじゃあ、あかん?」
その目は何かを恐れるような、少女のものみたいだった。
期待するような眼差しが俺の一身に集まる。
足が床に根を張ったように、動かない。頭の中をぐるぐると迷いが巡る。
走馬灯のように今までの記憶が蘇る。
ハルネ達と練習し、時には遊び、そして大会で共に戦った日々。
そこにいる俺は、プロゲーマーとしての俺だ。
別の何者かになっても、みんなはその俺を受け入れてくれるだろう。
だけどここに残るということは、俺とは違う別の誰かが入ったハルネ達の新チームを受け入れなくちゃいけない。俺の代わりをする他のヤツを間近で眺めていなくちゃいけないのだ。
そんなの、耐えられそうにない。耐えられるわけがない。
「ここにいたら迷いが残る。だから、引き留めないでくれ」
「……そう。ごめん」
真古都達は悲しそうに項垂れた。
俺はそんなみんなの姿を見ていられず、早足で外に出た。
ノブを回す手にも、躊躇はなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【次回予告!】
真古都「田斎丹はんには妹はんがおるんやろ?」
生流「ああ、めっちゃ可愛いんだ!」
真古都「シスコンやねえ」
生流「明るくて素直で、きれい好き。家事全般も完ぺきにこなす。こんな妹がいて惚れない兄がいるだろうか!?」
真古都「そ、そうやな」
生流「次回、『1章 元プロゲーマーの俺、ゲーム実況者を始める その2』」
真古都「田斎丹はんの妹の登場やて」
生流「お楽しみに!」
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