最終話
二十二時一分前。時間だ。
私は事前に作成しておいたメッセージを送信し、表示していた仮想画面を閉じた。
その後、
不審なSUVが停車していたので接近すると、こちらを視認したらしい加賀が下りてきた。
「やあ。指定の時間通りだ」
「五分前行動じゃなくて悪いね」
「いいや、別に構わないさ」
昨日と似たような服装の加賀は、こちらに手を差し出してきた。何かを要求する手つきだ。
「それじゃ車に乗ってもらうが、その前に端末を預からせて貰えるかな?」
「私のことを疑ってるわけだ」
「まあ、念の為さ。警戒するにこしたことはない。僕としても君を信じたいからね」
「……ちゃんと返してよ」
「もちろん。事が済めば返すよ」
私は渋々と携帯端末を手首から外し、加賀へと渡した。彼はそれを懐に仕舞い込む。
「必要とあらば身体検査も構わないけど」
「妙な物を持っていないかだけ確かめさせてくれ」
そう言って加賀は手のひらサイズの箱のような物を取り出した。
彼はそれをこちらの身体の傍に持ってくると、上から下にと動かしていく。こちらに向けた面からは薄らと光が発されているように見えた。
恐らくは小型のX線撮影装置か何かだろう。一通り光を当て終えると、彼は自分の携帯端末で画像をチェックしていた。
もしナイフのような武器を所持していればバレていたに違いない。何も持ってこなくて正解だったようだ。
「特に怪しい物は持っていないみたいだね」
「これで信用した?」
「ああ。乗ってくれ」
加賀は私をエスコートするように後部座席の扉を開ける。どうやら拒否権はないらしい。別にどこでも構わないので、特に逆らうこともせず乗り込んだ。彼も運転席に乗り込むと、車両は滑らかに発進する。
加賀の運転する車はするすると無駄のない動きで住宅街を抜けると、国道を走り始めた。
今時、自動運転でないのは珍しいが、その気持ちは何となく理解できる。自らの命運を機械に委ねたくないのだろう。己の意志で動かすことに意味がある。彼はそういうタイプだ。そして、私も。
私は加賀と対角線になる位置に腰を落ち着けていた。なるべく離れていたいという気持ちの表れだ。ただ、このまま黙って窓の外を見ている、というわけにもいかないので、口を開く。
「それで、あんたの計画ってのはそろそろ聞かせて貰えるの?」
「そうだね。目的地までここから二十分ほど掛かる。その間に話しておくとしよう」
二十分か、ちょうど良い、と私は内心で頷くも、表情には出さないように心がけた。
「君は今の社会を楽園と評したね。それに関しては僕も同感だ。しかし、その楽園は人類を異なる存在へと変貌させるだろう。どういう意味か分かるか?」
「……人は遅かれ早かれ、自らの意志決定を
それは以前から私が考えていたことだ。そして、加賀も同様なのだろう。私達は耐電脳体質というこの社会において異端な存在だ。それゆえ、自然とその思考は重なり合ってしまう。
人類は既に脳にまで科学技術を受け入れてしまっていた。最後の聖域であったはずの自らの世界へすら干渉を許容しているのだ。
ならば、より善い生を送る為にもはや躊躇うことは何もないだろう。
自分達よりも優れた存在としての科学技術の奴隷となることを人類は選ぶ。
その時、現行人類は紛れもなく滅ぶことになるのだ。
「ああ、その通り。それはまさしく新たな
加賀は苦々しげな口調で、皮肉を言うようでもあって、その未来を決して喜んでいないことを物語っていた。
それを察したからこそ、私は問いを投げかける。
「……あんたは一体、何をしようって言うの?」
「全てのLIAには特殊な電波を一定時間感知することで停止する仕様がある。異常が発生した際に緊急停止する為だ。やはり研究初期の頃は問題が起きることもあったらしくてね。今じゃ問題なんて起きようもないが、それでも律儀にその仕様は残し続けている。悪用する者がいるなんて考えもしていない。実に愚かなことだ」
加賀は唾棄するように言う。彼にはそれが思考停止しているように思えるのだろう。
私は彼の語った言葉の意味に戦慄しながらも、まだその真意を掴めてはいなかった。
しかし、開けた視界と共に見えてきた建築物を加賀が指し示したことで、私はその目的をようやく理解する。
「ほら、見えてきたよ。僕達がこれから行く場所が」
「あれは……」
天を衝くように屹立した電波塔。
