第53話 彼シャツ
ホワイトデーは、結果として大成功だった。
十年ぶりに一緒に行った遊園地は想像以上に楽しくて、色んなところに思い出が残っていて、最高の一日だったと言えるだろう。
七海に喜んでもらえたこととその日の充足感、程よい疲労にほくほくとしたあたたかさを抱いて眠りに落ちる……
……と。翌朝。
覚えのあるあたたかさが比喩でもなんでもなく胸に抱かれているのに気が付いて、俺は目を覚ました。
「……え? あれ……?」
すぅすぅと上下する丸みを帯びた背中と、二の腕にかかる重み。そしていい匂い。
朝の陽ざしにきらきらとする長い睫毛は、絶世の美少女幼馴染――
「七海ちゃん……なんでここに……?」
ドウシテ俺のベッドで寝てんの?
昨日は余程疲れていたのか、驚きぼやく俺の言葉に全く反応を示さない七海。
かくいう俺とて疲れすぎていて、昨夜の記憶が曖昧だ。
(え? うそ、ナンデ? 七海ちゃん、同じベッド……あれ??)
周囲を見回すも、まごうこと無き俺の部屋。
(あれれ? 連れ込ん――んんん??)
俺は、そんなふしだらな男じゃなかったはず……
念のため確認しようと布団を僅かに持ち上げると、七海は裸ではなかった。ちゃんと服を着ていた。
(うん。よし……!)
「…………」
数テンポ遅れて気づく。
なにが『よし!』なんだろう?
その服、俺のだよね?
ダボッとしたシャツの胸元からちらちらと覗く谷間が眩しい。触りたい。今ならバレない。
…………そうじゃなくて!!
(あっれ~?)
低血圧の脳みそを振り絞り、昨夜の出来事を思い出す。
昨日は、たしか――
◆
帰宅した俺達は、玄関先で別れようとして――
「あれっ? 鍵が無い!」
「えっ」
「あっ。出る時はお母さんが家にいたから、部屋に置いてきちゃったのかな? うわぁ……どうしよ……」
「家の人は? 夜遅いけど仕方ないよ、インターホンを鳴らして……」
「お父さんとお母さん、今日の夕方から出張の前入りで……」
冷や汗を浮かべながらおずおずとこちらを見上げる七海の顔を見て、理解した。
(あ。ウチ泊めて、ってことね……)
確か十年前もこんなことがあってウチにお泊りした気がするけど、月日が経てば全く意味合いっていうか、事情が異なるわけでして……
(家族になんて説明しよう……)
と、うるさい心臓に活を入れて玄関を開けると、まず姉の琴葉が飛び出してきた。相変わらずのダボT+ピンクのパンティ姿で。
「おかえり真尋~! お土産、お土産! お姉ちゃん用のチョコクランチは~!?」
「「あ……」」
「あ。」
俺達ふたりと目が合った姉はリビングまでとんぼ返りし、
「お母さん、お母さん! 七海ちゃんが!」
「えっ、七海ちゃんが?」
「ウチに泊まるって!!」
(あの一瞬でなんでわかっ――!? 姉ちゃん、千里眼かよ……)
「お泊りするって? ええ~♡ ハジメテじゃない? どうするどうする? お父さんには内緒にした方がいいわよね? お父さん、そういうところ必要以上に厳しいっていうか、お節介っていうか、『男たるもの責任が』とか言ってうるさいもの」
「内緒にしよう! もうお酒飲んで寝てるでしょ?」
「寝てる寝てる~♪」
一瞬で母と結託した姉はスウェットをはき、改めて七海を出迎えた。
「いらっしゃい、七海ちゃん! さっき見たお姉ちゃんのパンツは幻覚だよ! いいね!」
「はっ、はい……! お邪魔、します……」
ぺこりと頭をさげる七海。付き合い始めてから何度も家にはあがっているとはいえ、お泊りは(窓からのショートカット不法侵入を除けば)初めてだ。緊張しているのがわかる。
そんな空気を和ませようとしたのか、姉は、
「遊園地にデートに行ったんだもん、お泊りくらい当たり前だよね! 気にしなくていいよ! むしろどんどん来て! あっ、部屋は真尋のとこでいいよね? むしろそうじゃないと意味ないよね! あ。お風呂保温になってるよ、ふたりで入ってきたら――」
「ちょっと、姉ちゃん!?」
「あっ――と。今のはつい十年前の癖で、ごめんごめん。他意はないよ! 一緒がいいならそれはそれで構わな――」
弟がデート帰りの深夜に彼女を連れて来たことにテンションがブチ上がって止まらない姉を無視して、俺は母さんに事情を説明する。
かくかくしかじかと話すと、母さんは「お父さんには内緒にしとくわね♡」と満面の笑みを浮かべた。この母にしてあの姉か。こいつら、完全にグルである。そして――
「お姉ちゃん、七海ちゃんにあげられそうな予備の下着ある?」
「ん。あ~、買ってから履いてないのがまだいくつか……でも、エッチなのはあんま無いよ? 探してはみるけど……」
「そういうのは今度でいいわよ」
(こ、今度……?)
「とりあえず、今日着れる分をお風呂上りに用意してあげて」
「でも、上はサイズが合わないよ? 私Eだもん。七海ちゃんのが1カップ大き――いや、下手したら2カップ……」
それらの発言を無視し、最後に母さんは微笑んだ。
「服は……真尋のでいいわよね?」
◆
(ッ……ああ……全部思い出した……)
そうして今一度、腕枕で眠る幼馴染に目を向ける。
(今日は、『彼シャツ』か……)
部屋着のTシャツでなく、わざわざ学校用のワイシャツを着ているところがそこはかとなく事後っぽい……。なんて言ったら、七海は引くだろうか。
それとも、これは七海のチョイス?
その辺がまだ思い出せない。
腕枕をしていると頬の辺りに髪が触れてくすぐったいし、息がかかって……
と思っていると、不意に睫毛がぴくりと揺れる。
「ん……ヒロ、くん……?」
「あ。起こしちゃった……?」
小声で尋ねると、七海はふふ、と笑って「そんなことないよ」と微笑んだ。
長い袖から指先を少しだけ出して口元を抑えると、囁くような小さな声で、
「このベッド、ヒロくんの匂いがいっぱい……包まれてると、安心して、眠くなっちゃうね……」
むにゃむにゃと呟いた七海は俺の二の腕に頬を擦り寄せ、再び目を閉じた。
白いシャツの胸元から覗く滑らかな肌が心地よさそうに上下する様子に、もうため息しか出てこない……
想像以上にたまらんな、これは……。
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