第32話 救わないもの

 バルコニーの向こうに見える、遠くの山が黒く染まっていた。

 噴火した後のような真っ黒な煙が大きく立ち昇り、蒼い空を汚していく。

 モクモク上がる煙には、土の汚れだけではありえない漆黒の色が混ざっていた。


 地響きと共に煙の量が増していき、より深く、濃い闇に染まり続ける。

 世界の全てを蹂躙するような煙を産みだす何かが、闇黒の奥に薄く見えた。

 山の奥で、黒煙よりもなお濃密な影が地響きを立てて暴れ狂っている。


 蜃気楼じみた大きな気配が、黒い煙を揺らして目を惑わせた。


GRRRrrrrrrrrグルルルルッ.....」


 鈍い咆哮音が響き、巨大な影の周囲の煙を散らしていく。

 影の体から、山を覆い隠せるほどに雄大な二対の翼が広がった。

 冗談のような大きさの、翼を持つトカゲのシルエットが煙の中に現れた。


 威圧してくる恐ろしい影が風を吸い込み、一瞬、より大きく膨らんで見えた。

 視界を阻む全ての煙を散らす威風が、風を溜めた影の口から解き放たれた。


GRAAAAGHグラァア"ア"ッ‼」


 体の芯まで響く、破滅的な音が轟いた。

 音と同時に煙が散り去り、中にいた存在の姿をあらわにする。

 臓物をぶちまけたような、不快な黒い肉塊が煙の中から出現した。


 腐肉の塊じみたそれは、ぶよぶよとした黒い人面を全身に張り付かせた化け物。

 闇を吸い、肉を奪われ、残骸と成り果てて動く、かつて竜だったモノがいた。


 ……うーん。キモい! 穴だらけの腐竜? ゾンビな感じの黒いドラゴンだな。

 グォァアーって感じの威勢のいい叫び声を上げておられる。

 元気があって大変結構だが、とても、やかましい。

 体から黒い煙を吹き上げて、周囲一帯の鳥獣どもを汚染しているみたいだな。

 バッサバッサと羽ばたく黒い鳥の群れが、こっちに向かって来てるのが見える。


 部屋から出て見物していた連中は、倒れてたり、膝をついて震えあがっていた。

 マトモに立って見てるのは、リエルさんぐらいだな。


「なんだアレ。どうなってんの? リエルー、解説たのむー」


「魔物になっちゃった、おかーさんだよ? もう限界だったのー」


 そっかー、限界突破しちゃったかー。

 家より大きそうな口を開けて、楽しそうに吠えてらっしゃる。

 咆哮を喰らっても起きてる連中の、絶望してる感情が心地いいなー。

 リエルさんは流れ込んでくる感情を喰らって笑ってる。美味しそうですね。

 しかし、あの化け物……こっちに向かって来てるな、どうすんだアレ?


「どうにもできないよー! じゃあ、戻ろっかー?」


 リエルさんが、ニッコリと微笑みながら俺の中に戻ろうとしている。

 ズブズブと俺の中に入ってきそうになったので、押しとどめてみた。


「ちょっと待て、待て。アレ放置していいのか?」


「そうしよー? 面倒だから放っておいて、帰って遊ぼー?」


 リエルさんが諦めてらっしゃる。

 ……ふむ。考える余地はないな。


「まー、そーだなー。怪獣退治とか不可能だよなー。んじゃ、帰ろっかー」


 リエルを掴む手を離して戻ろうとすると、横から手が伸ばされて止められた。


「逃がさないよ……マジメにやってよ……ッ!」


 竜の咆哮を喰らって、震えているウノちゃんが引き留めてきた。

 

「あーそっかー。ウノちゃんも一緒に帰してやらないとダメだぞーリエルー?」


「そっかー。ゴメンねー? 先に帰してあげるねー」


 いやー危ない所だったな。うっかりする所だったぜ。


「じゃ帰ろうか! 任せたぞー、リエルー。魂の線をぶっこ抜いてあげてー」


「わかったー!」

 

 リエルが、凶悪に光るカギ爪をウノちゃんの中に突き入れようと手を伸ばした。


「そっちじゃないよ!? 世界を救わないとダメでしょ!?」


「あれ? まだ洗脳の影響が抜けてねえのかな? リエルー、治してあげてー?」


「うーん? どーすれば、治せるのかなー?」


 こーかな? こっちかな? とリエルが呟いて、ウノちゃんの中をまさぐった。


「ちょ……っとっ! やめてよリエル! 世界を救いたくないの!?」


「えー? 面倒だよー? どうでもいいよねー、アヤトー?」


「そうだなー。すごくどうでもいいなー、もう帰って遊びてぇよ、俺」


 特に未練とかねぇしな、うん。大体把握できたし、もういいだろ?

 やる気なく答えてやったら、ウノちゃんの顔が赤くなって震えだした。

 大変だな。熱でもあるのかな?


「こっの……っ! 人の心が無いのっ! 放っておいたら、皆が死んじゃうよ!」


「わたし、人じゃないよー?」


「俺は心が壊れて混じってるらしいなー。俺は人なのかなー?」


 ウノちゃんが怒って頭を殴りつけてきた。とても痛ーい!

 クソッ……同じ材質だからか、ダメージを受けちまうぜ。

 これで痛いんだから、もっと強そうなママ竜の末路と戦えるワケねぇだろ。

 迫ってくる黒い連中を眺めて諦めていると、ウノちゃんが語りだした。


「あたしも来たばかりでワケ分からないけど……あれを無視しちゃダメだよ……」


 泣きそうな声ですがりついてきた。困ったな。非常に面倒くさいぞ。


「あー、ゴメンゴメン。悪かったよ。スマンな。機嫌を直してくれよウノちゃん」


 反応を見て遊んではみたが、まぁ……全滅エンドは嫌かもなー。

 街中で何一つイベントをやってねぇしな。見殺しにするのは惜しい。

 ……とりあえず、うるさい音は散らしておくか。


 雲霞のように迫りくる敵陣に向かい、手を開いて突き出す。

 街にまで届いてくる咆哮音をかき消すように、空気の流れを散らしてやった。

 震えていた連中が立ち上がり、期待するような目を俺に向けてくる。


 期待されても困る。最強戦力のリエル様が諦めてるのに、どうしろと言うのだ。


「それで、どうするのー? 勝ち目はないよー? 逃げるのー?」


 そのリエルが、このふざけた状況の中で面白そうに見つめて聞いてきた。

 無駄な事せずに諦めて遊んで欲しいなー! という熱い信頼を感じるぜ。

 自己犠牲で戦ったりしたら、躊躇なく帰りそうな冷めた想いまで伝わってくる。


「ハッハー! ぶん投げてきやがったなリエル。目ぇ細めて見てんじゃねぇぞ!」


 他の連中は無視して、ただ笑顔で見てくるヤツだけを見て笑い返してやった。

 期待されてるならしゃあねぇな。やってやろうじゃねえか。あれで遊んでやる。

 ドラゴン退治なんて飽きるほどやったからな。余裕でイケルだろ。きっと。

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