普段よりも近くで見るそれは一層迫力ある存在に感じられた。
「ファーマメントタワー!?」
「あそこなら全国へと電波を飛ばすことが出来る。先程語った仕様を利用すれば、日本中のLIAを全て一斉に緊急停止させることが可能だ」
「そんなことをすれば皆は……」
「恐慌状態となるだろうね。これまで如何に自分達がお花畑を見せられていたかに気づくだろう。そして、望まぬ選択をしていたことも。偽りの楽園から目を覚ます時が来たんだ。人々はどれだけ恐ろしいものに手を出しているのか、知らなければならない」
「…………」
加賀の言い分は良く分かる。このままでは人類は科学技術に呑み込まれてしまう。これまでの人類史で確かに輝きを放ち続けていたはずの意志が喪われつつある。人間は自らの意志で行動するからこそ尊い。なればこそ、力づくでも引き戻さなければならない。
その考えは以前の私ならば賛同していたかも知れない。けれど、紫織との対話で気づいたことがある。だからこそ、私は何も答えなかった。加賀はそれを判断不能と理解したのか、微笑し話を続ける。
「今はそれで構わないさ。僕が為すことだけを見ていてくれ。そして、いずれ人々を正しく導く語り部となって欲しい。それはこの国で特別な存在として生まれた僕達だからこそ出来ることだ。LIAの非人間性を訴えなければならない」
やがて、車両はファーマメントタワーに到着し、加賀は正面入口の傍に停車した。
「さあ、下りてくれ」
私はチラリと運転席に表示された時計を見る。現在時刻は二十二時二十分だ。
外に出ると、サッと周囲に目を向けた。
正面入り口は全面ガラス張りとなっており、中央の自動ドアを抜けていく形だ。当然、今は閉まっている。
その前の空中には大きな3Dディスプレイが投影されており、『本日の営業は終了しました』と表示されている。脇には円形の土台から金属製の棒が伸びた投影用機器が設置されていた。あれなら非力な自分でも持てそうだ。
「中に入る方法はあるの?」
「現代社会のセキュリティなんて大したことはない。自動ドアの制御盤に僕の携帯端末を繋げばすぐに開けられるよ」
「なるほど」
加賀が示した制御盤の位置は、投影用の機器が設置された場所から三メートル程度。ちょうど良い位置だ。
「悪いが、人がいないかだけ見ておいてくれると助かる。この段階で見つかると少し面倒だ」
加賀は私にそう言うと、自分の携帯端末から伸びたコードを制御盤へと繋いだ。
「分かった」
私は返事をしながらも、ガラスに自分が映っていないことを確認してから、投影用の機器を後ろ手に握る。ひんやりと冷たかった。
音を立てないように持ち上げる。思いのほか軽い。けれど、強度は十分そうだ。
加賀は制御盤の方を向いている。今がチャンスだろう。
私は彼の後頭部を目掛けて、斜めに振り下ろした。
「……っ!?」
しかし、その一撃は空を切る。
一瞬前までそこにいたはずの加賀は姿を消していた。
そして、真後ろから声が来る。
「やれやれ、残念だ」
私は咄嗟に正面へと飛び退き、振り返る。そこには加賀が泰然たる態度で立っていた。
彼はいつの間にかこちらの背後に回っていたようだが、追撃しては来なかった。
「……どうして避けられたの」
「ガラスに映っていた3Dディスプレイの文字がブレて消えたからね。武器にするならそれだろうとは初めから思っていたが」
私は自らの失態に舌打ちをする。しかし、元より警戒されていたならどちらにせよ避けられていたかも知れない。切り替えろ。まだこれで終わりではない。その手に携えた武器を構えながらも、私は力強く宣言する。
「私はあんたの計画を認めない」
「君なら分かってくれると思ったんだが。LIAは人の尊厳を貶める。不満足な人間から満足した豚へと成り果てさせてしまう。君はそれでも構わないのか?」
「分からないとは言わないよ。だけど、あんたの計画は私の大切な人を傷つける。認められない理由なんてそれだけで十分」
加賀はこれ見よがしに息を吐いた。これ以上の問答は時間の無駄だと判断したのだろう。彼は両腕を前に構える。その堂に入った構えから何らかの格闘技をやっていることが分かった。
「安心するといい。殺しはしない。事が済むまでは眠っていて貰うが」
「そりゃありがたいね」
不意打ちに失敗した今、正面から倒すしかない。怯ませさえすれば、逃げるのも有りだ。
