第48話 幼馴染と秘密の計画


 旅行から帰って日常に戻った俺たちは、以前よりも一層仲の良さが増したような心地がしていた。今まで、これ以上の幸せはない、と思っていたが、七海がいればそれすらも青天井で――


(はぁ、今日もしあわせ……)


 と、思っていたある日。その登校中。


「えへ。えへへへ……」


 七海が、壊れた。


 ここ最近、このように、頭のねじが数本抜けてしまったような笑いを繰り返している。いくら人目がないとはいえ、傍から見たら怪しすぎる笑みだ。


 自宅を出てから最寄り駅までは学校の生徒と鉢合わせする可能性もないため、手を繋いで登校する俺たち。いつものように仲睦まじく手をぷらぷらとブランコのように揺らしていたわけだが。どうしてこうなったのか。


「えへへへ。えへへぇ……」


 デレデレとだらしのない表情でお口を緩くする七海。その阿保みたいなにこにこ顔は一周回って可愛いが、どうしたのか。


「ちょっと、七海ちゃん……? どうかした……?」


 不審に思って問いかけると、七海はにへらとこちらを振り向く。


「えへへぇ。ヒロくんとの旅行、いつ思い出しても楽しかったなぁって……」


 にぱぁっ……! とした笑みは、幼稚園でお弁当に好きなおかずが入っていたときの笑みに似ている。


『みてぇ、ヒロくん! たこさんウインナー!』


「えへへぇ……!」


(ああ、変わらないなぁ……)


 十年経っても、俺の幼馴染は天使のようなアホ可愛さだ。

 そんな、朝からあまあまな空気を纏う俺たちだが、ここ数日の俺は気が気でなかった。なぜなら――


 ホワイトデーが、間近に迫っているからだ。


(お返し、どうしよう……)


 十年前は手作りお菓子のお礼にこちらも手作りを、と。姉や母とクッキーなどを焼いていたような気がするが、今となってはそれもどうなんだろう。

 金持ち御曹司や年上社会人でもあるまいし、豪勢なディナーに誘うなんて真似もできないし、いや、できなくはないが明らかに背伸びしている感じがしてかえって気を使わせてしまいそう。


 バレンタイン。七海は俺に最上の幸せをくれた。

 だったら俺も、最上の喜びで返したい。


(どうしたら、七海ちゃんは喜んでくれるだろうか……)


 改まってプレゼントを渡すというのは、想像以上に難しい問題だった。


「ヒロくんこそ、どうかしたの?」


「え――?」


「最近、元気なくない?」


 眉間にしわを寄せているのがバレたのか、七海は心配そうに顔を覗き込んでくる。


「なっ、なんでもないよ! ほら、学校行こう! のんびりしてたら電車に乗り遅れる!」


 半ば強引に手を引いて駅を目指した俺は、そのときのムッとした表情に気づくことができなかった――


      ◇


 学校に着いても、俺はしきりに頭を抱えていた。授業を受けるクラスメイトを見渡し、ホワイトデーにお返しをしそうな男とお返しされそうな女に目星をつける。

 ちなみに、いつも昼食を一緒に食べている祐二、光也、遼平は彼女いない歴=年齢なので、今回ばかりは話題をふっただけで殺されるだろう。もしくは「爆ぜろ」と一蹴される。


(霧島、青柳……確か彼女がいるって言ってたな。何あげるんだろう? でもなぁ、霧島は顔が良いせいで亭主関白なヤリチン。恋愛、交際も好き放題って噂だし、聞いたところでいい答えは期待できない。青柳は……同じバレー部の柴田と付き合ってるって言ってたっけ?)


 ここにきて、七海の友達作りの為に(秘密裏に)行った情報収集が役に立つとは思わなかった。クラスメイトの交際事情は概ね把握済みだ。


(一方で柴田……文化祭のシフトで数回会話したし、聞けなくはない、か? 「女子ってどんなプレゼントが嬉しいの? 青柳からどんなもの貰ったら喜ぶ?」みたいな? いや、そんな一般的な質問なら、わざわざ柴田じゃなくても後輩のよしりんで十分だな……)


「よし」


 とりあえず、青柳に「どんなお返しをする予定か」、よしりんに「女子的に嬉しいプレゼントは何か」、を聞く。まずはこれでいこう。


 決意した俺はそわそわと、青柳にいつ声をかけようかとその日一日、タイミングを見計らっていた。

 そして、四時限目の移動教室の際、ここぞとばかりに教室を出る青柳に声をかける。


「青柳……!」


「んー? 茅ヶ崎? どした?」


 美術室に向かう道すがら、教科書を片手に隣に並ぶと頭一つはありそうな身長差に驚く。


(さすがバレー部……!)


