第45話 夜の幼馴染とあまい甘いバレンタイン
今回泊まるのは、前に箱根へ行ったときのような旅館ではなく、一般的なホテルだった。
駅から近い、朝食だけが付いているようなプラン。一応館内に温泉があるようなことは書いてあったけど、客室にもシャワールームは完備されているから、使うかどうかは自由といった感じだ。
その夜。何かしら強引に誘いを受けるだろうかと期待と不安でそわそわしていた俺の予想に反し、七海は「シャワー、一緒に浴びる?」とイタズラっぽく問いかけただけで、「ダメでしょ」と軽くいなすとすぐに諦めてシャワーを浴びに行った。
サァア、という流れる水の音にどきどきしつつ次に入る準備をし、ベッドに腰かけて旅行パンフを片手に翌日行きたいところを確認していると、僅かに髪の毛先を濡らした七海が浴室から出てくる。
「はぁ~、さっぱりした」
ほかほかと身体から立ち昇る湯気がなんだか艶めかしい。白いバスローブに身を包んだ七海はいつもより大人びて見えるように感じたが、着慣れていないせいか胸元が大胆に開いてしまっていた。というより、七海の身長に合わせて渡されたバスローブのサイズが胸囲だけ合っていないという、いつものロリ巨乳的弊害だった。
いつもなら「ちょっと、七海ちゃん!」と言って、幼稚園でスモックのボタンを止めてあげたように慌てて前を閉めさせるのだが、バスローブ姿ということもあって動揺してしまい、こちらから閉めに行くこともできずに呆然と視線ばかりが釘付けになる。
乾かしきれていない髪の水滴が谷間に零れ落ち、そのまま吸い込まれていくのをただただ見守る俺。「ダメだ、ダメだ」と脳内が警鐘を鳴らしているにも関わらず、その白く滑らかな双丘に触れたい衝動に駆られてしまう。
でも、触れたら最後。今日は後戻りできない気がする。
ごそごそと鞄を漁っていた七海は小さな包みを取り出し、断腸の思いで視線を逸らしていた俺の隣に腰かけた。
「ねぇ、ヒロくん?」
声をかけられただけで、びくりと肩が跳ねる。
「これ……開けてみて?」
「え……?」
予想外の言葉に視線を戻すと、七海の手から可愛らしい色合いの包みを手渡された。真っ赤なリボンと、大きく印刷されたハートマークを見て、思い出す。
「これ……まさか……」
「ここのところ、街中に甘い香りが溢れてるんだもん。いつバレちゃうかってひやひやしたよ」
旅行が楽しみすぎて、忘れていた――
「今日、二月十四日……」
「バレンタインだよ?」
ふふ、と微笑んだ七海に促されるままに包みを開けると、そこには個包装のガトーショコラと小さなハート型の板チョコが入っていた。
「ガトーショコラはね、私の手作りなの。常温で日持ちすると思うから、好きなときに食べて?」
(わ。家族以外、バレンタインにチョコなんて……)
十年前に、七海ちゃんに貰って以来だ……
あの頃と同じ、掌におさまる贈り物に胸がどきどきとあたたかくなる。
中身のお菓子は幼い頃よりも数段上手になっていて、手に取っただけでどれだけの想いが込められているのかすぐにわかった。
「アメリカにいた頃も、年に一度は作っていたんだよ。次にいつ会えるかもわからない。決して渡せるわけじゃあないんだけど、それでも、年に一回は、ヒロくんを思い出して――」
(……!)
「えへへ……改めて口にするとやっぱり恥ずかしいね? ねぇ、もう一つの方は……今、食べよ?」
そっと手を伸ばした七海は板チョコの包みを開けると、「ビタースイート味♪」と嬉しそうにラベルを指差し、ぱくりと口に咥えた。そして――
「……ん。どうぞ♡」
「はひゃぃ……!?」
目の前に迫るチョコレートに、思わず声が裏返る。
だって、半分を咥えて差し出されたこの状況はどう考えても――
(口移し……!?)
いや、もしくは長さギリギリのポッキーゲームか。
でも、あの板チョコ、直径三センチも無いぞ!?
いくらキスならする仲とはいえ、ホテルにふたりでこの雰囲気……
「こうやって渡したいなぁって、ずっと思ってたの」
「な、七海ちゃ――」
「はやくしないと溶けひゃうよ?」
七海の唇の端には、すでに熱で溶けかけのチョコレートが付いている……!
俺がもたもたしていると、そのチョコレートは液状になってぽたりと谷間に垂れた。
(うっ……! これは……ヤバイ……)
鼓動がばくばく早くなり、七海の潤んだ瞳から、目が逸らせない……!
「ねぇ、ヒロくん……?」
――『 食 べ て ?』
(……!)
俺は七海の両肩を掴んで、チョコレートに口を近づけた。
「本当に、食べていいの?」
「うん……」
緩やかに細められた目から、七海の感情が伝わった。
一年に一度、女の子から想いを寄せる男子に、甘い、甘い、贈り物をする日。
(これが、バレンタインか……)
遠慮がちにチョコレートに口を付け、少しずつ食べ進める。唇が触れ合う直前に、ふと思った。
(今ここでパキッと折ったら、それはそれで七海ちゃんの望み通りじゃないんだろうな……)
俺はただ目を閉じて、口の中に広がる甘さを味わった。七海の口に、含まれた分まで。
唇を離す頃、七海の胸に付いたチョコレートは渇いてしまっていた。
ふたりしてベッドに倒れ込むと、七海は横向きでこちらを見つめ、未だに甘い香りをさせている唇を開く。
「ヒロくん……だいすき」
「俺もだよ」
「ハッピーバレンタイン?」
「うん。ハッピーバレンタイン」
間違いなく、人生で最高のバレンタインだ。
その返答に満足そうに笑みを浮かべる七海に絆されて、俺たちはしばし寝転び頬をすり寄せ合った。チョコレートよりも甘く蕩けそうな七海の感触に誘われ、イチャついていると――
気が付いたら、朝になっていた。
「――ハッ!?」
カーテンから差し込む朝日に驚き飛び起きると、隣で仰向けに寝ていた七海が大きく伸びをする。長い睫毛がしぱしぱとして、まだ眠そうだ。
結局、シングルベッドにふたりで寝てしまった……
ツインにした意味、ないじゃん。
「ふぁ……おはよ、ヒロくん」
「おは、よ……」
若干はだけてはいるが、バスローブを未だ着ている様子を見るに一線は越えていないらしい。
七海はむにゃむにゃと寝ぼけ眼をこすりながら俺の膝に跨ると、首筋に抱き着いて尋ねる。
「昨日は、美味しかった?」
「あ……うん……」
その、とっても、ごちそうさまでした……
「シャワー、浴びてきたら?」
「うん……」
「私も浴びようかな? ねぇ、一緒に――」
「もうお腹いっぱいだから! ひとりで入れるから!」
「ふふふ……! ヒロくんなら、そう言うと思った」
十年ぶり。幼馴染が帰ってきて初めてのバレンタインは、これ以上ない程、甘い思い出となって俺を蕩けさせたのだった。
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