なら、優先すべきはとにかく当てること。この手に持った棒状の機器を思い切り振ればそれなりの打撃となるはずだ。縦振りよりも横振りで広範囲への攻撃を意識する。タイミングは向こうが踏み込んできた瞬間。
私はいつでも振り放てるように、機器を強く握り締める。加賀は両手を構えたままなかなか動かない。
息が詰まるような間が場を支配する。その圧に私は一瞬だけ気を逸らしてしまう。
途端、加賀は動いた。まるでこちらの意識の間隙を縫ったようで、気がつくと目前にいた。
私は慌てて機器を振り抜こうとする。しかし、それより早く彼の腕がこちらの手元を押さえた。
そして、その部分を支点とするようにして彼はこちらの背後へと回り、その腕を首元へするりと忍び込ませた。
喉元を万力のような力で締めつけられ足元が浮き上がり、その苦しさに私は手に持っていた武器を離してしまう。
あまりにあっという間の鎮圧だった。所詮は素人の私が武器を持ったところでどうしようもなかったらしい。
「私も何か習っときゃ良かったかな……」
「格闘技はいい。生きている実感を与えてくれる。きっと君も気に入るだろう」
首に回った腕の締めがより強くなる。痛いし苦しい。
肺への酸素供給が遮断され、脳が麻痺していくような感覚。
徐々に視界が薄らいできた。
しかし、その時、遠くから微かに聞こえてきた音に気づいた私は、苦しみながらも笑う。
「……聞こえるかい、あんたの計画を終幕へと導くこの音が」
「これは……」
遠くから聞こえて来ていたのは、サイレンだ。
それはあっという間に近づいてきたかと思えば、音の主がゾロゾロと姿を見せ始めた。
『こちらは警察です。ただちに両手を上げて投降しなさい』
警備用ドローンが次々と敷地内へと侵入して来る。周辺を巡回していたものが集まってきているのだろう。今でも事故は僅かながら発生するので、そういう時の為に一定数はどこにでもいるのだ。
加賀は抵抗は無駄だと判断したようで、私を解放して両手を上げた。下手に抵抗しても内臓の武装で鎮圧されるだけなので、妥当な判断だろう。
地に足が付いた私はそのまま跪くと、激しく咳き込んだ。締め上げられていた喉がジンジンと痛みを発していた。
その間にも警備用ドローンが私達の周囲を取り囲む。すぐにでも人間の警察がやって来るだろう。それまでは見張りながら待機のようだ。
加賀は両手を上げたままこちらに問いかけてくる。
「警察に連絡する術も時間もなかったはずだが、一体どんな手を使ったんだ?」
私は喉に痛みを感じながらも、何とか声を発して答える。
「……逆だよ。私が何もしなかったから、さ。あんたと違って、私は信用できる相手がいるんでね」
私は加賀と会う直前、
その内容は『二十二時三十分までに私から連絡がなかったら、警察に通報してこのGPSを追わせて』というものだ。一緒に私の携帯端末のGPS情報を添付しておいた。
彼女は無事、私の言う通りにしてくれたらしい。そのお陰で何とか助かったので、感謝してもし切れない。
「……なるほど。時間が経てば通報するように頼んでおいたわけか」
「そういうこと。端末の電源を切ってるかどうかくらいは確認すべきだったね」
「自分のことながら呆れてしまうな。やはり君のことを信じたいという思いがあったんだろう」
加賀はどこか寂しげに語る。
結局、彼は自分と同じ孤独を分かち合える相手を探していたのかも知れない。
仮に独りで実行していれば、こんな風に失敗することなどなかったはずなのだから。
大きなリスクを抱えてでも、彼は私という共犯者を欲した。
そこにはきっと、私が紫織を欠いた世界でなければ理解できない、切なる想いがあるのだろう。
「君は、新世界を受け入れるのか?」
「……そうだね。人は自分達が創り出した科学技術をとことん信じることを選んだ。多分、それだけのことなんだよ、本当はさ。だから、私も信じてみようかなって思う。子の繁栄を疎む親なんてのはやっぱ駄目でしょ?」
「汝等これらの事を知りて之を行はば幸福なり、か。そうなのかも知れないな……」
加賀はそれ以上は何も言わなかった。
やがて、警察がやって来て私達をその場から連行した。
私はいつもの如く学校の屋上で本を読んでいた。当然のように今は授業中だ。
もうじき授業終わりのチャイムが鳴るだろう。ちょうど区切りも良かったので、そこで本を閉じることにした。
