第5話 誓い
「ご、ごめんなさい・・・。私・・・また」
「い、いや、大丈夫だよ。俺も何か気に触ることを言ってしまったみたいだし、おあいこってことで」
元いた位置に戻った人型メルトは、これでもかというくらいに耳まで真っ赤になっていた。
良かった・・・彼女がウブな方で。
あのままブカブカのパーカー一枚という際どい格好で近づいて問い詰められたりでもしたら、なんか、危なかった。
「・・・」
「・・・」
彼女を落ち着かせ、しばし沈黙の時が流れる。
聞けば聞くほど、彼女があの猫のメルトと似ているところが少ない。
仮に、本当に仮に、猫から人間になれるとしよう。
普通だったら・・・っていうか、よくテレビや小説に出てくる、動物に変化できる能力をもった人間だったり、その逆で動物から変身させられて人間になる、というケースでは、少なくとも元の体の行動が変化した体に反映されたりして、ぎこちなくなったりしていた。
だが、目の前にいる女の子、猫から変化し、人間に「戻った」と叫んだメルトは、それに全然当てはまらない。
猫メルトと共に過ごして二年の歳月が過ぎたが、彼女が猫から逸脱した行動をしたのは見たことがない。
俺のいないときに色々やっていたと言われたらそれまでではあるけれど、どこからどう見ても「猫」そのもので、あれ?こいつ人間なんじゃね?と思ったことは一度だってありはしない。
今目の前で起きていることとフィクションを当てはめることはナンセンスだと思うけれど、それくらいしか判断材料はないんだ。
それと、寝る前に俺がイメージしたメルトと全然違うということもある。
ブルーの短毛で、鋭い眼光をした、品種でいうとロシアンブルーに近いすらりとして、クールで気ままな、我が家の頂点に君臨するメルトと目の前の子はどう見ても・・・まぁ、猫を擬人化させることが無意味だとはわかってはいるが、当てはまらない。
でも、やっぱり、あのメルトじゃない?と言われたら、すぐにそうだとも言えない。
彼女の発言だったり、先ほどから忙しい表情から、嘘など付いているようには思えない。
この子が本当にメルトなのか、はたまた違うのか。
「ねぇ、どうして君は、猫の姿になっていたの?」
色々一気に聞きたい気持ちはあるが、人はそう簡単に答えられるものではない。
この質問が他のどの質問よりも重要かどうかは、もうごっちゃごちゃの俺の頭では判断できない。
だけど、この質問は、俺にとっても、彼女にとっても絶対に重要だと思った。
「そ、それは・・・」
俺の質問に、彼女は言葉を発しようとして、止めてしまった。
多分、その質問がくることも、彼女の中ではわかっていただろうけれど、顔を険しくして俯いてしまう。
どうしたのだろうか。
「あ、あの・・・」
「きっと、エイスケ、あなたは信じてくれないかも・・・」
「ど、どういうこと?」
「・・・」
俯いて何も喋らない彼女に、俺は困惑した。
メルトの表情をのぞいてみると・・・とても、不安そうな表情をしていた。
・・・一体、何が何やら。
金髪の長い髪の先をくるくるといじるメルト・・・なのかもしれない子。
・・・もしかしたら、不安にさせているのは俺が原因なのかもしれない。
先ほどから俺は彼女にある意味振り回されっぱなしだが、彼女の言動を信じようとはしていなかった。
そんな人間に、多分とても重要な、猫になってしまった原因を語ることなんてできないかもしれない。
カリカリと、俺は頭をかく。
ハァ・・・、とため息を吐きそうになるのを失礼なので抑える。
俺は深夜にどうしてこんな思いをしなければならないんだ。
彼女に浮気され、泥酔して帰ってきて、気づいたら謎の女が乗っかっていて・・・。
もう、今日はわけのわからないことだらけだ。
だから、もう今更なんだというのだ。
「メルト」
「!、な、何、エイスケ」
初めて、人間の姿をしている彼女の名前を呼ぶと、なんだかとても驚いた表情をしていた。
俺がさっきからうじうじしているから話が進まないんだ。
ひとまず、今できることをしっかりやれ、城野英介。
例えどんな時でも、女の子にそんな表情をさせるんじゃない。
「正直言って、未だに現実を飲み込めていない自分がいるのは確かだ。学問に勤しんでいるただの大学生からしたら理解できることじゃない。でも、君が嘘を言っている様には見えないし、今は君をよく知るための時間だ」
彼女の・・・メルトの目をしっかりと見て、嘘偽りのない言葉を伝える。
多分、この子の話を聞いたとしても、理解できる内容じゃないかもしれない。
でも、目の前にいる女の子がいるということは疑いようのない事実だ。
信じることくらいならできるだろう。
だから、伝わるかどうか、信じてくれるかどうかわからないが、メルトもまずは俺を信じてみてほしい。
2年間、一緒に生活を共にした仲なら。
猫のメルトと同じ碧眼が、俺だけを見ていた。
