第13話 興味関心と距離

ユニットバスにメルトが篭ってから数分が経過した。


「それで、私が人間に戻った上でのこれからの事なのだけれど・・・」


「はい・・・」


俺はヒリヒリと痛みが治らない頰を押さえていたが、何事もなかったかのように戻ってきたメルトが会話を続ける。

さっきビンタされたのは当然とでも言いたいのだろう。

すでに顔は赤くなく、白く柔らかそうな頰をしているメルトは少し声のトーンを落とす。


「私の今後の生活について、ね」


切り出した話題は、俺もこのあと機会があれば提案しようとしたものだった。

人間に戻った以上、人間としての再スタートをメルトは考えなくてはならない。


「あの・・・エイスケが、シ、シオリと別れてしまった事を承知で、本当に厚かましいと思うのだけれど・・・」


「お、おう」


メルトの口から元カノの名前が出てくるのは、みっちゃんの名前が出た時と同じ新鮮さを感じた。

もう昨日起きた衝撃の出来事が遠い昔のことのように思われる。それくらい、栞の事をあまり考える時間が今日はなかった。

考えようとはしなかった、というより、メルトの衝撃が栞の浮気の衝撃を凌駕する出来事でそちらを考える余裕なんてなかったと言った方が正しいだろう。

なんか、ごめんな栞。


「お願い・・・もう少しここに住まわせてもらっても、良いかしら?」


少し震えた声で、メルトは頭を下げる。

さっきビンタした時とは状況がまた全然異なり困惑するしかない。


金髪美女が同棲を要求したら、今までの俺だったら狼狽えて変なことばかり考えていただろう。

だけど、メルトの事情を知った今、まあそうなるだろうな、くらいで済んでしまった。


「もちろんいいよ」


多分、現在のメルトはお金も無ければ衣食住も安定しない。

俺の知る限りだと、二年以上は猫として生活していたのだから、人として帰るべき場所は日本にはないのかもしれない。

それなら、匿うのは当然だろう。


・・・そういえば、メルトの本当の家族は?


猫として何も気づかずに過ごし、思考が戻ったら二年の歳月が過ぎていたなんて、自分に置き換えたら、いや、現代社会でそのようなことが起きたらパニックどころでは済まされない。


魔女はそこらへんの価値観は違うのかもしれないが、聞いて良いのかわからないため、今はメルトのお願いに答えることにする。


「それは良いけれど、本国にも戻りたいんじゃないの?」


「・・・」


「め、メルト?」


「あ、ごめんなさい。結構、私にとっては大事な質問だったのだけれど、こうも簡単に了承されるとは思っていなくて・・・」


目をパチクリさせながら俺を見るメルト。

額には汗をかいており、結構、勇気を出して質問をしていた事を今更理解した。


逆に、ここで断る理由があるのだろうかと俺は首を傾げる。

魔女という得体のしれない存在だから?

いや、もう魔女という存在は受け入れたし。

付き合ってもない男女が同じ屋根の下で暮らすのは変?

いや、事情を踏まえた上なら、男でも女でも助けるだろ。

下心だろ?

そんな事考える余裕が今の俺にあると思うか?


「あの・・・本当にありがとう!」


律儀にぺこりと頭を下げるメルトは日本での暮らしに相当染まったのだろうか。

ヨーロッパの方では女性はお辞儀はカーテシーをするものらしいが、メルトが生まれ育った国は違うのだろうか。

まあ、ヨーロッパというのも、俺の勝手なメルトに対するイメージでしかないのだが。

そこらへんは、まだよくわからない。


「私の国には・・・今はまだ良いかな。まずは人間としての生活を取り戻さなければならないし」


「ま、それもそうかもね」


「ひとまず、人間の姿に戻れたし、また猫の姿に戻りたいと強く願わなければ戻ることはないでしょうから、まずは生活用品を買いに行きたいわね。ずっとパーカーを借りているのも、申し訳ないし」


だぼんとしたパーカーを広げて見せて、はははとメルトは苦笑いをする。

正直、とてつもなく破壊力のある格好をしているため、男としてはそのままでとか思ってしまう部分もなくはないが、メルトのためを思うなら仕方がない。


ちくっ


「?」


まただ。内側がもやっとした感じがした。

さっきも同じような感覚がしたけれど、その正体が何かわからない。

だけど、メルトの発言を聞いて、俺の中の何かが反応を示した。

とても・・・良い感じはしない。


・・・なんだ?何か、俺は気づいていないことがあるのか?


