第47話 幼馴染と最終日、夜


 京都旅行二日目の夜。

 手を繋いで眺めた二条城のライトアップはこれ以上ない程美しかった。

 大きな門に次々と映し出される花々のプロジェクションマッピング。目まぐるしく変わる景色に瞳を輝かせる七海の横顔。驚きのあまり、時折口をぽかんとしてしまうところがもう、胸をきゅ~っと締め付けるくらいに可愛い。


「すごい! すごいね、ヒロくん! 日本の映像技術は世界一だぁ!」


「ふふっ。確かに、花鳥風月、和のテイストに関してここまでできるのは日本ならではだよな。これ、夏は肝試し風になって百鬼夜行が楽しめるんだって」


「わびさびだねぇ。わぁぁ、見たいなぁ……」


 陽が沈んで冷たくなってきた手にはぁ~っと息を吹きかけつつも、表情は明るく無邪気な七海。今まで幾度となくその横顔を眺めてきたが、長い睫毛の奥から楽しげに瞳をきらきらさせる姿は、この世で一番愛らしい。


(はぁ、やばい。七海ちゃん可愛いやばい……)


 かくいう俺は、そんな七海に夢中でプロジェクションマッピングは半分くらいしか楽しんでいないかもしれない。いいんだよ、俺的にはこれが通常運転だから。


(ああ、メインの二日目が終わってしまった。この後はホテルに帰って明日買いたいお土産をリストアップして……)


 楽しい時間というのは、どうしてこうもあっと言う間に過ぎ去ってしまうのか。

 昨日――バレンタインの夜。あまりに積極的な七海のアプローチに(割と喜んで)流され、結局同じベッドで寝てしまった。

 俺だってできることならもっと七海と進展したいが、七海のことが大事だからこそ苦渋の決断で手を出さないままでいる。今夜も、耐えきれるだろうか。


 俺達は幼馴染だから、七海の考えていることはそれなりに理解しているつもりだ。おそらく、七海だって俺に今以上の関係を期待しているだろう。だけど、大好きだからこそ手を出さないでいる気持ちもわかって欲しいんだ。


(でもなぁ。やっぱ同じ部屋っていうかベッドで寝ると、とてつもなくいい匂いがするんだよなぁ……!)


 好きな子の匂いって、どうしてあんなにイイんだろう。安心するっていうか、ずっと嗅いでいたいっていうか……


 最近の俺は積極的なアプローチにもある程度慣れてきたせいか、七海の頭をぎゅうっと抱き締めているだけで性欲の六割を満たすことができるようになっていた。

 何を言ってるのかわからないかもしれないが、満足感っていうのかな? そういうもので心をお腹いっぱいにすることでそれ以上の欲求を抑え込もうという寸法だ。これこそ、悟りの境地ってやつかもしれない。

 俺はいつぞや叶えられなかった極地に今こそリベンジしようとしている。


 とまぁ、御託はいいから一線を越えない程度に今夜もイチャつきたい。


 そんなことを俺が考えているとは露知らず。七海は夕飯に行こうと言っていた鴨しゃぶのお店のメニュー表をスマホで眺めてほくほくとした笑みを浮かべている。


「ヒロくん、私、鴨しゃぶなんて初めて!」


「姉ちゃん曰く、烏丸付近にあるこじんまりした居酒屋だけど、コースで出てくる鴨の量が半端ないらしい。お肉だけでお腹がいっぱいになるとかなんとか。楽しみだね」


「うん! 鴨は冬が美味しいらしいしね!」


 ああ。幼馴染と旅行するってなんて素晴らしいんだ。

 もし七海ちゃんと結婚したら、年に一回は必ず一緒に旅行に行こう……

 そう、固く胸に誓った京都の夜だった。


      ◇


 鴨しゃぶの噂に違わぬ美味さと量に大満足した俺達は、ホテルに戻ってベッドにごろりと寝転んだ。


「あ~! 楽しかった!」


「ふふ! ヒロくんが大きな声でそう言うなんて珍しい」


「そうかな?」


「うん、口に出すのはね。でも、いつも一緒に楽しいって思ってくれてるのは知ってるよ」


「幼馴染だから?」


「それもあるけど、一番は、ヒロくんのこといつも見てるから」


 ああ~……

 大好き。


 俺はベッドからそっと立ち上がって隣のベッドに腰かけていた七海を抱き締めた。座ったまま抱き締められてきょとんとしていた七海はそっと俺の背に腕を回して満足そうに頬をすり寄せる。