「だから、メルト。あんなことが起きた後だし、もう、なんでも受け入れるし、信じることを誓うよ。それに・・・そんな顔をしている君を、放っておけないよ」
「エイスケ・・・」
メルトは、目を見開いて、そして・・・微笑んだ。
「ありがとう、エイスケ」
「!」
しんみりとした、優しい声でメルトはお礼を言ってきた。
あまりの可憐さに、俺は息をするのを忘れるほどの衝撃を覚えた。
「・・・何も、感謝されることはしてないよ」
ようやく振り絞った声。
思わず俺は目をそらしてしまう。
なんだ、なんでこんなに頰が熱いんだ。
なんて良い笑顔をするんだ。
メルトの、人間のメルトの笑みは、美しさと、あどけなさが混在した、多くの人の心を射止めるであろうものだった。
もちろん、それは俺に深く刺さった。
・・・俺は、自分で放った言葉に、改めて気づかされる。
まだ、目の前の子のことは何もわかっていない。
だけど、この子がメルトだと言うのなら、なんだって信じよう。協力してあげよう。
そう思うことができた。
ブカブカのパーカーをぎゅっと握りしめるメルト。
ふーっ、と呼吸を整える。
一度俯いて、再びゆっくりと顔をあげて俺を見つめる。
「じ、実は。私は・・・」
「うん」
覚悟を決めたようで、ついに俺の質問に、どうして猫になったかを答えようとする。
俺も意を正そうとし、ベッドの上で正座をする。
「私は・・・ま」
ポロロン!ポロロン!ポロロン!・・・
「うお!?」
「えっ!」
俺のスマホが鳴り出したのは、ちょうどメルトが何かを言おうとした時だった。
この音はSNSの通知ではない。
電話だ。
「誰だよ、こんな深夜に・・・って、みっちゃん?」
画面に表示された人物は、数時間前まで酒の席で俺を励ましてくれた友人、みっちゃんだった。
「で、出てあげて?」
「ご、ごめんな」
メルトがおずおずと提案してくれて、ありがたくみっちゃんへ接続し、応答する。
なんてベストタイミングで電話してくるんだと思ったが、もしかしたら何か重要な連絡かもしれない。
「もしもし?」
『あれ?英介起きてたのか?もうシャワーも浴びずにそのまま寝ちまったかと思ったぜ』
いつもの活気のあるみっちゃんの声が通話口から聞こえてくる。
声質からみて、何かトラブルごとではなさそうだ。
「あ、ああ。なんだか、眠れなくてな」
嘘は言っていない。
みっちゃんの言ったことは実際にそうだったのだが、イレギュラーが起きて寝るどころではなくなってしまった。
こんなことが起きれば、誰だって眠れないわ。
『・・・やっぱり、栞ちゃんのこと考えると眠れないだろうな・・・あの女、本当に許せねぇ』
「あ・・・そうだな」
そういえばそうだったな。
『いや、お前が心配でな。馬鹿みたいに飲むから、アル中になったら大変だと思って』
「気遣ってくれて悪いな。水を飲んだら、少しは良くなったよ」
そこで、先ほどから頭がガンガンしていることに気づいた。
そんな痛んでいる暇ではないくらいに、俺は目の前のことに必死だったのか。
ある意味、メルトの存在が最良の薬になったと言うわけか。
『本当か?いや、無理してるだろ絶対。お前、酒の席でなんとか笑うのに必死で、見てらんなかったぞ』
みっちゃんの立場から考えてみれば、確かに俺は空元気をしているように聞こえるだろう。
三人と別れて家に帰ったあと、あんなことが起きたなんて言えるはずもないし。
もしかして、心配になって電話をしてくれたのか?みっちゃんは。
栞に振られて、一人寂しくしているだろう俺を気にかけてくれているのか?
そういえば、栞に浮気されたことを酒の話でして、一番栞に対して許せないとキレていたのはみっちゃんだったな。
・・・よくできた友人を持ったなぁと、しみじみとした。
『・・・まあ、とりあえず、起きてるなら無駄足にならずに良かったわ』
「?、なんだよ無駄足って・・・ん?」
カン、カン・・・
電話口から、軽い金属の音が聞こえてくる。
『あの後3人で二次会行こうってなったんだけど、今回はまあ、そんな気にもなれず。コンビニ前で少し話した後解散になってな。・・・で、帰る前にお前んとこ寄っておこうと思って』
カン、カン・・・
規則正しく鳴り響く音は、とても、馴染みのある音だ。
そう、この3階にある家に上がってくる時に使う階段の音だ。
『もうお前の家のところまで来てるからよ。俺らからの差し入れ、受け取ってくれ。外で待ってるわ。んで、死んでないか確認させてくれ』
はははと笑うみっちゃんの声をスマホから聞きながら・・・俺は、メルトを見やる。
パーカー一枚の、その下には何もつけていない金髪美人のメルトを。
あれ・・・もしかして、この状況見られたらやばくない?
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