恒例とも言える読書後の伸びをしながら、視界の中央に映るファーマメントタワーをぼんやりと眺める。
加賀の一件からおよそ一月が経過した。
私は拘束されることこそなかったが、警察の事情聴取ではきつく絞られた。なぜ初めから警察に相談しなかったのか、と。
けれど、それは仕方のないことだ。私はどうしたって自分と同じ境遇である加賀には同情的だったから。彼が何を企んでいるのかを把握した後、その内容によっては見逃す気だった。流石に全国のLIAを緊急停止させるような計画は容認できなかったが。
加賀は隔離施設行きとなった。この社会には長らく犯罪者などいなかったので、警察でもその処置には困ったらしい。今後もどうするか様々に話し合われるに違いない。そう簡単に解放されることはないと思うが、今の社会ならそれほど厳しく罪を問われることはないと思う。
やがて、授業終わりのチャイムが鳴り、程なくして怒り肩の紫織が姿を現した。
「
「や、紫織」
「また授業サボって。結局、LIAがあってもなくても変わらないじゃない」
「ふっ、誰にも私の読書を止めることは出来ないのさ」
「カッコつけることじゃないから」
今の私は新型LIAを導入している。ほんの数日前、
つまり、今の私が見る世界は「好き」という認識のフィルターが掛けられているわけだ。その割にはあまり変化を感じない。
結局は優先順位の問題なのだと思う。確かに授業への拒否感はなくなったが、だからといって私の読書欲求に勝るものではない。
そういう意味では、元より私が見る世界はLIAで見る世界と大差ないものだったのかも知れない。それは誰もが本来的に持ち合わせている能力を利用しているに過ぎないのだから。
案外、加賀の計画が実行されても、彼の言うような事態にはならなかったんじゃないかと思うこともある。
LIAは単に世界の見方を教えてくれるだけだ。一度学んだそれはLIAがなくても行えるに違いない。
我々は本質的に自分の世界の外に出ることは出来ない。いつだってこの目に映る風景や、聞こえてくる音、そのどれもが頭の中にある。
だからこそ、人は物事を見たいように見ることが出来る。きっとそれで良いのだ。
「そう言えば」
紫織は何やら思い出したような素振りで呟く。
「ん?」
「前より可愛く見える?」
紫織は自分の顔を指し示すようにしながら、そんなことを聞いてきた。
何でもないような風を装っているが、恥ずかしそうだ。
私は「ふむ」と彼女を見つめた後、答える。
「いや、別に。前と変わんない」
「そんなぁ……」
紫織は露骨にしょぼんとする。
どうやら彼女は「以前と変わりない」ということの意味合いを理解していないらしい。
しかし、それをそのまま伝えるのも味気なく思える。どんな言葉を贈ろうか。
そこで一つ、良い言葉を思いつく。
それはきっと、私と紫織の間では特別な意味を持つ言葉。
「私も、紫織と一緒にいたいよ。だって、一緒にいたいから」
好きだから一緒にいたいのではなくて、一緒にいたいから好きなのだと思える。
だから、一緒にいたいという想いは一緒にいたいという理由でしか言い表せない。
理屈じゃない。
「~~っ!?」
紫織は瞬間湯沸かし器のようにボンと紅潮する。耳まで真っ赤だ。
その様子がおかしくて私はプッと吹き出し、くつくつと笑う。
「紫織は可愛いなぁ」
「もうっ!」
私にからかわれていると思ったのか、紫織はポカポカと肩を叩いてくるが、柔らか触感な手なのでこれっぽっちも痛くはない。というか癒される。実に平和だ。
他愛もない話と共に時間が流れていく。
やがて、どちらが言うでもなく、私達は立ち上がった。
「紫織が迎えに来たことだし、しゃあないから授業に出るとするか」
「……わたしが来なかったら?」
「読書か日向ぼっこ」
「…………」
紫織に無言で引っ張って行かれる。どうやら逃がしてはくれないらしい。
ならば、と私はその手をギュッと握り返した。もう離さない、とでも伝えるように。
彼女はこちらを向きはしなかったが、その頬が緩んだように見えた。
ふと見上げた青空は玻璃のように澄み渡っていた。
楽園への扉 吉野玄冬 @TALISKER7
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