 俺達は幼馴染だから。

 今日はこれだけで十分すぎるくらいに満足だって、お互いが理解していた。


「ヒロくん……いつもありがとう」


「え――?」


 思いがけない言葉に、そっと身体を離す。

 七海は俺に甘えるようにして抱き着き直すと、再び口を開いた。


「ヒロくんと一緒にいると、やっぱり楽しいね。今日、改めて思ったよ」


「それは、俺も――」


「ねぇ、覚えてる? 小さな頃もこうやって一緒に旅行したことがあって。そのときはお母さんたちも一緒だったけど、少しの間自由時間があったでしょ? 『この道まっすぐの商店街の中でなら、好きに遊んできていいよ』って……」


「ああ、家族で一緒に軽井沢に行ったとき? あの、軽井沢なのに銀座っていうとこ……」


「そうそう! 軽井沢なのに銀座! 牛乳ソフトが濃厚で美味しかったとこ!」


「相変わらず七海ちゃんはアイスが好きだなぁ。昔っから、どこ行ってもアイスだったよね?」


「だって! ご当地アイスは絶対食べたいよぉ! って、そうじゃなくて……私、ヒロくんと違う味のアイスを分けっこするのが好きで。そうやって一緒に楽しい気持ちを共有っていうか……アイスと一緒に、気持ちを分けっこするのが、好きで……」


 もじもじと頬を赤らめる七海。今更そんな照れることなんてないのに――と、思っていると……


「あ、あの頃から、私はヒロくんのことが大好きで……だから、その……またこうやって旅行に来れて、すごく、嬉しいなって……今日、ずーっと、そればっかり考えてて……」


「七海ちゃん……」


「だから……ヒロくん、ありがとう?」


 顔を上げて照れ臭そうに、にぱっと顔をほころばせる七海があまりに可愛すぎて、俺の背筋には思わずぞくっと鳥肌が立った。まるで、すごく良い演奏を聞いたときのような、感情が揺さぶられるこの感覚――

 思わず、先程よりも強い力で七海を抱き締める。


「俺の方こそ、ありがとう……」


 帰って、きてくれて……

 こんな俺を愛してくれて、

 それまで何もなかった俺に、たくさんの感情を与えてくれて、

 楽しい時間をくれて……


「ありがとう、七海ちゃん」


 お互いに笑顔で顔を見合わせ、ゆっくりと時間が流れていく。

 ふたりで過ごした京都旅行は温泉旅行のときほどの刺激はもたらさなかったものの、どこまでも俺達を満たして終わりを迎えたのだった。


「ねぇ、ヒロくん?」


「なに?」


「今日も、一緒に寝てもいいよね? ヒロくんのベッドで」


「あ、あぁ……」


 まるで「昨日平気だったし、いいでしょ」みたいなその誘いに、俺は思う。


(やっぱり、ツインにした意味なかったじゃん……)


 シャワーを浴びて出てくると、先にシャワーを済ませ、ベッドに寝転んでスマホを弄っていた七海がにこにこと手招きしてくる。


(ダメだ……あの笑顔には逆らえない……)


 なにもかも諦めて隣にそっと身体を横たえると、あたたかくて柔らかい感触が全身を包み込んだ。バスローブの胸元は昨日同様ゆるがばで、肌の感触がモロに……


「えへへ……ヒロくんあったかい♡」


「それはこっちの台詞だよ……」


「身体、まだほかほかしてるね?」


「うん。シャワー浴びたばっかりだから」


「ヒロくん肌すべすべ」


「七海ちゃんの方が千倍すべすべだって」


「ふふ。だといいな?」


 にんまりと頬を、そして身体全体をすり寄せる七海は艶めかしいを通り越して……

 ああ、もう……言葉になんねぇ……


(あぁ~やばい……これだから旅行は――)



 サイコーなんだよなぁ……



 その日俺は、遂に。

 新たな童貞技のひとつ、ゼロ距離添い寝をマスターしたのだった。

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