第4話

 いつの間にか私は自宅のすぐ傍まで帰って来ていた。

 既に日が暮れかかっており、随分と時間が経過していることが分かる。

 どのようにして帰ってきたかは良く覚えていない。

 出口の見えない思考が頭の中をぐるぐると巡り続けていたからだ。


 加賀かが量弥りょうやという男は、穏やかだった私の心象風景に嵐を植え付けていった。

 人の心を揺らすだけ揺らして去って行ったことには怒りしかない。

 しかし、その一方で彼の言葉に惹きつけるものがあったのもまた事実だ。


 孤独。閉塞感。恐怖。

 加賀は私の心中をまるで見てきたように言い当てた。けれど、それはきっと彼も同じ思いを抱きながら生きてきたからなのだろう。

 そんな彼が企む計画とは一体何なのか。不穏当なものである可能性は極めて高い。

 LIAリアを導入していない人間はこの社会において異物イレギュラーだ。

 しかし、だからこそ行えてしまうことがある。具体的な内容までは想像出来なくとも、それが社会にとってどのようなものであるかくらいは容易に想像出来た。


 私は携帯端末の仮想画面ヴァーチャルディスプレイを宙に展開すると、加賀が押し付けていった連絡先に触れた。メッセージ作成のページへと切り替わる。


「…………」


 私は迷っていた。

 言葉を発しようと口を開くが、躊躇い呑み込んで口を閉じる、ということを何度も繰り返す。


「……おわっ!?」


 そこで突然、着信が入った。驚きからビクッと身体を震わし、声を上げてしまう。

 表示された名前は、紫織しおりだ。受話を承認すると、宙に映像が投影された。

 私服姿の紫織の上半身が映り、その後ろには彼女の自室も少しだけ見える。


「紫織、どうかした?」

『えーと、その、今何してる?』


 紫織は話題を探すようにしながら、そんなことを聞いてくる。


「ちょうど帰ってきたところ」

『あ、そうなんだ』

「紫織は?」

『わたしは部活で今度は何作ろうかなって、手芸の本を見ながら考えてた』


「へえ、良さそうなのはあった?」

『去年やったような縫物もいいけど、羊毛フェルトもやってみたいって思ってて、まだ考え中かな』

「そう。良いのが出来るといいね」

『うんっ』


 話はそこで途切れ、私達は沈黙する。

 こんな雑談をする為に電話してきたとは考えづらい。何か用があって電話してきたのではないだろうか。

 私が問い質そうとしたところで、向こうから先に口を開いた。


『ところで、さ』

「ん?」

『知らない人だったみたいだけど、大丈夫? 変なことされたりしてない?』


 どうやら加賀のことが本題だったらしい。考えてみれば、紫織が気になるのも無理はない。


「へーきへーき。この通りピンピンしてるよ」

『良かったぁ……』

「今時、そんな心配するようなことは起きないってば」

『そうだけど、それでも不安になっちゃうのは仕方ないよ』

「紫織は心配性だなぁ」


 再び沈黙。

 少しして、紫織は意を決した様子で問いを投げかけてきた。


『あの人が言ってた同じ体質って何なのかな、って』


 そういや紫織も聞いてたか、と今更になって気がつく。

 自分の表情が凍り付いたのが分かる。

 それを察した紫織は慌てた様子でブンブンと手を振った。


『あ、でも、聞いちゃいけないことだったら、無理に言わなくていいから』


 私は少しだけ考えて、頷いた。


「……いや、別に構わないよ」

『え、ほんと!?』

「今からそっち行ってもいい? 出来れば、直接話したい」

『う、うん、大丈夫!』

「じゃあ五分後くらいに」


 紫織との通話を終え、仮想画面を閉じる。

 昔は擬態することに必死だった。だけど、今はそうでもない。

 紫織に耐電脳体質のことを明かしたところで、何も変わらない。そのはずだ。

 わざわざ自分から話すようなことでもなく、これまでは話す機会がなかっただけ。

 けれど、今の私は何かを求めているように思える。それは一体何なのだろうか。

 私は自分の思考さえも良く分からないまま、紫織の家へと足を向けた。





