第8話 後天性捨てられない病症候群(2枚目4日目・6月11日)
マスク三千丈などと大言壮で高らかに謳ってみたいものである。
いや、そのような演出も必要もないくらいには、このマスクは十分な呪詛を帯びて人々の手に齎されるのだろう。
その一枚を仄暗い部屋の片隅で洗面器に漬け、今宵も穏やかな手の動きで洗う。
その日の疲れを流すかのように、白いマスクはしどけない姿を晒す。
マスクの着用も四日目にしていよいよ具合がよくなってきたように思う。
初めの頃は反りが合わなかった頬と布とが今では自然と寄り添うようになっている。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う
やはり衣服というものは慣れて初めて真価を発揮する。
人付き合いも同じであるのかもしれない。
その浮世の有様を的確に見抜いた瞳というのは千年も昔のそれとは思えぬほどである。
返して言ってしまえば、人の性など千年程度で変わるものではないということでもある。
いずれにせよ、寄り添う伴侶もない私にとってみれば袖擦り合う仲はこのマスクとの間にしかないのかもしれない。
そもそもが今の服と昔の着物とではその在り方が変わってしまっている。
今の服は消費をしていくものでしかない。
新たな服を購い、それを幾度か着こなし、やがては塵として土に還す。
気に入った服であればまだしも、場合によっては流行という名の笛に誘われて代わる代わるにその装いを変える。
幼少の頃に衣服に破れを見つけると母はその穴を異なる布で覆い、それを何の疑いもなく私は身に着けた。
それを摩訶不思議な光景として嗤った旧友もあったように思う。
それほど豊かな家に生まれたわけではない私に対する蔑視の起点が、目の前に転がり込んできたことで彼らは大いに満たされたのだろう。
整った小綺麗な衣装というのがそこにある隔絶を表していたのかもしれない。
ただ、今にして思えば私は幸せ者であったように思う。
エコロジーなどという言葉もない時代に物を大切にするという何よりの誇りを与えられ、終生使い倒すという在り方を自然と受け入れられるようになっていたのである。
なんと、甘美なことではないか。
決して新しいものが悪いというわけではないのであるが、思いを継ぐかのように布地を継ぐというのはそれ以上に新鮮である。
いずれ、私は古い和装で身を包み暮らしたいと思っている。
華美である必要はない。
年老いた布地の精一杯の生き様をこの身で感じたいというだけである。
その頃まで、このマスクは添い遂げられるのだろうか、とやや愉しい妄想をしてしまった。
水で流して干場にマスクをかける。
いよいよ梅雨がその本性を顕わにしてきた。
揺れるマスクの姿を見ながら、私は明日の晴れ間を戯れに祈ってみた。
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