第3話

 翌日、授業を終えた私と紫織しおりは連れ立って校舎を出た。

 昨日の約束通り、これから遊びに行く予定だ。ただ、何をするかは特に決まっていない。


れいはどこか行きたいところある~?」

「んー、ない!」

「そんな胸を張って言わなくても……」

「紫織が行きたいところでいいよ」


「じゃあまあ、とりあえず街の方に出よっか。服が見たいな」

「りょーかい」

「黎に似合う服を見繕ってあげるの、んふふ~」

「不気味な笑い方やめい。身の危険を感じる」


 私達がそんな風に話しながら校門を出ると、一人の男が近寄ってきたかと思えば、正面に立ち塞がってきた。


「君が廻間はざま黎さんだね」

「……あんた、誰?」


 私は咄嗟に紫織を後ろに下がらせて、目前の不審な男を観察する。

 その風貌は若々しく二十代の印象だ。せいぜい三十代前半だろう。

 人受けしそうな爽やかな容姿をしており、自然な笑顔を向けてきている。しかし、その瞳の奥には薄ら寒いものが感じられた。

 背は目測で180cm程度。服装はシンプルな色合いのジャケットにパンツだが、モデルのように様になって見える。

 遠目では細身に思えたが、近くだと良く引き締まっていることが分かる。こちらに歩いてくる時も妙に重心が安定しているようだった。何か格闘技でもやっているのかも知れない。


「僕の名前は加賀かが量弥りょうや。君に用があるんだ。少し付き合って貰えないかな?」

「悪いけど、怪しい男に付いていく趣味はないんでね。行くよ、紫織」

「う、うんっ」


 私は紫織の手を引くと、男を無視してその場を離れようとした。

 もし邪魔してくるようなら即座に警察へと通報だ、と自らの携帯端末に手を掛ける。

 しかし、彼はそのような素振りを見せることはなく、ただ後ろから驚きの言葉を投げかけてきた。


「僕は君と同じ体質だ、と言ったらどうかな?」

「なっ……」


 それは私を引き留めるには十分な文言だった。

 思わず振り返ってしまい、男は笑みを深くする。


「興味を持ってくれたかい?」

「……ちっ」


 こんな怪しい男の思惑通りとなるのは不愉快だが、どうやら話を聞かないわけにはいかないらしい。私は紫織の方を向くと、頭を下げた。


「ごめん、紫織。今日は一緒に行けない」

「……うん、わかった。先に帰るね」


 何か事情があると察した様子の紫織は、簡単に引いてくれる。

 けれど、その心中は落胆の色が占めているだろう。彼女の健気な態度に胸が痛んだ。


「昨日約束したのに、本当にごめん」

「いいんだよ。わたしはいつでも大丈夫だから。また今度、ね?」

「必ず。今度は私から誘うよ」

「楽しみに待ってる」


 そうして、紫織は一人で帰って行った。

 彼女の寂しげな後姿を眺めながら、男はわざとらしく申し訳なさそうに呟く。


「お友達には悪いことをしたかな」

「そう思うなら、さっさとあんたの用とやらを話してよ」


 私が苛立ち混じりの口調で返すと、男は頷いてから一方向を指差した。


「ああ。とは言え、立ち話も何だから、近くの喫茶店にでも行こうか」





 私達は喫茶店へと場所を移し、周囲に人がいない席で向かい合った。


「会計は僕が払うから、好きなものを頼むといい」

「なら、遠慮なく」


 私は仮想画面ヴァーチャルディスプレイとして表示されたメニューの中から一番高いコーヒーと一番高いケーキを注文した。すると、加賀は僅かに頬をひくつかせる。


「本当に遠慮しないな、君……」

「得体の知れない相手に遠慮する理由はないでしょ」


 このむかつく男に一杯食わせてやった、と私は内心でほくそ笑みながらも、つーんと素っ気ない表情を続ける。油断は禁物だ。現状では警戒を解くことは決して許されない。


「まあ、別に構わないが」


 彼はブレンドコーヒーだけ注文する。

 注文の品が届くまで待つ理由もないので、私は早々に話を切り出す。


「それで、私と同じ体質っていうのは?」

「そのままの意味だよ。僕は君と同じ耐電脳体質者だ」


 念の為にこちらは『耐電脳体質』という言葉を避けたが、加賀は迷いなく言ってのけた。一般に普及している用語ではない為、彼がそうである可能性は高いと分かる。そこで、彼の推定年齢から一つの仮説が成り立つ。