「お待たせー」


 紫織の部屋に上げて貰った私が自室のようにくつろいでいると、お盆を抱えた彼女が部屋に入ってきた。お盆の上には急須と茶碗、小皿には羊羹が乗っている。

 これで紫織が着物でも着ていようものなら和菓子屋にでも来たような気分だが、彼女はカットソーにフレアスカートという洋装だった。

 紫織はテーブルの向かいで温かいお茶を注ぎ入れると、羊羹の小皿と共にこちらの前へと差し出してくれた。


「はい、どうぞ」

「あんがと」


 羊羹を見ると谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を思い出す。羊羹は暗い場所で食べるからこそ暗黒が甘い塊となったようで良い、というやつだ。残念ながら試したことはないが、その意味合いは何となく分かる。


 私は竹製の菓子楊枝を手に取ると、羊羹を切り分けて一片を口に運んだ。淡く軽やかな甘味が広がり、長い余韻を残す。その状態でお茶に口を付けると、適度な渋みとほんのりとした甘みに満たされた。

 どちらも絶品で全身に染み入るようだ。私は充足感からホッと一息つく。

 何でも紫織が言うには、和菓子に良く合う茶葉を使っているらしく、お茶単体で飲むとただ渋く感じてしまうのだとか。

 初めて紫織の家に来た時は、お茶から飲んであまりの渋さに顔をしかめた覚えがある。

 和菓子を先に食べてからだとそうは感じないのが不思議なものだ。


「こうして純和風なおもてなしを受けると、紫織の家に来たって気がするんだよねぇ」

「別にうちは和菓子屋さんでも何でもないんだけどね」


 紫織は苦笑しながら自分も羊羹やお茶を口にする。

 以前、聞いたところによれば、それらは単に両親の趣味らしい。良い趣味をしていると思う。


「さて、それじゃ話すよ」

「う、うん……」


 何やら身構える紫織に対して、私はなるべくいつもの様子を意識する。

 あまり深刻に受け止められたくはない。本当なら、笑い飛ばしてくれるくらいが良い。ただ、そうもいかないだろうな、という予感はあった。

 そうして、私は耐電脳体質について簡単に説明をした。


「――と、まあそんなわけで私はLIAを導入できない体質なんだ」

「…………」


 私は軽いノリで話し終えたつもりだが、紫織はこちらの笑みに同調してはくれなかった。そのクリッとした双眸からポロポロと落涙し始めてしまう。話をしている間も堪えるような表情だったので、もう限界だったのだろう。


「ごめん、ごめんねっ……わたし、気づいてあげられなくて……それにずっと酷いことしてた……」


 即座にこちらの心情へと飛躍して慮れるのは凄いことだろう。

 自分がその立場にいたらどうだろうか、と想像してその気持ちを理解する。それは簡単なことのようでいて難しいことだ。誰もが他者を自分と等しい存在として労わることが出来たなら、人類史に無数に刻まれてきた争いなど起きようはずもないのだから。

 確かに、初めの頃はLIAありきで話をされることに苦痛を感じていたこともある。それは紫織からすれば「酷いこと」なのかも知れない。だからといって、どうして彼女を責めることが出来ようか。


「仕方ないよ。知らなかったんだから」

「でもっ……自分だけが周りと違うって、一人ぼっちってことじゃない……そんなの、あんまりだよ……」


 紫織は自分で自分を許せない様子だった。私が気にしてないと伝えても、それはまた別の問題なのだろう。ならば、私は彼女にどんな言葉を投げかけてあげられるのだろうか。


 ふと思い出したのは、中学時代のことだった。

 自分が「普通」でないことを知った私は、その事実を必死に隠そうとした。

 擬態だ。自分もLIAを導入しているように振る舞い、誰も疑おうとはしなかった。

 けれど、その行いは私の心を徐々に蝕んでいった。


 彼らが観ているのは私じゃない。私という存在に自分の好きな着ぐるみを被せて見ているだけ。他の相手に対しても同様だ。誰も目の前の相手を観ようとしていない。自分の認識が見せる歪んだ世界に浸っている。私にはそう思える。

