第10話 七輪焼き最大の愉しみは炭の声で酒を飲む瞬間である(2枚目5日目・6月13日)

今日は帰宅して速やかにたらいに水を張ってマスクを静かに浸す。

週末の晩酌に七輪の炙りが待っているので、心はすでに半分以上がそちらに向けられてしまっている。

だからこそ、落ち着いて成すべきことを成すのであるが、この焦らされる感じというのが中々に心地よい。

いきり立つ心を御しながら、今宵はこの焦らしについて考えるもの悪くないだろう。


焦らす、焦らされるというのは無為に時を過ごすことと同様に最高の贅沢である。

それと同時に、時間の浪費とも考えられる。

そもそもが今の世の中では手軽にできることがその辺りに転がっている。

時間は余るものではなく不足するものとなってしまい、それを何もせずに過ごすというのは無駄の象徴のようになっていしまっている。

隙間時間の活用や五分でできる工夫など少しでも時間を使い切ろうという言葉が溢れ、何かに憑かれたように動く。

一日は二十四時間しかなく、うち四分の一は何もできないとすると人生のなんと短いことか。

そうした焦りが人を時間の傀儡にしてしまっているのかもしれない。

確かに、私も繁忙期ともなれば空いた時間を一つでも失くそうとするものである。


ただ、ここで何もしないでは間が持たないという人と何もしない時間が楽しくて仕方がないという人に分かれるような気がする。

後者に片足を突っ込んでいるのが私なのであるが、呆けた中でどうでもよいことをあれやこれやと思い出しながら考えるのは良い。

愚にもつかないことを考え、自分でくだらないと笑うのは傍から見れば変な人である。

こうした時にこそ、心に移り行くよしなしごとが堂々と闊歩し、その中から名作が生まれてくるものである。

もちろん、私には関係のない話なのであるが。

そして、前者は間が持たないのではなく、好奇心が行動力に移ってしまうような方ではないかと思う。

こちらはむしろ実用的な名作を生みだすのではないかと思う。


いずれにせよ、この両者に等しく時間を与えるのが「焦らし」という行いである。

自分では待つより他になく、されど無視するわけにはいかない状況を作り出す。

今はどうしてもスマホがあるために手がそちらへと伸びがちになるが、それでも、心を落ち着けて周りを見ればこの不自由も楽しみに変わる。

また、頭の中を一度整理して空にしてしまうのも一つである。

そして、そのうえで心持を新たに味わうのは素敵なものである。


そのようなことを考えながら、洗い終わったマスクを干場に掛ける。

さて、と腰を上げて七輪に砕いた炭を放って火おこしを始めるのであった。

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