「ということは、あんたが十二年前に発見されたっていう人なの?」

「ああ、その通り。どうやら僕の名前までは聞かされてなかったようだね」


 彼が頷いたことで、こちらの仮説が正しかったと分かる。

 つまり、彼は私と同じ耐電脳体質であるが、研究への協力を拒否したという人物だ。

 別にそれ自体は責められることでもない。

 しかし、私に接触を図る理由はやはり謎だった。そればかりは本人の口から聞くしかなさそうだ。


「で、その加賀さんが私に一体何の用?」

「別に大したことじゃない。ぜひとも君と一度じっくり話してみたいと思ってね。同じ体質を持つ者として仲良くしようじゃないか」


 加賀は何の裏表もないような表情でそう告げたが、私はとても信用できなかった。

 彼の言動には怪しい部分がある。


「……本当にそれだけだって言うんなら、帰らせて貰う」

「つれないな。そう嫌わないでくれよ。まだ頼んだコーヒーも来てない」

「別に嫌っちゃいないよ。ただ、怪しんでるだけ」

「自分と同じ境遇の人間に会ってみたいと思うのはそんなに怪しいかな? 僕にとっても君にとっても珍しいことだと思うが」


 いい加減、白々しい。私はさっさと疑問を突き付けることにする。


「私のことを知る術なんてそんなにあるとも思えないけど、あんたはどこで聞いたっていうの? 他にも私のことを色々調べてきてるんじゃない?」


 少なくとも、賀東がとう博士が私に何も伝えずに情報を漏らすとは思えない。彼の名前を私に教えることはなかったように。

 となれば、他の研究員から聞き出したか、もしくは何らかの違法な手段で情報を抜き取ったか。

 こちらの顔と名前を一致させてきている者が、それだけで済ませているようにも思えない。方法は不明だが、下調べを十分にしてきているのではないか。

 そんな風に考えていくと、警戒しない方がおかしいというものだ。


「確かに、その点については素直に認めよう。僕は決して正規ではない手段で君のことを知ったし、パーソナルデータも色々と調べた。しかし、先に述べた理由は本心だ。信じて欲しい」

「どの口が言うんだか」


 そのタイミングで給仕用ドローンが注文の品を運んできた。

 もはや話すことはないだろう。後は勝手に喋らせておけばいい。

 そう考えて、頼んだケーキにさっさと手を付ける。見た目は普通の苺のショートケーキだが、どうやら使われている素材がどれも上等らしく、上部に並んだ苺はキラキラと真紅に艶めいており、スポンジに塗られたクリームも新雪のように滑らかな純白だ。


 小さく切り分けた部分を口に運ぶ。すると、途端に気品ある甘味が口中に広がり、私の頬は自然と緩んだ。

 しかし、加賀が微笑ましそうな顔でこちらを見ていることに気がつき、すぐになるべく仏頂面へと戻す。

 彼はどことなく優雅な素振りでカップに口を付ける。それから、ポツリと言葉を投げかけてきた。


「廻間黎。君は、今の社会についてどう思う?」

「…………」


 私は無言で彼を一瞥する。彼は微笑を浮かべるだけで、その問いの意図は読めなかった。


「簡単な所感を聞かせてくれればそれでいい。そうだな、この問いに答えてくれれば、後は黙っていても構わない。約束しよう」


 仕方ない、と私は思考を巡らせる。

 想像以上にケーキが美味しいので、多少は気分も良い。この代金分として問いに一つ答えるくらいはしよう。

 少し考えた後、一つの言葉を紡ぎ出した。


「……楽園、かな」


 科学技術の進歩は人類を長らく苦しめてきた病気を駆逐した。現代量子医学は旧来では困難だった病の早期発見や治療を容易く行う。定期的な検診さえ欠かさなければ、重症化することはない。

 科学技術の進歩は人の業とも言える犯罪を根絶した。犯罪を行うに至る根本的な原因は脳の障害だ。それゆえ、現代の子供は健やかに育つように徹底されている。定期的な非侵襲性の脳検査をもとに様々な指導を行う形となっている。