 だが、問題はそこではない。


「あの、さ。そろそろホワイトデーだろ? 青柳は柴田に何を渡すのかなーって……」


 遠慮がちに尋ねると、青柳は「あぁ……」と照れ臭そうに頬をかき、


「……チケット」


 そう、答えた。


「ディズニーシーのチケットを贈ろうかと思ってる。早紀さき……いや、柴田はディズニー好きだしさ、今までも何回かデートで行って、そのたびに飽きもせず楽しそうにするから……それで……」


 俺は、自分の人選に脳内で「神引き!」と唱えた。

 これ以上の正解を導き出せる人間はそういないだろう。


「そっか、遊園地のチケット……! その手があったか……!」


「お? なんだなんだ? 茅ヶ崎も芹澤さんへのお返し悩んでんのか~? 相変わらずお熱いなぁ!」


「そ、そんなんじゃ……!」


 ――あるけどな。


 でも内緒。


「青柳だって、柴田とは高一の頃から……阿吽の呼吸でおしどり夫婦だろ?」


 「まーな!」と明るい笑顔の青柳は、見た目も中身もいわゆる爽やか系な陽キャ。以前の俺なら会話したところで共通の話題なんて微塵も無い人物だ。

 だが、こんな青柳とこうして対等――っていうか、自然に会話できるようになったのも、七海ちゃんのおかげなんだよな……


「去年もチケットだったんだけど、それはランドだったし。デートもできるし、喜んでくれるし、俺としてはオススメだ。芹澤さん、ジェットコースターとかは平気なの?」


「あ――」


 そういえば、遊園地、まだ行ってないや……


「どうだろ……? 十年前は小さかったからジェットコースターには乗れなかったし」


「あ~。幼馴染なんだっけ? いいなぁ、気心の知れた幼馴染! 楽しそう!」


(すっげー、楽しいよ……)


「まだ行ってないなら誘ってみろよ? 安心しろ、ホワイトデーにチケットをお返ししても、『パクリだ!』なんて言わないからさぁ! むしろ真似して、俺を崇め奉ってもいいんだぜ~? な~んてな! あはは!」


(陽だ……陽の者だ……)


 でも、苦手じゃない陽キャだ。青柳が霧島とは違った意味でモテる理由、わかった気がするな……


「ありがとう。参考になったよ」


 俺は青柳に礼を述べて午後の授業に戻った。

 放課後になり、早めに部室に顔を出すと、既に来ていたよしりんが同学年の子たちとポッキーゲームに興じていた。きゃいきゃいと、口がついちゃう、ついちゃわないって……女の子はてぇてぇなぁ。


「よしりん」


「むぐぅっ……!?」


 ポキッ。


 急に振り向いたせいでポッキーは勢いよく折れ、よしりんのトレードマークであるベージュのミディアムボブがふわりと揺れる。


「せ、先輩!? は、早くないですか!? いつもなら彼女とイチャつきやがって部活来るのギリギリのくせに……! てか、背後から急に声かけないでください! みほとチューしちゃうところだったでしょ!?」


「いいじゃん、すれば」


「はぁあ!? 簡単に言わないでくださ――! はぁ……はぁぁ……そうでしたね。ロリ巨乳な美少女彼女持ち~な先輩は今更キスくらいで騒がないですよねぇ? 慣れっこですもんねぇ? あ~あ、やだやだ。サイレントノロケかまされた~」


「なんでそんなに怒ってんだよ? てか、今日はよしりんに用があってさ」


「せせ、先輩が私に!?!?」


 がばっ! と姿勢を正したよしりんは鞄を引っさげてすぐさま駆け寄ってくる。

 ひとけのない音楽準備室まで来て誰もいないことを確認すると、こしょっと耳打ちをした。


「な、なんですか? 先輩から私に話なんて……もしかして、彼女と別れた?」


 何故そんな、きらきらわくわくした眼差しで悪夢のような言葉を囁くのか。


「んなわけねーだろ。もし別れてたら、俺は今頃首と胴体がお別れしてるわ」


「はぁ……ですよね……そうですよねぇ……?」


「残念がるなよ、不謹慎だな」


「で? 彼女だいしゅきぴっぴな先輩が今更、私に何の用ですか?」


「あのさぁ、女子ってホワイトデーのお返しに何貰ったら嬉しいの?」


「それこそ不謹慎ですね……よりによって私にそれを聞く? クズオブザイヤーかよ……」


「え?」


「なんでもないです、朴念仁」


 なんかさっきから凄い勢いでディスられてるけど……


「で、どうなの?」


 単刀直入に尋ねると、よしりんはぶぅたれながらそっぽを向く。


「知らないですよ……私、バレンタインに誰かにチョコを贈ろうと思ったことなんて……去年、先輩に渡しそびれて以降は……ないし……」


「え? 俺が? なに? よしりん、今日声ちっさくない?」


「なんでもないですもぉばかぁっ……!」


 かぁっと頬を染めて俯いたよしりんは、俺の顔をふと見上げると、小さな声で呟く。


「……なんでもいいんじゃないですか? 好きな人から貰ったなら、なんだって宝物ですよ……」


 チャリチャリと、ポケットの中で鍵を転がす音がする。そういえば、昔よしりんが「誕生日だから何かくれ」って言ってきて、フルートの形のキーホルダーをあげたっけ……?


