第15話 モヤモヤの正体

「はぁ・・・もう、こんな時間ね」


既に二時を超え、眠気も感じ始めていた。


「そうだな・・・って、俺、朝からバイトなのすっかり忘れてた」


「え!?ご、ごめんなさい!こんな時間まで付き合わせてしまって」


変なところで律儀なメルトはまた綺麗なお辞儀をして謝罪をしてくる。


「大丈夫だよ、あんまり大変な仕事じゃないし。あ、一応、メルトは朝と昼、キッチンにあるパンとかを適当に食べておいてくれないか?」


念の為と思い買いだめておいたパンがまだあって良かった。

これからの生活で、食べ物もどうするか考えていかないとな。


「ええ、わかったわ。確か、いつも日曜日は夜まで帰ってこないのよね?」


「そうだね。さっきも言ったけど、もしかしたら夕方ごろにメルトの商品が届くかもしれないから、そうしたら受け取ってくれる?」


「任せて。確か、玄関にある判子?を押せば良いのよね」


宅配のお兄さんがメルトを見たらどう思うだろうか。

もし俺の家に来たことのある人だったら、突然金髪の謎の外国人が判子を当然のように押すんだから、驚くだけじゃ済まないだろう。


「さて、メルトの寝る場所を確保しないとな。俺は布団を用意するから、メルトは机を横にどけて、そこらへんを綺麗にしておいてくれる?」


「ん。わかったわ」


二人して立ち上がり、各々の作業に移る。

俺は間仕切りの近くにある押入れから布団を取り出すために移動。

メルトはいそいそと机を間仕切り側の角の方へと持っていき、床にあるメルトのおもちゃなどを拾っていく。


「あ・・・」


鈴のように高い声が、何かに気づいたようにあるものを大事そうに手に持つ。


「これも、もう必要ないのね」


感慨深げに呟くメルトの手には、猫だったメルトのお気に入りの白い猫じゃらし。


「これからは、人間としてまた生活できるのね・・・」


猫じゃらしを手に持ちながら、思うことがあるのだろう、しばらく立ち尽くしたまま遊んでいたオモチャをじっと見つめて動かなかった。

メルトの深海のような碧眼は、少し潤いを帯びていた。


「・・・」


ちくっ


また現れた心のモヤモヤが、メルトの手にした猫じゃらしでわかりそうだった。

俺は布団を取り出す作業をやめ、メルト同様に白いもじゃもじゃのオモチャを見つめる。


メルトの手にしている猫じゃらし。

あれは数あるオモチャの中でもメルトの一番のお気に入りだ。時たま俺の目の前に無言で持ってきて、遊べと命令したっけな。遊んでいる時は、メルトは夢中になって追いかけ回していたものだ。


そして・・・そのまま俺は角においてある猫砂が入った猫用トイレを見る。

毎日のように掃除をした。たまに猫砂が飛び散っていることもあった。固まった猫砂を足に落っことした時はつい叫んでしまったな。


次に、メルトが運んでいる机の上にある餌を入れる皿を見つめる。

帰ってきて、メルトが餌をよこせと命令してこなかった日はとても焦った。何か病気になってしまったのではと思い、母さんや猫を飼っている友人に電話したこともあった。その夜、何もなかったかのようにカリカリと餌を食べるメルトを見て本当に安心した。


最後に・・・未だ床に無造作に落ちているクッションを見る。

もともと、メルトのために買った訳ではなかった。寝そべったりする時に便利だと思い購入し、しばらく使ってたある日、メルトが器用にクッションの上で気持ち良さそうに寝ていた。その日以来、定位置に置かれたクッションの上が、彼女のお気に入りになったんだ。


この部屋には、メルトと俺の生活と思い出が詰まっている。


「・・・」


・・・そうか。


さっき、メルトとの会話中に突如内側に生まれたモヤモヤ。

二度も現れたが、俺は後でわかるだろうと追求せずにいた。

その正体が、今になってようやくわかった。



もう、今日から人間のメルトとの生活が始まって、猫のメルトとの生活は終わってしまったんだ。



あの、「ナァー」と甲高い声で鳴く彼女も、こっちに来てと手を広げても無視して餌を入れる皿のところまで行き、さっさとよこせと要求する彼女も、終わったんだ。


メルトとの新しい生活を考える中で、ふと、二年間連れ添った短毛のクールな住人が頭を横切る。

今のメルトが望まない限り、猫に戻ることはない。

元々魔術で変えられてしまった姿があのメルトだったのだし、また戻るメリットはない。

これから、メルトは今のメルトとして、元の生活を取り戻していくんだろうな。


「・・・」


猫と人間のメルトは同一の存在だ。

猫のメルトは死んだわけではなく、変身して別の姿になったにすぎない。

けれど・・・俺が二年間共に暮らしてきた家族は、自由気ままで、たまにデレる小さな姫だった。

楽しい時も、悲しい時も、家に帰るといつも玄関で待っていたメルトは、もういないのか?


「・・スケ?エイスケ?どうしたの?だ、大丈夫?」


すでに自分の世界から抜け出していたメルトが、心配そうに何度も俺の名前を呼んでいたが、この時の俺の耳には入ってこなかった。


唐突の猫のメルトとの別れに・・・俺はしばらく立ち尽くした。



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