 そして、そのどちらにも終止符を打つ存在となったのは、LIAだ。


 人間関係、家庭環境、不慮の事故、天災といった出来事がもたらす脳への悪影響は計り知れない。それらは幾重に絡み合って精神病や犯罪行為を誘発し続けた。

 しかし、LIAの登場によって遂には消滅するに至ったのだ。

 その結果として、今の社会が誕生した。性善説を体現したような国家が成立していると言って良いだろう。


 誰もが笑顔で過ごす幸福で満ちた社会。

 昔は理想郷ユートピアとして語られていたようなものが、今や確かな現実となっていた。

 少なくとも、私の目にはそう見える。


 だからこそ、楽園だ。科学技術の進歩と共に人類が至った、神の国。

 LIAの存在は言わば「楽園への扉Knockin' On Heaven's Door」だ。

 それは着実に拡大を続けており、いずれは地球全土を覆い尽くすのだろうと思う。

 その時、私や目の前の男はどうしているだろうか。

 新型のLIAによって楽園を享受できているのか、それとも……。


「なるほど」


 加賀は満足気に頷く。詳しい説明を求められても黙っているつもりだが、その様子はなかった。しかし、不快な呟きを発する。


「ならば、さしずめ僕達は楽園を追放されたアダムとイヴか」

「怖気が走るようなこと言わないで」

「失敬。ただの例えだ、気にしないでくれ」


 先程の回答で口を閉ざすつもりが、思わず喋ってしまった。

 くそ、これ以上はもう喋らないぞ、と私は念じながらもケーキを食べ進めていく。

 無事に食べ終え、コーヒーも飲み干した。

 私は立ち上がろうとする。ここまでだ、と僅かに気が緩んだ。

 しかし、その瞬間を計っていたように、加賀は一つの言葉を流し込んでくる。


「僕なら、君の孤独を分かってあげられる」


 無視すれば良かった。反応する気はなかった。そのまま立ち去ってしまえばいい。

 けれど、私の口が勝手に動いてしまう。


「……別に、私は孤独なんか感じちゃいない」

「本当にそうかな? 例えば、今日一緒にいたお友達は、君がLIAを導入していないことを知っているのか?」

「っ……」


 私は思わず息を呑む。

 図星だった。私は誰にも耐電脳体質のことを明かしていない。紫織にさえも。

 そのことを知っているのは家族と賀東博士達だけだ。


「自分一人だけが周りと違っている。それは真綿で首を絞められているようなものだ。皆と同じように過ごしているだけなのに、息苦しさを覚えてしまう。辛かったんだろう? だから、他人と距離を置くようになった。その方がずっと楽だから」

「知ったようなことを言わないで! あんたに私の何が分かる!?」

「分かるさ。僕は君で、君は僕なんだから。僕達は同じ痛みを抱えた仲間だ」


 加賀の言葉は、心を守る為に築き上げた壁をすり抜けて、内側の柔らかい部分を引っ掻いてくるようだった。

 それは確かに、私がこれまで抱き続けてきた疎外感を和らげるようで。確かに彼なら唯一、私の気持ちを理解できるのだろうと思えてしまって。

 だからこそ、声を荒げずに聞いてはいられなかった。

 このままでは呑み込まれてしまう。支配されてしまう。


「あんたと違って、私は逃げてない! 耐電脳体質の研究はちゃんと進んでる! もうすぐ、新型のLIAだって完成しそうなんだから!」

「その割には嬉しそうじゃないな。本心では別にどうでもいいと思ってるんじゃないのか?」

「そんなことは、ない……」


「今更LIAを導入したところで、僕らの傷がなかったことになるわけじゃない。今の自分を構成しているのは、その痛みなのだから。むしろ、怖いんじゃないか、これまでの自分が否定されるようで」

「…………」


 それ以上は何も言い返せなかった。加賀の指摘はどれも正しい。

 初めこそLIAの導入を望んでいたが、今は正直それが与える変化の方が怖い。自分の世界が侵されるように思えてしまう。

 それこそ、昨日私が抱いた不安の正体だった。

 私が黙り込むと、彼は「ふっ」と笑みを漏らして両手を上げた。


「今日はこの辺りにしておこうか。君にも考える時間が必要だろう」


 そう言うと、加賀は携帯端末の仮想画面を展開し、注文の支払いを行った。ピロリンと軽快な音が鳴る。そうして、彼は残っていたコーヒーを飲み干し、立ち上がった。私を見下ろしながら、告げる。


「一つだけ教えておく。僕は近い内にとある計画を実行する予定だ。出来るならば、君にはその見届け人になって欲しいと思っている。もし興味があったら連絡してくれ。そうだな、二十四時間待とう」


 加賀は仮想画面を操作して、こちらの端末に連絡先を飛ばしてきた。


「良い返事を期待しているよ」


 彼はそれだけ言い残し、店を出て行った。

 最後まで微笑を崩すことはなかったが、しかし、たった今見合ったその瞳の奥には、どす黒い炎のようなものが見えたように思えた。

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