「よしりん……?」


「ああもう! 人の顔をガン見しないでくださいよ! 彼女以外の女の子にソレやったら、セクハラですからね!?」


「え、あ。ごめん……」


「別に、謝らなくていいし……」


 ん~……相変わらず、よしりんは感情の浮き沈みが激しくてフルートの演奏以外で会話するのが難しいな。まぁ、一緒に曲を奏でれば、よしりんの機嫌が良いか悪いかはわかるからいいか。

 にしても……


「『なんでもいい』って、心底参考にならないな」


「先輩こそ、心底ムカつく奴ですね」


 結局なんの成果も得られず、俺達は部活に勤しんだ。

 半年後、最後の夏のコンクールに向けてリベンジを誓う。

 よしりんは日に日に上達していて、これなら心残りなく、俺は卒業できそうだ……


「……先輩」


「なに?」


「七海先輩と付き合ってから、先輩の音は変わりましたね」


 不意に告げられ、驚きに固まる。


「えっと……どんな風に?」


 おずおずと尋ねると、よしりんはそっぽを向きながら、


「今まで以上に優しくて………………………………明るくなりました」


 と、答えた。


「そっか。ありがとう」


 その日のよしりんの演奏は、ぶっきらぼうな言葉に反して、どこか軽やかなリズムを刻んでいた。


      ◇


 部活を終えて家路についていると、学校の最寄り駅前のカフェで七海が待っていた。


「あ。ヒロくん」


 今日は部活があるから先に帰っていいって言ったのに、どうやら待ってくれていたらしい。俺の姿を視認するや否や、トレーをさげて小走りに駆け寄ってくる。


「ねぇ、今日、ウチ来ない?」


「え。でも、もう結構暗いけど……」


「今日ね、お父さんとお母さん飲み会なんだって。ヒロくんさえよければ、おいでよ?」


 普段であれば、俺が家族と過ごす時間のことを気にしてここまでぐいぐい誘ってくることはない。遅い時間にも関わらず、七海がこうも家に来て欲しがるときは、大抵聞いて欲しいことか、話したいことがあるときだけだ。文化祭の日、七海が胸に秘めていた嫉妬と愛情を爆発させたときのように……


(え。俺……また何かやらかした……?)


 どきどきと嫌な音を立てる心臓をおさえながら部屋にお邪魔すると、七海はおもむろに腰に手を当て、頬を膨らませる。


「……ヒロくん。私に何か隠し事してるでしょ?」


「え――」


 見るからにおこぷんな顔に、思わず声が裏返った。

 だって、秘密にしてるのは、ホワイトデーのお返しのことだから……!


「ヒロくんてば、今朝も浮かない顔してた。私、これでもヒロくんの彼女だよ? 悩みがあるなら相談してよ?」


「あ。いや……その……」


(せっかく七海がサプライズなバレンタインを贈ってくれたのに、ここでバレるわけには……!)


 誤魔化すように視線を逸らすと、七海はむんず! と俺の両頬を包む。


「ダメ! ひとりで悩むなんてダメなんだから! それとも、私じゃ力になれない……?」


 一変してしゅん……と落ち込む表情に、俺は真っ向否定した。


「ちがう! 七海ちゃんが力になれないわけない! これは、その……そういうんじゃなくて……!」


「……言えないの?」

「……!」


 僅かに曇った瞳に、悲しみの色が浮かぶ。しかし、いつまで経っても真実を打ち明けられない俺に、七海は遂にしびれを切らした。


「ヒロくんのばか! 隠し事する悪いヒロくんなんて……! ヒロくんなんて……! もう……!」


「えっ。ちょ――」


 まさか――絶交?  口きかない? お触り禁止?


 待って待って待って……!


 それだけはやめて! もう無理死にたい……!


 俺が脳内で一足先に首を括ろうとしていると、七海は――


「 お し お き で す !」


「え――?」


「罰として、私がヒロくんをベロチューでギッタギタのメッタメタにしてやるんだから! 隠してること全部、話したくなるくらいにね!!」


「……!?!?」


 えっ。なに? なんて言ったの?


 ベロチューでギッタギタのメッタメタ……?


 意味わかんない……! それ多分使い方違う!

 日本語間違ってるよ七海ちゃん……!?


「覚悟はいいですか!? あと三秒で吐かないと――」


 ぷんすこと怒る七海はおしおきする気満々だ……!


「さん……にぃ……」


 ベッドに仰向けに押し倒され、迫るカウントと唇に、俺は――


(め……めちゃくちゃにされてぇ……!)


 と。頑なに(敢えて)口を閉ざしたのだった。





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