 そして、その関わり方に誰も疑問を持ってはいないのだ。私だけが「普通」じゃないから、疑問に感じてしまう。

 そんな想いが肥大していき、摩耗した私が選んだのは、他者と距離を置くことだった。


 私が好んで独りでいるようになると、周囲の人は自然と離れて行った。こちらの意を汲んでくれたのだろう。

 たった一人、紫織を除いて。

 彼女だけは私を放っておいてはくれなかった。独りにさせてはくれなかった。

 だから、つい鋭利な刃のような言葉を浴びせてしまった。


『これ以上、私に関わらないで。迷惑なんだ。あんた、鬱陶しいよ』


 そう言えば、あの時も私は紫織を泣かせたっけ……。

 これでやっと独りになれる。だから、仕方がなかったんだ、と自分に言い聞かせた。

 しかし、その翌日。

 彼女は変わらず私の傍に寄ってきた。まるで前日の出来事などなかったかのように。

 私が困惑していると、彼女はこんな風に言った。


『わたしはれいと一緒にいたいの』

『……どうして?』

『だって、黎と一緒にいたいから』

『答えになってないよ、それ……』


 今にして思えば、それは同語反復トートロジーだ。論理としては無意味な表現。

 けれど、人の感情なんてものを語ろうとすれば、そうなるのは自然なのかも知れない。

 結局、私は紫織を遠ざけることは出来なかった。こちらが根負けした形だ。

 なし崩し的に彼女だけは傍にいることを許容するようになった。

 あれから何度も季節が巡り、気づけば、私は紫織にだけは昔のように心を許すようになっていて、むしろ昔よりも私は彼女のことを大切に思うようになっていて。


 ああ、そっか……そうだったんだ……。

 私は一つの気づきを得る。

 それは加賀がもたらした嵐をあっという間に凪に変えてしまう答えでもあった。


「……いや、私は別に一人ぼっちなんかじゃなかったよ」

「えっ……?」


「だってさ、私は紫織が傍にいてくれたお陰でいつも救われてたから」


 私は加賀に孤独を指摘されて激しく動揺してしまった。それは確かに私の心に根差す暗い感情だったから。

 だけど、その孤独に呑み込まれずに自分を保っていられたのは、私一人では耐え切れなかったであろう傷が癒されたのは、紫織がただ傍にいてくれたからだった。

 もし彼女がいなければ、自分がどうなっていたかなんて想像もつかない。考えたくもない。


 今の私が私として迷いなく生きていられる理由があるとすれば、それはきっといつも隣で太陽のように笑ってくれる紫織がいたからだ。

 LIAがあろうとなかろうと関係ない。私は確かに紫織という存在を感じて生きている。

 なら、私は孤独なんかじゃない。


「だから、今までありがと。それと、これからもよろしく」


 嘘偽りのない真っ直ぐな気持ちを伝える。

 気恥ずかしかったが、それは言っておかなければならないと思えた。

 今やっと、私は本当の意味で紫織のことを受け入れたのかも知れない。


「黎……黎っ!」


 すると、紫織は一層落涙を強めたかと思えば、テーブル横を抜けて私に飛び込んできた。

 それは弾丸のような勢いで、私は押し倒される。


「な、何ぞっ!?」


 紫織は私の胸元辺りで号泣していた。

 私はその後頭部にそっと手を当てると、柔らかい髪を緩やかに撫でる。


「もう、紫織は泣き虫なんだから」

「これは嬉し涙だもんっ……」


 泣きじゃくる紫織の姿を見て、私は覚悟を決める。

 帰り道、私は加賀へとメッセージを送信した。『計画に乗る』とたった一言だけ。

 すぐに返事が来た。そこには翌日の日付と時間、場所が記されていた。

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