第7話 夏場でも鍋を肴に酒をやるんですよ(1枚目4日目・6月10日)
週の半ばにして既に思考が週末の酒に行っているのは、前日にいただいた酒のおかげである。
このような一週間は非常に心が躍り、日常に精彩を与えてくれる。
マスクを洗うのに準備する液体洗剤さえもどこか鮮やかな光を湛えているように感じる。
ただ、私の場合には酒のことを考えるということは肴について考えることと同義である。
今宵はそのためにこのひと時を贅沢に使おうではないか。
大吟醸を家で飲むというのは、流石の私も滅多にあることではない。
普段はむしろ純米酒や本醸造を飲むようにしており、食を受けることに主眼を置く。
先日上梓した夜の街のエッセイの後書において作った牛と笹垣牛蒡の甘辛鍋などは、大吟醸でやってしまってはその香りが泣いてしまう。
燗を付けたいぶし銀の純米酒の右四つでしっかりと受け止めるのが良い。
菜の花と豚のしゃぶしゃぶなどもよく合う。
私が好んでいただく通潤酒造は「純米原酒 山頭火」や緑川酒造は「純米酒 緑川」などはこうした百戦錬磨の大横綱である。
一方、大吟醸の手弱女たる在り方は中々に合わせる肴を考えるのが楽しい。
以前、はんぺんの炙りと合わせている動画を見たことがあるが、あれには脱帽させられた。
ただ、同じことをしていたのでは芸がない。
繊細でありながらも確かな芯のある香りと味わいを持ったこれらの酒に合わせる肴を見出さねばならない。
初めに思い付いたのはふろふき大根であるが、ゆずの時節を外しているので今回は見送る。
次いで姫筍の刺身や天婦羅が頭を過るが、とてもその新鮮なものを手に入れられる自信がない。
鱧も良いのだが、調理の腕がないのでいよいよ暗礁に乗り上げる。
料理こそ思い付くのであるが、調理の腕や時節を考慮していくと自然に選択肢が狭まっていくのである。
それでも、まずこれと決めたのは赤牛の炙りである。
これを塩と芥子でやる。
以前に教えられた食べ合わせであるのだが、赤牛の旨味には研ぎ澄まされた辛味に軍配が上がる。
生山葵でも良いのだが、そこは気分で合わせることとしよう。
次いで、蛤か鶏皮の湯豆腐。
梅雨の湯豆腐といえば池波正太郎氏のエッセイからの拝借であるが、手に入りやすさから柏を用いたところ昆布とよく合って楽しかった。
ただ、身よりも油を吸った千切りの大根と豆腐の方が心地よいので、ここでは皮に絞ってしまっている。
蛤が手に入れば迷わず手にするのであるが。
そして、蚕豆が残っていればそれを炙るのも良かろう。
塩をつけていただくのが本寸法であるが、何も付けずともよい。
初夏の香りで口腔を存分に満たした後で、瑞々しい香りで流すのは考えただけで胸が躍る。
そうこうしているうちにマスクは白さを取り戻し、贅沢な時間は瞬く間に過ぎてしまった。
まだ、時間はある。
干場に向かう足はまた、週末の酒肴に駆けだそうとしていた。
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