突如現れた心の内のモヤモヤが何なのかわからないが、その時もまた話していたらわかるだろうと、俺は深く考えようとせずに話を続けた。


「それが良いと思う、けど・・・。どうやって買いに行くの?流石にその格好で外は出歩けないでしょ?」


「あ・・・」


自分の格好を今一度見て、メルトの顔が赤くなり出す。

俺の前でその格好でいるのには特に恥ずかしそうではなさそうだが、流石に衆目に晒されるのはメルトにも危機感というか、羞恥を感じるようだ。


「ど、どうしよう・・・。エイスケ・・・せめて下着は買ってきてくれたり、しない?」


「ちょっと一般男子大学生にはハードル高すぎますね」


「そうよね・・・え、このままじゃ私、出歩けないじゃない」


メルトは両手で頭を抑えてどうしようか困り顔になり、みるみるうちに泣きそうな顔をしだした。

醸し出される品の良さや気高さからは想像もできないほど、この子は表情が忙しない。


・・・絶望の表情を浮かべているが、メルトは現代の便利な機能を知らないのだろうか。


「あの、メルト。ネットショップでとりあえずの服とかは買って、それから出かけるのが良いんじゃない?」


「・・・ネットショップ?」


頭を抑えるメルトの動きが止まる。

まるで初めてその存在を知ったかのような口ぶりだ。キョトンとした顔をこちらに向けている。


俺はスッと立ち上がり、机の上に置かれていたノートパソコンを持ってメルトの横に座る。

握りこぶし二つ分ほどの距離をとってみたものの、もしかして急に近づいてびっくりされなかっただろうか?


メルトを見てみると・・・急にそんなもの持ち出してどうしたの?っと、メルトはクエスチョンマークが頭の上に浮かんでいるかのような、俺の真意が分かりかねないような表情をしていた。


「ほら・・・例えば、このサイトとかで、欲しい商品を入力すれば色々出てくると思うよ」


「あ、これって・・・エイスケがよく見ているサイトじゃない・・・」


俺の横でメルトはパソコンを初めて見るかのように凝視している。

顔が非常に近い。

メルトはパソコンを触ったことがないのかもしれない。猫の時はよくキーボードの上に何度も乗ろうとしたけれど。

メルトにパソコンを貸し与えて、一人で色々と商品を購入してもらうのは難しそうだ。

ここは、一から説明した方が良さそうだな。


「ここに欲しい商品を打ち込めば、その商品のラインナップが画面上にざっと流れてくるから、その中から気に入った商品を選択して、色やサイズを確認して、購入ボタンを押せば、数日で家に届くよ」


「!?、そ、そんな便利なことが、この画面の中で?本当なの?私をからかっているんでしょ?」


「え?いや、ちょっと」


俺の説明が信じられないのか、俺の顔を覗き込むようにして嘘を付いていないか睨んでくる。

別の角度で見れば、金髪の美人が隣で俺を見つめているように思える構図。

シャワーを浴びたばかりなこともあいまってか、俺が使っているシャンプーと同じとは思えないとても良い匂いが俺の鼻をくすぐる。


「ほ、ほら!例えばあそこにまとめてあるダンボール!あれらは全部このサイトで購入した商品を届けてもらった時の外箱だ。メルトも、たまに誰かがこのダンボールを家に届けに来てくれたことを記憶しているだろう?」


俺はゴミ箱の隣に折り畳まれて積み重なっているボール紙を指差す。


「!、た、確かに・・・あったわね。そんな記憶も。じゃあ・・・本当なのね」


「も、物は試しだよ。ほら、欲しい商品名を俺が打ち込むから、とりあえず何でも良いから言ってみて」


まだ疑っているメルトは商品ページをみてもらった方が早いだろう。

メルトの顔をパソコン上に向けることができ、とりあえず一安心だ。

あんな間近で顔を合わせることが、今更ながらドキドキする。


「えっと・・・じゃあ、あの・・・下着を」


いきなり俺が隣で打ち込んで良いのか困る商品が来た。



その後・・・パソコンを使えないメルトのために俺は隣でメルトが欲しい商品を検索しては調べ、検索しては調べを繰り返し、生活必需品を購入した。

後にそのショッピングサイトを訪れた時、女性ものの商品ばかりがおすすめに上がり、たまたま友人にみられ、ひどく心配されたのはまた別の話である。


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